手作りごはん交流サービス | オフィスKitchHike(オフィスキッチハイク)
「会社でみんなとごはんを食べよう!」社内のキッチンや交流スペースを利用しませんか?
http://www.office-kitchhike.com/
僕は、1年遅く大学に入り、2年遅く卒業し、3年遅く社会人になりました。大学を出たのが25歳。就職活動はせずに、まっすぐ無職になりました。当時は、炊飯器を買えないほど貧乏で、拾ってきた炊飯器の釜を直火にあて米を炊く、原始人と現代人の狭間を行ったり来たりする生活を送っていました。
苦労をバネにする成長スタイルの原点は、高校時代にあります。通っていた硬派な男子校には、”日本泳法”を学ぶ、変わった水泳部がありました。武士が身につける、いわゆる古武術のひとつです。なんと、甲冑姿でも泳げるようになります。足の付かない海の沖合で浮き続けたり、拘束状態から泳いで脱出したりします。うっかり入部してしまった僕は、戦国時代の足軽さながらの日々を送りました。
青春をなげうって得た教訓は、2つ。「自分の中の壁を突破するのは、自分自身」ということ。それから、「現代において、甲冑で泳ぐシーンは、まずない」ということ。気づけば、高校三年の夏が終わり、大学受験は見事に溺れました。
進学校に通っていたくせに、とにかく勉強がきらいでした。特に英語。それはもう、洋楽の曲を、空耳アワーのように、すべて無理やり日本語で聞き取るくらいきらいでした。
しかし、浪人生活一ヶ月目に気づいたのです。「あれ?ここから英語が伸びたら逆にすごいな。」と。逆境こそ燃えるスタイルに火がついてしまったのです。
予備校に通い始めて、すぐにピーターというイギリス人講師と仲良くなることに。そのおかげで、苦手だった英語が劇的に成長し、たった4ヶ月で、僕はルー大柴になりました。モーニングからできるだけイングリッシュをユーズして、ジャパンのフレンズともトークしたのです。ミーもサプライズするほどスコアがハイになり、めでたく早稲田大学国際教養学部にトゥギャザーすることになりました。サンキュー。
ピンチはチャンス? いや、この時から僕にとって、ピンチは「クイズ」になりました。
ピンチに囲まれた苦しい状況でも、いかに楽しくおもしろく答えを見つけるか? 10代にして、僕はすっかり追い込まれ中毒になり、困難なピンチほど謎解きが楽しい性分になってしまいました。
大学2年になり、サンフランシスコへ1年間の留学をすることになりました。初めての留学。浪人時代をきっかけに、英語の虜になった僕は、ハウスシェアの家でも、暇さえあれば英語を勉強していました。当時の好きなフレーズは、「hella」でした。北カリフォルニアのスラングで「ごっつい」みたいな意味の形容詞です。テイラー・スウィフトの歌詞にも時々でてきます。西海岸からは、以上です。
勉強時間をなるべく確保するために立てた作戦は、「自炊をしないこと」。今思えば、なんという愚策なのでしょう。毎日の栄養源は、テイクアウトのジャンクフード。外食やパーティの時も、ほぼジャンクです。ピザ、ハンバーガー、フライドチキン、そして、謎のチャーハンのローテーション。
するとです。1ヶ月も立たないうちに、顔中に謎のデキモノができました。日に日に増えていきます。終いには、倦怠感と頭痛にも見舞われるように。そんな状態が3ヶ月以上も続き、肝心な勉強もまったく進まなくなりました。「ああ!こんな食生活は、ダメだ!」とハンバーガーとポテトを放り投げ、自炊を始めることにしたのです。
どうせ料理するなら!と思い、ルームメイトたちを食卓に誘ってみました。すると、どうでしょう。僕がつくるふつうの料理をみんなとても喜んでくれたのです。なんてことはない、白米と味噌汁、野菜炒めとか、そんなものです。「そうか!食は、栄養摂取と同時にコミュニケーションも生む。なんて素晴らしいんだ!」と思いました。
これ以降、僕は食卓をコミュニケーションの場にしようと考えます。気付けば、みんなで一緒に買い出しをしたり、料理をしたり、ごはんを食べたりが、生活の一部になりました。住んでいたシェアハウスの食卓には、だんだんと知らない人も集まり、毎回20人を越える多国籍な手料理ホームパーティーとして、人気を博す会になりました。
顔面のデキモノには苦労しましたが、そのおかげで、食卓がつくる引力、そして人をつなげる力を知ることができたのです。ありがとう、フライドチキン。ありがとう、ベーコンチーズサルサバーガー。
3年次にアメリカから帰国。将来について考えるようになりました。「自分にとって大切なことは、なんだろう?」と考え抜いた結果、選んだのはブラジルでした。首都サンパウロにある企業でマーケティングのインターンをすることにしたのです。
「今の自分がいる世界とまったく違う世界で挑戦しよう。そうすれば、もっと成長できるはずだ」と思ったのです。書類審査と英語のオンライン面談を経て、無事に採用されることが決まりました。
さて、ブラジルの公用語は、ご存知ポルトガル語。当初、英語ができればなんとかなるだろう!なんて気楽に考えていましたが、これが大間違い。予想は見事に外れ、ほとんどの同僚はブラジル人でポルトガル語しか話しません。会話がまったく成り立たず、ほとんど仕事ができない事態が発生しました。これは、まいった!
でも、そんな時、僕はいつもこう思うようにしていました。「ピンチは、クイズ」だと。ブラジルはサンパウロでも、謎解きが始まりました。解決策は、「弁当コミュニケーション」。アメリカ留学時に学んだ「食がつなげる力」をもう一度試してみようと思ったのです。
翌日から、自分で弁当をつくり、昼休みに言葉の通じない同僚たちのいるテーブルに混ざりました。そうです、無理やりです。ポルトガル語の辞書を片手に「これは日本人が大好きな牛タンです。おいしいです。」「それ、おいしそうだからください。」など、胃袋外交を何度も繰り返しました。
最初は怪訝な反応をされたものの、続けることが大切だ、と僕はめげませんでした。同僚のテーブルに毎日おじゃまするうちに、自然と仲良くなりました。すると、日常会話からローカルな言葉のノリまで、かなりわかるようになったのです。気付けば、仕事がまわり始めるようになりました。
*当時、一緒に働いていた同僚のブラジル人たち
「ごはんを共にすれば、言語も、文化も、世代も、壁なんてなくなる。ともすれば、ごはんの力で、世界さえもよくなるのでは。」僕は、またしても、食から生まれるコミュニケーションに救われたのです。
ブラジルから帰国後、単位をとりきれずにまんまと留年します。この頃になると、自分が大学生であることを忘れているくらいでした。すでに、実質二留が確定。さすがにそろそろ卒業しておこうと一念発起して、「全コマ授業+オンライン科目」の130%稼働により、無事に卒業が見えてきました。
そのまま就職してもつまらない!と考えた僕は、サンフランシスコで外務省のインターンをするプログラムに参加します。渡航は、卒業式の翌日でした。6ヶ月限定の充実したインターン生活は一瞬で終わり、アメリカから帰国しました。いよいよ人生で初めての就活が始まると思いました。
ステータスはただの新卒。でも、僕は海外ですぐに仕事をしたい、そう強く思いました。どうすればいいんだろう?と考え抜いた僕は、新卒と名乗ることをやめました。すでに業務経験豊富な転職者として「中途採用」を狙って、就職活動をはじめました。
すると、新卒で通用しなかった「25歳・海外勤務経験あり・英語可・ポルトガル語可」という履歴書が、転職市場では、なんと驚くことに、引く手あまただったのです。正直、人生で一番のモテ期でした。
その結果、念願かなって、某メーカーの海外営業職につくことに。英語とポルトガル語が評価されて入社したものの、なぜかパリと香港のプロジェクト担当者になり、フランス語と中国語に囲まれながら、充実した日々を送りました。オー・シャンゼリゼ。ものごとを深く考えてはいけませんね。この世界は、Don' t think, feel なんです。
海外営業として熟れてきた、2014年春のある日です。テレビを見ていたら、たまたまキッチハイク特集の番組に出会いました。そこで、共同代表の藤崎が言っていた言葉にとてつもなく惹かれたのです。
「みんなで食べることは、とても豊かなことです。僕たちは、この文化を世界中に広めたいと思って、キッチハイクを立ち上げました。」
その時、僕は、雷に打たれたかのような衝撃を受けました。一瞬で、キッチハイクのすべてに惹かれました。食で人をつなぐこと。何より凄いのは、すでに事業として実際に動いていること。世の中に存在していたこと。
留学時代に気がついた「食の引力」「人をつなぐ食」を見事に事業化したキッチハイクは、まさに僕の妄想が具現化されたものだったのです。
番組終了後、共同代表の山本・藤崎のインタビュー記事やブログを読みあさりました。2人の狂気とも言える哲学が伝わってきて、強く胸を打たれました。「どうしてもキッチハイクの創業者に会いたい。何かしらの形で関わりたい。」と思い、すぐにメールを出しました。
それから1週間後、英語の翻訳担当として、キッチハイクに関わることになったのです。
昼間は、海外営業の仕事があったので、キッチハイクでは、夜中や週末で翻訳やコンテンツ制作のお手伝いをしていました。週に数時間ではあったものの、キッチハイクのことをやっている時間、山本・藤崎と話す時間は、いつも刺激にあふれていて、最高に楽しかったです。
そんな日々を1年半ほど送りました。海外営業の仕事も安定し、小馴れた感じでプロジェクトを回すようになっていました。ふと、自分が一番なりたくなかった、ふつうのサラリーマンになっていることに気付いたのです。
昔は、挑戦しては壁にぶち当たり、乗り越えては次の壁にぶち当たり、また乗り越えてを繰り返していたことを思い出しました。挑戦こそ、新たな道を切り拓く唯一の方法。自分は何をしてるんだ!と自問自答をする日々が始まりました。
2016年の秋のことです。キッチハイクが1回目の資金調達し、採用を始めたことを知りました。僕は、いてもたってもいられなくなりました。このチャンスは絶対つかむしかない!と、共同代表2人を食事に誘い、唐突に言いました。
「僕を雇うつもりはありませんか?明日、会社やめてきます。一緒に未来をつくりたいです。」
2人は、とても驚いていました。それはそうでしょう、あまりに唐突だったので。でも、僕は、週末にキッチハイクの手伝いをしている頃からずっと、共同代表の2人がとてもまぶしく、羨ましかったんです。
自分もこんな人になりたい。世の中を良くしたい。世の中の人たちをもっと楽しませたい。笑顔でいっぱいにしたい。そんな夢みたいなことを叶えられる仕組みを作り出した、まさに理想の未来をつくっている2人なのです。2人のためなら、キッチハイクの未来のためなら、なんでもやる。これまでのことも、この日のためにあったのだと、僕は確信したのです。
そして、2017年3月。正式にキッチハイクの社員としてジョインすることになりました。
僕は、キッチハイクチーム唯一のセールス部門担当として、企業や自治体などとやりとりしています。
キッチハイクオフィスでは、毎日お昼ごはんをつくって食べる「まかない文化」があります。
ごはんをみんなで食べると、チームに一体感が生まれ、コミュニケーションも豊かになります。そんな毎日のまかないを経て、僕たちはあることに気付きました。会社というものは、いわゆる「B」ではなく「Cの集まり」だと。
CtoCサービスとして始まったキッチハイクでしたが、「B(Cの集まり)」向けに、ごはん交流会をお届けする「オフィスKitchHike」が始まりました。最大の特徴は、一般的なケータリングと異なり、「つくり手の顔が見えること・交流をつくること」です。
*キッチハイクチームのまかないランチ風景
オフィスKitchHikeが届けるのは、「おいしい手づくりごはん」にとどまりません。届けるのは、人気のCOOKさんが目の前でちゃんと料理をふるまってくれることによる、チームビルディング・コミュニケーションをつくる交流体験です。ありがたいことにたいへん評判よく、これまでに累計60社以上に導入いただき、述べ6,000人の方に体験いただきました。
先月には、「食×働き方」を学び合うごはん会コミュニティ「もぐもぐ働く研究所(通称:もぐ研)」を立ち上げました。オフィスKitchHikeを気に入ってくれている会社の担当者さんやオーダーを検討してくれている方などを中心に、毎月1回のミートアップを開催し、「食を通じて、もっと働き方をよくできるのでは?」など、おしゃべりしています。もちろん、ごはんを食べながら。
*オフィスKitchHikeをオーダーいただいたHDE,Inc.さんのワンシーン
会社の人とオフィスでごはんを一緒に食べるなんて!と思うかもしれません。
でもやってみると、すぐにわかります。社内のコミュニケーションが豊かになり、新しいアイデアや良い暗黙知が生まれたり、会社自体が明るくなったりします。そうです、いいことしかありません。
クリエイティブなチーム、スタートアップ企業、忙しい会社こそ、食でつながる機会が必要だと僕は考えます。「食事の時間が、栄養摂取だけでなく、コミュニケーション装置となること」は、まさに僕がアメリカとブラジルの職場で体感したそのものです。
2つめは、食をきっかけにしたブランディング&マーケティング事業です。
自治体や企業、生産者さんなど、地域や食材の魅力を伝えたい人たちと一緒に「キッチハイクコミュニティを活かしたブランディング & マーケティング」を行っています。世の中には、「おいしいけど知られていない」「リアルな声が届かなくて苦労している」という食に関わる方々がたくさんいます。
地域の食材や食文化、伝統料理などを切り口に、人気COOKさんたちと一緒にブランドPop-Upを作り上げています。昨年2月の徳島県徳島市を皮切りにコラボレーションさせてもらったブランドや自治体は、すでに10以上!
昨年の秋冬では、オーストリア政府観光局とコラボレーションしました。オーストリアのイメージというと、「クラシック音楽」「格式高い歴史文化」という、やや高尚なイメージがあると思います。
でも実は、カフェ文化が無形文化遺産になるほど充実していたり、かわいくておいしいスイーツが季節イベントに合わせてたくさんあったりと、カジュアルな食文化もあるのです。2018年の観光テーマがずばり「食」!ということで、カフェ・ワイン・クリスマス・バレンタインをテーマに全4回シリーズに渡って、オーストリアの食文化が楽しめるブランドPop-Upを開催しました。
また、この5月には、島根県松江市とコラボレーションしました。今回のテーマは、松江が誇る茶人不昧公(ふまいこう)の「不昧公200年祭」。シジミやジビエ、抹茶を始めとする松江の豊かな食材たちと一緒に、茶の湯文化を楽しめるPop-Upを全5回に渡って開催しました。
5名の人気COOKさんに登場いただいたこととテーマのおもしろさから、なんと、参加者募集とほぼ同時にすべての回が満席となりました。開催期間中は、日本酒発祥の地である島根の地酒をワイワイと飲みながら、連日たいへんな盛り上がりでした。
ブランドアカウントを担当する醍醐味は、なんと言っても、「密度高く、人をつなげられること」。料理をつくる人と食べる人だけでなく、国や地域を背負って文化を伝える人々、食材の生産者さんをもつなげることができます。ひとつの食の現場を作り上げるために、こんなにもたくさんの人達が関わっているのか!と実感できることは、本当に贅沢なことです。
この価値を伝えたいと思う原体験は、やはり自分が苦悩を抱えながら過ごしたブラジル・アメリカ生活にあります。食の体験を通じて、文化を知り、人を知ることができた留学時代の経験があったからこそ。僕は、これからもキッチハイク×ブランドアカウントを通じて、より密度高く人がつながることの価値をつくっていきたいと思っています。
僕の夢は、「孤食」をなくすことです。
アメリカ留学時代に身体を壊して、誰にも「助けて」が言えず、数ヶ月間毎日1人で食事をしていたことを思い出します。振り返ると、それがきっかけで「みんなで食べること」の価値を知ることができました。そして、自然と孤独から抜け出すことも。
食をきっかけに新たなつながりが生まれ、たくさんの素晴らしい出会いがありました。社会問題にもなっていますが、「孤食」には、いいことがひとつもありません。ワンコインあれば、1人でも手早くお腹を満たせる時代が続いていますが、それって良いことなのでしょうか。
「みんなで食べる」シーンを生み出すことは、さまざまな社会課題を一気に解決できる奇跡のような方法です。最終的には、文化・国籍・言語にかかわらず、世界中で食をともにすることが当たり前になり、格差も垣根も取り払われ、自然体で繋がることができる社会をつくり、この目で見てみたいのです。
一朝一夕で、形にならないことはわかっています。それでも、そんな世界が訪れるまで、僕は続けるんだと思います。世界を変える、社会をつくるということは、そういうことです。
僕は、キッチハイクのメンバーと一緒に覚悟を決めました。「みんなで食べること」が1秒でも早く当たり前になるように、これからも挑戦していきます。
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