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「ぼくは養子」18歳男子高校生ケイタが考える”家族の定義”

私たちフローレンスは2017年某日、とあるお宅を訪ねました。特別養子縁組で2歳半の時に養子となった18歳の男子高校生ケイタ君(※仮名/年齢はインタビュー当時)に会うためです。 


養子という運命について既に整理のついている大人や、養子を迎えていかに幸せな家族を築いているかを伝える大人の声は比較的紹介されることが増えたものの、「養子となった子ども」本人の現在進行系の気持ちは、まだなかなか語られることがありません。


今回、NHKの番組でゲストとなった本人にお話を伺うことができました。


※NHKねほりんぱほりん「養子」の回 放送書き起こしはこちら!


※未成年のため氏名や画像についてはすべて仮名・架空のイメージで構成しています。


はじめに

インタビューに応じてくれた18歳の男子高校生ケイタ君は、乳児院から2歳半の時に現在の両親の元に迎えられました。現在の両親とは、特別養子縁組の手続きを経て、法律上も親子になったのです。

育ての親は当時不妊治療の過程で、実子を授かる可能性が低いことが分かりました。それでも子どもを育てたいと希望した夫妻が、児童相談所職員の紹介で初めて乳児院を訪れた時、たくさんの子どもが遊ぶ部屋で一人ふっと顔をあげ、夫妻を見てニッコリと笑ったその子がケイタ君だったそうです。

数ヶ月の交流期間の後「3人家族」の生活が始まり、ケイタ君は6歳の誕生日に両親からの告知で「血がつながっていない」ことを知ります。それから「養子」という運命を生きてきました。



—NHKの番組はTwitterやSNSで「泣けた!」「家族について考えさせられた」ってすごい反響でしたね。


ケイタ:びっくりしました。でも、出演を通して改めて自分を振り返るきっかけにもなったし、「自分は養子で親と血が繋がっていない」って言うと、よく「ドラマみたいな人生だね」って言われるけど、ドラマじゃなくて現実だよって。こんな家族もいるんだって紹介になったのなら嬉しいです。 


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「血のつながりが家族の証」という呪いに苦しむ小学校時代

—親しい人には養子であることを伏せてはいないようですが、確か、ケイタ君は担任の配慮ミスから養子であることがクラスに知られてしまって、それがきっかけでいじめられ、小学校時代辛い思いをしたことが…。


ケイタ:小学校4年生の時ですね。あの頃は自分自身も「養子である事実」を受け入れられずにいました。「自分は友達と違う」と誰に対しても壁を作って、引きこもってました。「親なし」といじめられたことで、さらに養子であることを前向きに捉えられなくなってました。


—小学校の道徳の教材で『血のつながっているものを家族と言う』と定義されたというエピソードにも、驚愕しました。


ケイタ:あっ…!て思いました。「うちは血がつながってないから、家族じゃない」って。だんだん殻に閉じこもって親とも距離を置くようになるし、悩みもどんどん抱え込むし……負のスパイラルでした。


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—その頃はご両親にも本心をオープンにできなかった?


ケイタ:育ててもらってるのに、「養子」だってことで僕が悩んだりいじめられたりしているってことを絶対に気づかれちゃいけないと思いました。これ以上迷惑かけられないみたいな遠慮と、とにかく育ての親を悲しませたくないという気持ちと、両方で。


悩んでいることやいじめの事実を知ったら、きっと親は傷つくだろう。自分が我慢すれば、家族を傷つけずに済む、って思って。親には笑っててほしかったし、自信を持っててほしかった。


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生涯の恩師との出会いが、クラスとケイタ君を変えていく

—小学校時代そんなに辛い時期があったのに、今は養子であることをオープンにできるまでになった、と。小中学校時代どんな変化があったのか、気になります。


ケイタ:まず最初の転機は、小学5年の担任の存在です。もうめちゃめちゃいい先生で!その先生のおかげで、いじめから解放されたんです。


担任になってすぐに声をかけてくれたんですよ。「4年生の時からお前いじめられてるよな。先生見てたよ」って。僕がはぐらかさないよう、いじめられている現場を押さえた上で。4年生の時は隣のクラスを担任してた先生だけど、ずっと見てて自分がいじめられてることに気づいてた。「見ててくれた」「分かってくれた」ってことが、何より救いになりました。


先生は授業をまるまるひとつ潰して、いじめについてクラスに問いかけました。いじめはその授業を境に、本当にピタリとなくなりました。


—素晴らしい先生に出会えたんですね。


ケイタ:子ども一人ひとりと向き合う先生で、生徒のいいところや頑張ったことを毎日たくさん発見して一日も欠かさず学級通信を出してくれるような先生でした。インフルエンザの時も休まずに!(笑)生徒同士が褒め合うこともとても大切にしてました。クラスの雰囲気もすごく良くて、控えめだった自分も、どんどん活発な子になりました。


—(ケイタ君が丁寧にファイルされた分厚い学級通信の束を見せてくれました。)ケイタ君の名前のところにキレイにマーカーがひいてありますね。


ケイタ:両親も毎日学級通信を楽しみにして、母は僕の名前を見つけるとマーカーしていました。頑張ったことや友達と色んなことに取り組む記事を見て、とても喜んでくれました。この学級通信は家族の宝物です。

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元プロボクサーから「今、幸せ?」と聞かれて

—小学校高学年で自分や周りが変わる中で「養子」だという悩みも解決していった?

ケイタ:中学に入るとまた新しい環境で、先生も友達もイチから。やっぱり悶々としてしまったんですよね。自分の名前や誕生日は本当なのか? 信じられないから、新しい友だちには僕のことは名前じゃなくて「名字」で呼んでくれって言ってました。名字だけは本当だから。


「自分は誰で、何をするために生まれたんだろう?」って、本当の部分がないみたいな自分が本当に嫌でした。やっぱり養子であるっていう部分とは折り合いがつけられないでいたんです。


—ただでさえ思春期は「自分って何者だろう」って悩む時期だけど、それがより深い感じですね。


ケイタ:でも、親と一緒に参加したあるイベントで、元プロボクサーの坂本博之さんに出会って変わったんです。これが2つ目の転機です。


※坂本博之…元プロボクサー。世界ランキング最高WBCライト級1位タイトル等多数。両親の離婚が原因で親戚の家に預けられた後、虐待を受けて児童養護施設で過ごした経験がある。養護施設の子どもや里子・養子の促進、支援を続けている。

ケイタ:番組でも紹介しましたが、坂本さんの講演後、偶然二人で話す時間がもらえて。その時に今までもやもや悩んできたことを全部話しました。


坂本さんはずっと耳を傾けてから「それで今、幸せ?」と聞いてきました。考えてみると「間違いなく幸せ」なんですよね。「じゃあ親はいない?」と続けて聞かれました。「親はいない、親はいる、どっちも正解だ」って思いました。だけど、何も不自由はない、自分は幸せだって。


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「親を大切と思う気持ち」をありのまま受け入れる

ケイタ:僕は養子で、親と血縁関係はないけど、今の家族は家族であるし、親は親。きちんと周りと同じ条件は揃ってるから、周りとは変わりはないって思って。坂本さんも「そうだよな。今いる家族に感謝だよな」って言ってくれました。


親を大事に思う気持ちは名前より誕生日より自分の真実だなって。ブレなくなったのは、この頃からです。親にありのままぶつかってわがままも言えるようになったし、めっちゃ仲良くもなりました。ワガママしすぎていい加減にしなさい!とすごく怒られることも増えて。笑 

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真実告知は小さいうちに親から直接聞いたほうがいい

—学校の先生だったり、坂本さんだったり、第三者の大人との出会いを通じてケイタ君は吹っ切れていったんですね。家族との関係に悩み自分のアイデンティティを探した小中時代。もしかしたら告知の時期はもっと早い時期か、うんと遅い時期が良かったのでしょうか。


ケイタ:個人的には、大きくなってから偶然知ってしまうとか大人になってから聞くより、できるだけ小さいうちに親から直接聞くのがベストだと思います。まだ色んなことが理解できないくらい小さい歳の時に言ったほうが、理解するのと受けとめるのを一緒のペースでできる。年齢が上になるほど、受けとめるのに時間がかかると思います。


知っていれば、例えば同じ境遇の家族同士の交流会などで相談できる機会も増えます。


とはいえ、誰でも多分「小学校中学年」で最初の壁にぶつかるんですよね。そういう時に頼れる大人がすぐ近くにいてくれた場合とそうじゃない場合で、だいぶ違います。


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同じ境遇の家族が集うコミュニティに参加する理由

—告知の時期は早いに越したことはないけど、実際に壁にぶつかる学生時代にいかに一人っきりで悩まないか、が大事ということですね。


ケイタ:うちは、養子縁組や里親制度などで家族になった、血のつながらない親子が家族同士交流するコミュニティに所属しているんですが、自分はそこで子ども側のリーダーとして、今後も何か手伝えたらと思っています。養親や養子ができるだけ自由に気持ちを話せる場に、自分がなりたいと思っているからです。「自分が正しいと思っていれば、それが答えなんだ」って伝えたいから。


—いつ頃からご家族で参加されているんですか?


ケイタ:養子縁組をした最初の頃からそのコミュニティに家族で参加してます。自分は子どものリーダーっていうのをやっていて、夏はキャンプに行ったり年間何回か講演会があったり、そういう時に子どもたちの面倒を見る役目ですが、養親からも養子からも、最近とにかく何でも相談されることが多くて…。


—へえー!ケイタ君にみんなが相談をしてくるの?


ケイタ:イベントに参加していたほとんど全部の親子と話したんじゃないかな。子ども達も、養親達も、本当に色んなことを相談してくるんですよ。対面もあれば、LINEとかもしょっちゅう。


そんな時、「不満はなに?不安はなに?」と全部聞くことにしています。小学校の恩師や坂本さんが自分にやってくれたように。養子や養親の悩みは普段の生活で人に簡単に話せないことも多いです。まずは話せることで安心できるかなって。特に子どもにとっては、親でもなく友達でもないから話せる、身近なお兄さんでいてあげたい。


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身近なお兄さんとして、同じ悩みを持った子の相談に乗る

—どんな相談があるんですか?


ケイタ:子どもサイドからは、養親や里親に「本当にわがままを言っていいの?」「自分の意見が言えない…」とか、「産みの親は自分が嫌いだったのだろうか」「育ての親に迷惑かけないで過ごさないといけない」って思い込んで悩んでる子もいます。


全部自分も経験のある気持ちだから、よくわかるんですよ。同じ悩みを持った子を助けてあげたい。


「子どもが嫌いで手放したわけじゃなく色んな事情があると思う。でも自分がやりたいことをどんどんやって幸せになることが産みの親にとっても育ての親にとっても、一番いいことじゃないかな」って年下の子達と話します。


きっと産みの親が望んでるのは、幸せな場所で子どもが生きてくれること。育ての親にとっては子どもが自己肯定感を持ってのびのび思い通りの人生を送ること。そして、親に甘えてくれること。


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子どもは親の見えない所で成長する。我が子を信じて応援してほしい

ケイタ:養親サイドだと「親じゃないくせに!ととても反抗的な態度を取る」とか「告知の時期はいつがいいか?」「実の親に会いたいと言われたらどうしたらいい?」といった相談から「子どものあやし方を教えて!」まで色々です。自分も分からないことばかりだから一緒に考えていきたいです。


ただ、親の見えない所で子どもは成長してる。そのためにはいい人との出会いや色んな価値観に触れる機会を逃しちゃいけないし、そういうチャンスに出会うには子どもが自分から動ける少しの勇気が必要。だから、いつも変わらず子どもを信じて応援してあげて欲しい。


—ケイタ君はこれからその団体全体のリーダーになっていくんでしょうね。


ケイタ:養子の子の気持ちをもっと発信していきたいって思ってます。


子どもはなんにも選べないんですよ。極端な話、この里親さんがいい!とも、育ての親から離れたいとも言えない。産みの親と育ての親といった大人に全てを左右されます。だからこそ、子どもの声を僕は大事にしていきたいです。


それから、一般の人がこうした団体のイベントに来るのもいいと思うし、もっと関心をもってもらえるようにしたい。養子縁組で家族になる人がいて、子ども達はこんなことを感じているよって知って欲しいです。


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今春から大学生に。恩師のような学校の先生になりたい

—(インタビュー当時)今、高校生活最後の春休みですね。新年度からは?


ケイタ:教員になるために、4月から大学で教育の勉強をしたいと思っています。養子も含めて子どもが色々な問題に最初にぶつかるのはだいたい小学校なので、そんな時に側にいてあげられる教員になれたら。子どもが自分から殻を破ることは難しいから、悩んでる子どもの殻を破ってあげるきっかけを作れるような大人になりたいです。小学校の時の恩師のように。


その先生は「話したい時はいつでも何時でも連絡してこいよ」っていう人で。今でも連絡を取り合っていて、進学が決まった時も携帯にかけたらすぐ出てくれました。すごく喜んでくれて、嬉しかった。 


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ケイタ:それから、児童養護施設にはものすごくたくさんの子たちが残されています。「子どもが欲しい」という大人が新生児ばかりに飛びついて、乳児院では3歳をすぎると受託率は激下がりなんですよ。施設で育つ子は突然18歳で社会に放り出されます。


こうして何不自由なく大学行って勉強することを楽しみにする自分がいる一方、施設の同じ歳の子はこの春からたった独りで生きてかなきゃいけないんです。児童養護施設を出たあとの進路はほぼ就労と決まっていて、大学等進学率は1割程度です。そういうのを、なんとかしたい。産んでも育てられずに子どもを施設に託さなきゃいけない親についても、サポートが必要なんじゃないかと思うし、中高での教育の中でも「妊娠」や「出産」の先にある、「産んでからのこと」を、今はちゃんと教えてないと思います。


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心の底から大事と思えるなら、それが「家族」。血のつながりは関係ない

—ケイタ君が活躍する近い未来、私たちフローレンスも色んな家族が生きやすい社会をつくる仲間でいられたらと強く感じます。さて、道徳の教材の家族の定義はおかしかったけど、ケイタ君が今思う「家族の定義」を最後に教えてください。


ケイタ:(長い時間悩んでから)家族とは、自分のことを一番に思ってくれる人。そして自分も一番大切に思える人のこと。心の底から大事と思えるなら、それが家族です。困ってる時に一番最初に帰りたくなる場所で、一番最初に助けを求める人です。今は、そう思います。


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一緒に泣いたり笑ったりもがいたりしながら「家族」になっていく

ケイタ:それから、一般に親というと子どもから頼られて、親は子どもを支える、育てるってイメージが強いけど、うちの場合は3人全員血が繋がらないから、親>子の関係じゃなく、親=子が平等な関係だと感じます。一緒に彷徨ったりもがいたりしながら成長してきました。そんな新しい関係の家族は、養子の家族だけです。自分にとって育ての親は、フツーに「親」と言うので終わらせたくない大切な存在です。親以上の親友です。


家族はそれぞれ、価値観もそれぞれってことにつきますよね。


僕は、家族皆で泣いた6歳の誕生日は鮮明で忘れられないし、忘れちゃいけないって気がしてます。泣いたり笑ったりしながら、家族になっていく。血が繋がっていても、血が繋がっていなくても、それが家族だと思うから。 

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「養子」という境遇だったからこそ、経験した気持ちを昇華させ、家族への感謝や愛情をしっかりと自分の土台にした18歳のケイタ君。ご両親にとってもどれほど頼もしい息子さんだろうと、家族の双方の愛情をしっかりと感じました。


実は、インタビューにはケイタ君のお母さんも同席して下さいました。終始ケイタ君の言葉に優しく相槌をうち、にこにこと笑顔を絶やさない姿が印象的でした。インタビュー中「初めて聞くことばかり」と、ケイタ君が堂々と自分の経験や考えを話す様子をとても眩しそうに見つめるお母さん。「遠くからでも近くからでも、あなたが望む距離でずっと応援しているよ」という温かな愛情が伝わってきたのも印象的でした。


ケイタ君が強く訴えたように、日本では年間4万人もの子どもが児童養護施設で暮らしています。様々な事情で予期せぬ妊娠をして出産に至った場合、児童養護施設にいったん保護されれば、ほとんどの子どもは施設の中で18歳まで集団生活を送ります。ケイタ君のように養子縁組で家族となるのは日本ではたった年間500組程度なのです。


一方、アメリカでは養子縁組の家族は年間12万組も誕生、子どものセーフティネットの役目も果たしています。


既に他の先進諸国では施設養育から家庭養育に完全にシフトしています。日本はこの分野では極めて遅れを取っているのです。


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二週間に一人、予期せぬ妊娠で出産に至った赤ちゃんが亡くなっている日本

日本で社会問題となっている子どもの虐待死ですが、子どもの虐待死の中で最も多いのは、「0歳0ヶ月0日」※(子ども虐待による死亡事例等の検証結果等について(第12次報告) |厚生労働省)。つまり、産まれた直後なのです。


フローレンスは妊娠期間からソーシャルワークを行い、予期せぬ妊娠で遺棄されたり虐待される赤ちゃんを救いたいと考えます。殺されてしまったり児童養護施設に保護される前に、子どもを家庭に繋ぐ手段のひとつとして「赤ちゃん縁組」を推進しています。そして、日本でも、一人でも多くの子ども達がケイタ君のように温かい家庭で愛情を受けて育ち、思春期にも一人で悩むことがないよう支援していきたいと思います。


フローレンスの特別養子縁組事業では、養親と養子、そして産みの親を継続的に見守り、困った時にはいつでも相談に乗ります。必要な時には行政との橋渡しもします。ケイタ君一家の拠り所であったように養子を迎えた家族同士の交流会なども積極的に行っていく予定です。


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ケイタ君一家にお会いして、新しい家族の形が「あたりまえ」になる日本が、目前まで来ていると感じました。

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