1. KitchHikeで何をやっているのか
主な仕事は、サービスのマーケティングです。KitchHikeの認知拡大と、ユーザーにいかに楽しく・毎日使ってもらうかの具体的な施策をプランニングし、日々実験を繰り返しています。また、前職が野村総合研究所(以下、NRI)のSEということもあり、プロダクトの要件定義やUI設計についてエンジニアとMTGもします。他にはメディア取材のディレクションやインターン採用、まかない隊長にオフィスの美化委員長など様々な仕事を担当しています。
さらに言うと、私はKitchHikeにジョインする前からCOOKとしても活動しています。この1年で、140人以上のHIKERが私のイベントに参加してくれました。そして自分もHIKERとして50回以上のイベントに参加しています。KitchHikeを通して得られた出会いの数は、人一倍多いと思います。
▼COOK:Kumikoのプロフィール
KitchHikeは、2013年にローンチしたサービスです。私たちのようなスタートアップが大きくスケールしていくには現段階で熱狂的なファンユーザーがついていることが必要不可欠です。
そして私自身、KitchHikeの熱狂的なファンユーザーの一人であり、スタッフでもあります。私が直接ユーザーにKitchHikeの楽しさやその熱を伝えてファンを増やしながら、スタッフとしてプロダクトをアップデートしていく。これは私だからできることであり、私にしかできないことです。このように、「KitchHikeを世の中の文化にする」ことが私の役目です。
*「台湾の夜市」をテーマにしたPop-Upイベント。半分は初めましてのユーザーさん。
*名物の胡椒餅を、みんなで紙袋から手作りしました。
2. 昔、何していたの?
幼少時代から両親のおいしい手料理を食べて育ちました。父は神楽坂でらーめん屋を営み、母は調理師の資格を持つ専業主婦。母はお菓子やパンを焼くのが趣味で、食卓は和食からエスニック系などさまざま。父は休日になると築地で仕入れた食材でイタリアンを振舞い、時には毎朝6時起きで南インドカレーを作ってから出勤していました。インド人もびっくりです。
両親ともに「次はこれを作る」というアイデアが尽きることはなく、おいしいものが勝手に出てくる毎日。幼い私は、二人が手際よく料理を作り上げる魔法のような時間を、じっと横から眺めているのが好きでした。
*神楽坂「らーめん黒兵衛」を営む父と私(と兄)。
そう言う私の趣味はもっぱら漫画とアニメ。”好き”を追求する性格は両親譲りで、小学6年生の頃にはPhotoshopとペンタブを手に入れ、絵を描いたりイラストサイトを作ることに没頭。中高時代は攻殻機動隊の影響が大きく、自由課題の論文テーマは「人はなぜ人に似たものを作るのか」「人とITの上手な付き合い方」。周りが「浜崎あゆみ」や「ディズニー」をテーマに選んでいる中、書いた論文は優秀賞をいただきました。
やりたいことだけでなんとなくやってこれた人生で、初めて転機が訪れたのは大学一年生の時。
幼いころから物理現象に心惹かれていたので、物理学科のある大学に入りました。しかし、実際の授業は膨大な数式をひたすらノートに写す作業ばかり。まったく理解できずにテストの点が改善されないまま迎えた年度末、1年目にして「留年」の2文字を突きつけられました。
いわゆるこれが、初めての挫折でした。「世間体」や「親の体裁」など、それまで注意深く取り扱っていたものを自主的に放棄してしまったのです。
2回目の1年生、足りない数単位を取るためだけの学校生活はおそろしく退屈で、「なにかやらなきゃ」と、ついに自分で人生設計しないといけない状況で生き始めることになります。
その後、友人の紹介でもともと興味のあった早稲田大学のサークルに入りました。「大学生にきっかけを与える」をコンセプトにしたフリーペーパーCue(キュー)は、武蔵美のアートディレクター、文化構想学科のエディター、帰国子女のフォトグラファーなどが集う、大学版スタートアップのようなサークルでした。
*当時のCueメンバー。1〜4年生まで合わせて15名前後が所属していた。
「自分たちが好きなことを好きなように、楽しく作っていくことが、同じ大学生である読者にも受け入れられるはず」という自由な編集方針に個性豊かなメンバーたち。
印刷費は企業から広告費をもらって賄い、紙面デザインや写真も全てオリジナル。世の中を相手に、自分の価値観を発信する楽しさを初体験しました。また、「全部一人でやる」よりも「チームで最高のアウトプットにたどり着く」ことの達成感と高揚感を始めて知ることもできました。
*アートディレクターとして紙面デザインを担当。ライター、カメラマン、営業まで好き勝手やっていました。
大学にも最低限は顔を出し、無事卒業。サークル活動のお陰で自主性が培われ、NRIでSEとして就職することが決まりました。ここで、挫折しても人生やり直せることを学びますが、それでも「元のレールが勝ち組」だと信じて生きていたので迷わず大企業を選びました。
そしてNRIに入社して1年後。一人暮らしと共に始めた料理に没頭し、週末は友人を家に招いて料理を振舞うことが増えました。仕事では大きなプロジェクトにアサインされたことに喜びとやりがいを感じ、優秀で尊敬できる先輩にも恵まれていました。
*週末には友人主催のイベントで料理を担当することもありました。
しばらく充実した日々を過ごしながらも、仕事ではどんどんプロジェクトが忙しくなり1日3食コンビニという生活が当たり前に。料理をする時間なんて取れなくなりました。それでも週末を守るために平日は全力で仕事に取り組んだのですが、2年にも渡るプロジェクトのリリースを迎えようとした時に感じたものは、達成感よりも、何もやりたいことが浮かんでこない自分がいることでした。
「私は私の人生を送れているのか?」何のために生きるのかを考えてたどり着いたのは、私も両親と同じく“食”に人生を捧げたいということ。
ひとまず自分が望む生活にシフトチェンジしようと、プロジェクトのリリース後に退職。そのあとに出会ったのが、CTOが元NRIのエンジニアでもある、食のWebサービス「KitchHike」です。
3. なぜ、KitchHikeに携わっているのか?
退職後、友人のブログでKitchHikeの存在を知りました。サービスに興味があり試しに蔵前でCOOKをやられているMamiさんのお家にKitchHikeで訪ねたところ、ご夫婦の温かいおもてなしと素晴らしいひとときにものすごく感動したんです。「普通は出会えないような人と、KitchHikeがあれば簡単に出会える」これが、KitchHikeに対して感じた一番の魅力です。それは今でも変わりません。KitchHikeは、食卓の可能性を無限大にするもの。私が求めていたのは、これだ!と感じてCOOKとして登録、さらにKitchHikeの運営も何か手伝えないかと共同代表の山本にメールを送りました。
すると、すぐに返事があり、めでたくKitchHikeメンバーとして週一でお手伝いさせてもらうことに。メンバーと一緒に過ごす中で、ただの「稼げるお料理マッチングサービス」だと思っていたKitchHikeは、実はとてつもなく壮大な構想の種であることに気づきます。
それを感じさせたのは、共同代表の二人の非凡さです。だいたい2人組といえば「天才と平凡」コンビが主流ですが、正直、2人とも今まで会ったこともない人種でした。
共同代表の山本は、自分の足で世界中のお家に突撃晩ごはんするほどの行動力と先見性がありながらも、ウィットに富んだヒゲおじさんです。まだ月の利用ユーザー数が今の1/5もないうちから「KitchHikeのすごさに誰も気づいていないなあ」とニヤニヤしていました。
「The future is already here -- it's just not very evenly distributed. (未来はすでにここにある。ただ均等にないだけだ。)」
これはSF作家 William Gibson氏が語った言葉で、山本が自身のインタビューでも触れています。KitchHike(未来)はすでにここにある。それを少しでも早く、均等に分配するのが我々の使命だと山本は言います。
▼山本インタビュー
もう一人の共同代表である藤崎は、金髪のお寺生まれエンジニア(出家済み)という濃すぎる設定でも、期待を裏切らない人生観と思慮深さを持ち合わせています。「自転車が盗まれちゃって」と嘆くインターン生に向かって「来世で見つかるよ」という仏教ジョークは卑怯なくらいパンチがあります。
もともとNRIのテクニカルエンジニアだった、というだけで尊敬の念を抱いてましたが、食とインターネットの未来を語ったインタビュー記事の中で「人はもっと上手くインターネットを使えるようになる」と語る藤崎の考えを知り、中学時代から考えていた「人とITの上手な付き合い方」に対する答えがここにある、と感じました。
▼藤崎インタビュー
一番すごいのは、二人の非凡さが、すぐには分からないということです。謙虚なわけではなく、二人は「他人と自分を比べる」といった時代から進んだ未来を生きているから表面に出てこないのです。
二人に会う前は、「世界を変える」のは誰かがやっていることだと思っていました。ですが、その誰かが、今、自分の隣にいる。それは同時に「自分」もその誰かになれるということ。それに気づいた瞬間、「世界を変えるのは”自分”だ」という考えに変わりました。
資金調達後、共同代表の2人に呼ばれて、やっと社員を迎える体制が整ったと言われました。「豪華客船ではないけれど、僕たちとブレーキの壊れた船を一緒に漕いでくれませんか?」その狂気的な誘い文句に対し、笑いすぎて何と答えたかは覚えていませんが「世界を変える」船に乗ることを決意しました。
*上野にあるオフィス屋上でのMTG風景
4.KitchHikeで楽しいこと
メンバー同士の化学反応により、新たな考えが生まれる時が最も楽しい瞬間です。私たちは進捗報告だけを目的とした会議はやりません。代わりに、ブレストベースの「セッション」を定期的に設けています。
これはジャズのセッションと同じで「グルーブを高めあう時間を楽しむ」MTGです。面白いアイデアは、楽しい時間の中でこそ生まれるものです。最近生まれたアイデアの中でもっとも興味深く取り組んでいるのは、「みんなの食卓」という施策です。
これは、KitchHikeが今後「みんなで食べる『みん食文化』」の普及を目指す上で核となる施策のひとつで、オフィスに併設されたキッチンで試験運用を始めています。
▼「みんなの食卓」詳細ページ
COOKもメニューも直前まで未定という形でも、「みんなで食べること」に価値を感じる人は集まるはず、という仮説のもとスタートしたこの施策。毎回満席近く人が集まり、満足度も高いことから仮説は実証されてきました。このように、すぐにMVP (Minimum Viable Product) を現場で試せるのも、スタートアップならではの面白いところです。
5.理念や信条は?
大事だと思っていたものを手放すことで、それ以上に大切なものを手に入れたという経験が私の判断を支えています。無駄をそぎ落とし、本当に楽しいと思う心に従う生き方をすることで、自分が自分でいられる場所を見つけられるのです。
自分が我慢すれば丸く収まる。そう言い聞かせながらやることはいつか限界が来ます。これはCOOKとしてPop-Upを開催する時でも同じで、私は自分が本当に楽しめることだけをやるようにしています。
COOK希望の方でお料理のスキル不足を心配する方がいますが、KitchHikeが提供するのは「料理」ではなく料理を通した「体験」です。飲食店が溢れるほど存在するこの世の中で、KitchHikeを通して人が集まるのは、料理以外にも「出会い・おもてなし・交流・学び」に価値を感じているからです。
それならば、料理のプロよりも普段は別の仕事をしている人の方が全体的な満足度を高められる場合もあるはずです。そこを楽しめるのがKitchHikeの面白さ。なので、自信を持って「自分の好き」を共有して欲しいんです。
*「麺から作る!らーめんワークショップ」では一番楽しい「湯切り」体験を一緒にやります。
「理解は誤解の総体に過ぎない」とは、村上春樹の言葉です。結局、物事とは「自分がどう捉えるか」でしかないのです。そもそも、「おいしい」という感覚さえ人によって違います。口コミサイトで飲食店の評価はすぐにわかりますが、「美味しかったので、再訪したい」というレビューもあれば、一方で「隣の客がうるさくて料理が不味く感じた」と言うものもあります。つまり、料理そのものの価値だけでなく、「いつ」「どこで」「誰と」食べたかと言ったコンテクストが「おいしい」と感じる重要な要素なのです。
私が作りたいのはおいしい料理ではなく、コンテクストまでを含めた「おいしい時間」です(もちろん料理にも手を抜きません)。「おいしい時間」の定義は「みんなで・作って・出来たて」を食べる、という条件が揃うこと。キャンプで作ったカレーライスはご飯が硬くてもおいしいと感じる、というのもいい例です。
KitchHikeのPop-Upも、すべて「おいしい時間」 が生まれる場だと感じているので、KitchHikeが作る未来は、私が生きたい世界そのものなのです。
6.これからやりたいことは?
冒頭で述べた通り、「KitchHikeを文化にしていく」ことです。では、文化はどうして成り立つのか。『ホモ・ルーデンス』において、ホイジンガは「人間文化は遊びのなかにおいて、遊びとして発生し、展開してきたのだ。」と、文化と遊びの一体性を説いています。遊びの定義は諸説ありますが、私が着目しているのは「それ自体が目的である」ということです。
KitchHikeではCOOKに対価が支払われますが、それを目的とした行為はもはや遊びではありません。KitchHike自体が目的になるような設計でこそ、遊びであり文化として根付くと考えています。私は自分やユーザーにとってKitchHike自体が目的であり続けられるよう、これからもKitchHikeを進化させていきます。
また、最近注目している現象としては、仕事のお昼休憩にKitchHikeを使って食事をする人が増えてきたことです。外食やお弁当もいいけれど、今はオフィスの近くでお昼ごはんを作ってくれるCOOKのところへ食べに行くという選択肢があります。1年前では考えられないような世界に、今まさに変わり始めています。もう少し先の未来では、「今日のランチは、どこのお家で食べよう?」という会話が日常化しているかもしれません。
「誰かが世界を変える」なら、その誰かは自分たちです。KitchHikeがつくるおいしい未来は、すでにここにあります。そして、皆さんの欲しい未来もすでに手元にあります。でも、それを広げていくのは、私であり、この記事を読んでくださった皆さんです。