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「“問い”はいつも現場にあるから」ー震災を機に被災地に移住した彼の情動とは

2011年、東日本大震災をきっかけに、当時勤めていた会社を休職し、岩手県大槌町へ向かった菅野祐太。
「被災地のために力になりたい」という想いで、震災によって学ぶ場所を失ってしまった子どもたちのために放課後学校コラボ・スクール大槌臨学舎を立ち上げました。

東日本大震災から、もうすぐ11年が経とうとしている。
今も大槌に軸足を置きながら、自治体や国の仕事にも携わる菅野に、その原点、覚悟に迫りました。

ーカタリバに入職されるまでのキャリアを教えてください。

大学卒業後は、リクルートキャリアへ入社しました。同期の多くが営業配属となるなかで、私が配属されたのは事業戦略や売上計画などを立てる事業企画室。プレッシャーはありましたが同時にやり甲斐も大きかったですね。2年目になると、今まで以上に会社の命運を握るような新規事業の部署へ異動することに。当時は残業も多かったですが、ますます充実した日々を過ごしていたように思います。


ー東京での会社員生活から、大槌町に赴くまではどのようなきっかけがありましたか。

転機となったのは、東日本大震災です。この日のことは忘れもしないです。夕方、執行役員との打ち合わせを直前に控えていたので、東京駅近くのビルで資料を必死でつくっている最中に被災しました。大きな揺れを感じたのですが、当時は地震の怖さよりも資料づくりが終わらなくてものすごく焦っていたことを覚えています。



とんでもないことになっていることを実感したのは、帰宅して、テレビをつけたときです。画面から流れていたのは、想像を絶するような災害の様子。言葉を失いましたね。祖母の家が岩手県陸前高田市にあったのでずっと気になっていたのですが、その日はまるで情報が入ってこなくて、2日目、3日目ぐらいでようやく被害状況を知りました。自分が祖母の家に遊びに行くときに立ち寄っていた中心街エリアが、甚大な被害を受けていました

それからは仕事をしていても「自分はこんなことをしていていいんだろうか」という気持ちがどんどん大きくなっていきました。その後、4月にたまたま陸前高田へ足を運ぶ機会があり、長い時間をかけてつくられてきた街が一瞬で消えていった風景を目の当たりにして。現実を受け入れるとともに「被災地のために力になりたい」という志が灯りました。

ちょうどそのタイミングで以前より親交のあったカタリバの今村亮から「学ぶ場所を失ってしまった被災地の子どもたちのために、学習指導と心のケアを行なう『放課後学校』を立ち上げたいから、協力してほしい」と声をかけてもらったことが、一歩を踏み出す大きなきっかけになりました。


ー実際に大槌に行ってからの取り組みはどのような内容でしたか。

子どもたちの居場所立ち上げに向けた、地元の教育委員会との打ち合わせ、PTAや子どもたちへのニーズのヒアリング、寄付してくれる会社との交渉までと、役割は実に幅広かったですね。

立ち上げまでの間には、コラボ・スクールを立ち上げる計画が白紙に戻りそうな場面もありましたが、なんとか開校にたどり着けました。そして2011年12月13日、公民館を間借りして放課後学校コラボ・スクール大槌臨学舎を開校できたときはひとまず安心しましたね。


ー菅野さんというひとりの人間の行動を大きく変えたカタリバの魅力は何だったんですか。

カタリバは大槌より先に宮城県の女川町に居場所を立ち上げていたのですが、その女川町での活動を見て実感したカタリバの魅力は、「個の課題と向き合っている」という点です。

震災で大きな被害を受けた女川町には、インフラの再建など、町全体として向き合わなければならない課題がたくさんありました。一方で、カタリバの支援は、もっとミクロな課題に寄り添っているように感じられました。たとえば学校を再開や子どもたちの居場所をつくるにしても、車は流され、交通インフラも被害を受けているので、通学バスの手配も必要です。そういったニーズを、被災された一人一人の話を聞きながら言語化し、行政と喧々諤々議論しながらサービスをつくっていたのがカタリバだったんです。

ーなるほど。居場所立ち上げのほかは、今はどのようなことをされていますか。

今は居場所立ち上げの他に、町の教育委員会にも関わっています。コラボ・スクールを立ち上げ、校舎長として着任して以降、地域の子どもたちの居場所として町との協働の在り方をずっと模索していました。その中で教育委員会など行政機関に提案をしたことも何度もありましたが、外野の人間が「◯◯すべき」「△△すべき」と机上の“べき論”だけを語っているように聞こえていたのか、ある日、教育委員会の職員から「菅野は大槌を背負うつもりはあるのか?」と問われたことがありました。

彼の問いをきっかけに自分自身の気持ちを見つめ直し、この地の課題にもっと深く踏み込む覚悟が決まりましたね。もう少し大きな構造から被災地の課題を捉え直せないかと考え、思い切ってコラボ・スクールを飛び出して教育行政、つまり教育委員会に入ることを選びました。

着任初年度は、町の教育方針となる教育大綱づくりに着手。行政機関だけで方針を決めるのではなく、町民も大綱づくりに加わることで地域の教育に少しでも関心を持ってもえるよう、議論のプロセスづくりを重視しました。

2018年度からは町唯一の高校である大槌高校の存続・魅力化に向けたプロジェクトに取り組んでいます。


ー菅野さんの仕事のフィールドは、大槌町内だけに留まらないとも聞いています。具体的な活動内容を教えてください。

はい、現在は、国の子ども向けの政策にも携わるようになりましたね。内閣官房長官のもとで開催された「こども政策の推進に係る有識者会議」に臨時構成員として参加したり、文部科学省の「コミュニティ・スクールの在り方等に関する検討会議」の委員を担当したりしています。

私は、多くの人に必要とされるサービスは「個」を起点に生まれると思っています。「1,000人が使うサービスをつくる」のではなく、「1人が本当に必要としているサービスをつくったら、その先に1,000人以上の潜在顧客がいる」という考え方です。

大槌町で起こることは、日本全国で起きている、もしくは今後起きる可能性があります。これまでに、実践型探究学習プログラム「マイプロジェクト」や、大槌高校のような生徒数や教員数の少ない高校同士がICTを活用して繫がり学びを深める「学校横断探究プロジェクト」などの立ち上げにも関わってきました。しかし、これらも全て、大槌の現場で「これは必要だ」と感じて取り組み始めたことが原点にあるんです

ー今後の目標について教えてください。

「教育専門官」という役割を経験して感じるのは、これからの時代に必要なのは“問いをつくれる人材”です。特に「どこに課題はあるのか」を見極めたうえで「どうやったら解決できるのか」を提案できることが非常に重要だと思っています。

だからこそ、“問いをつくることのできる人材”を育てていきたい。と考えています。

それに、“問い”を見つける力のベースは現場で育まれます。現場の視点を持ちつつ、俯瞰もしていくことで、目の前の状況を紐解いていくことができます。自分が“べき論”だけを振りかざす存在にならないためにも、これからも現場に身を置き続けたいと思います。

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