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根っこのベース力を育成する礼節研修

礼節って何かね?

「礼節って何かね?」

私Kemiが好きなドラマのシーンの台詞によく似ている。故菅原文太の声で脳内再生されそうな言葉だ。

思えばあの言葉も、とにかく謝ってことを済まそうとした五郎と純の真意を見透かしたタマ子の叔父が、言い放ったものだろう。

相手の状況を想像せず、とにかく謝罪することは誠意とは言えないのと同じように、相手が何をしたら喜ぶか、不快な気持ちにならないかを想像せずに、表面的に丁寧な行動をとることは礼節とは言えないであろう。

礼節は生きていく上で必須になる、いわばベース力の一つである。礼節とは何か、インビジョン流の礼節とは何か。

今一度、社内メンバー一同で考えてみようということで、オキシトシン講座で礼節研修をすることに至った。

さて、続きを見ていこう。

 

根っこのベース力を育成する「オキシトシン講座」

まずは、オキシトシン講座とはなんぞやというお話から。

2023年の5月から社内で実施しているのが、このオキシトシン講座なるもの。

一言で言えば「根っこのベース力を育成する講座&ワークショップ」。

水曜日の9:00〜10:00に、毎回テーマを変えて実施しています。皆で一緒にワークショップをやるっていうこと自体、オキシトシンが出るよねっていうひょんなことからこのネーミングが決定。

「根っこのベース力」、これがかなり重要なキーワード。
インビジョンが定義する根っこのベース力は、「心・技・体」の3つ。

細かくいうと5つの力、さらに細分化して60スキルまで定義しており、
何回も何回も考え直して生み出した、戦略人事チーム火起屋の血の涙の結晶だ。

職種スキルも大事だけど、どんな領域でも成果を出し・信頼を生む人には、この根っこのベース力が搭載されている。逆に言えば、職種スキルがあってもこの根っこのベース力がないと、ただの薄っぺらい「こなす人」。育成において、職種スキルを身につけるための研修なんかを優先してしがちですが、本来育成すべきはベース力なんじゃないかと思うわけであります。

オキシトシンやホルモン系についての詳細は、こちらのコラムからも確認できるので、要チェックだ。

 

礼節研修とは

礼節研修、より一般的な言い方だとビジネスマナー研修といったところだろうか。天下のGoogle先生で検索してみると、出てくる内容は

電話応対や身だしなみ、言葉遣いに名刺交換。なるほどなるほど、実にビジネスマナー研修そのものという内容ばかりだ。

ただ、言ってしまえば、これは木の先にある枝葉のようなもの、上っ面の部分ではないだろうか。

形式的な部分だけが丁寧でも、根っこの思想が雑であれば、いわゆるハリボテ状態。いくら枝葉や花や実が立派でも、根幹が安定していないと風で木そのものが吹き飛んでしまう。

逆に、根幹が安定していれば、余程のことがなければ、倒れることはないであろう。

木で大事なのは、根幹>枝葉であるように、礼節で第一に大事なのは、礼節をどう考えて、捉えていくかであり、第二に何をどうするかという順番が適切のはずだ。

 

なぜ、礼節研修を実施したのか

以前、社内で違和感ワークというものを実施した。

社会・業界・自社のそれぞれに対する違和感と自分の内側で、変化させたいことを3つ挙げて、世の中や業界、自社や自分と本気で向き合おうというワークだ。

その中の自社に対する違和感において、意外と多かった意見が「礼節」に関するものだった。

時間や期日の厳守やチャット周辺など内容は様々だが、自社に対する違和感として割と多く見られたという結果だった。

また、振り返りの中で、お客様に対しても礼節に欠けてしまった出来事もチラホラあったり…

17期の全社戦略キックオフのコラムでも述べたが、20期までにはインビジョンは「ごきげんなチームづくり東京都代表」になるのが大きな目標の一つである。

東京都代表を銘打っているのにも関わらず、礼節が不十分な状態でいいわけがない。

かの二宮尊徳も「道徳なき経済は犯罪であり経済なき道徳は寝言である。」という言葉を残している。

インビジョン流にいえば、「商売と道徳のバランス」であろう。商売で数値を掴み、道徳で心を掴む。心を掴むためには、人として当たり前である「礼節」が備わっていなければならない。

関わる全ての人を心を掴むために「礼節」について、いま一度考えてみようということで、このオキシトシン講座で礼節研修が設けられた次第だ。

 

ワークをやってみてどうだったか

ワーク自体はあまり堅苦しいさはなく、終始穏やかな雰囲気で行われた。

グループに分かれて行ったワークは、①礼節とは何か②具体的な行動の列挙③ボトルネックは?④改善策の提案という内容だ。

この中でも、とりわけ重要なのは①礼節とは何かだ。

まずは、一般的な礼節を取り上げて、そこからインビジョン流の礼節とは何かをそれぞれグループからの意見を持ち寄った。

 

インビジョン流の礼節の考え方

まず、一般的な礼節は「礼儀と節度」。礼儀とは「人間関係や社会生活の秩序を維持するために人が守るべき行動様式。」節度とは「度を超さない適度なほどあい」

つまるところ、「誰に対しても普遍的なものであり、節度によって調整するもの」というのがどのグループも一貫して出てきた考えだ。

次に、インビジョン流の礼節とは何か。ワークを通して明らかになったことは、「忠恕」がインビジョン流の礼節のベースにあるということだった。

「忠恕」とは、自分自身の誠実さとそこから来る他人への思いやりのことであり、『論語』にも出てくる言葉だ。

『論語』の中では、「仁」が最も重要であるとされていて、仁の中の基本が忠恕という位置付けとなっている。

現在の天皇陛下が50歳になられた時の会見でも、質問に対して「夫子の道は忠恕のみ」と孔子の言葉で答えてらっしゃった。

「忠恕」という言葉は普段の生活において、あまり聞き馴染みの無い言葉かもしれないが、この際にぜひ覚えて帰っていただきたいところだ。

 

オフラインとオンライン関係なく、生きていく上では忠恕が大事

コロナ前ではオフラインでの対面が当然であり、コロナ禍ではオンラインでの対面が増加し、コロナ後では、オフラインとオンラインの併用が当然になりつつある。

オフラインとオフラインのマナー、それぞれ何をどうするのかはもちろん大事だ。だが、忘れてはならないのが相手に対する「礼節」とは何かを考えることではないだろうか。

Aさんには通じるものがBさんには不快に思われてしまうなんてことは不思議ではない。相手ごとに礼節を考える癖がついていなければ、こちらが勝手に思う礼節を押し付けてしまうことになる。

それはもはや、礼節ではなく無礼に値する。相手のことを考えるというのは生きていく上でのどの場面でも必要不可欠な要素だ。

仕事相手・恋愛相手・家族・友達・初対面の人など生きていく上で、必ず様々な「相手」が存在する。

その相手によって当然自分の振る舞いや言動は、多少なりとも変わるはずだ。

ただ、一貫していなければならないのは、相手のことを考えること、思いやりを持つこと、リスペクトを忘れないこと(=忠恕)だ。

この部分が踏襲されていれば、その想いは必ずカタチになり、言動に現れ、相手に伝わるはずだ。

逆にこの根っこの部分をすっ飛ばした「これやっておけば喜ぶでしょ」はもってのほか。一番相手にモテない考え方だ。

仕事が出来るということは、関わる全ての人にモテている状態、喜ばせていると言っても過言ではない。

今の世の中に真っ先に必要なのは礼節と言っても差し支えないであろう。

他人と関わるのが容易になった今こそ、私たちは礼節、相手を思いやることを徹底的に考え直さなければならないフェーズなのではないのだろうか。

冒頭の「礼節って何かね?」という質問に答えるとするならば、「「礼節とは何か」と本気で想像し続け、行動すること」である。

自戒の念を大きく込めた上で、このコラムを締めたいと思う。

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