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こんにちは!株式会社EISHINです!
今回はEISHINメンバーインタビュー第5弾!エンジニアの荏隈一輝(以後、荏隈さん)にインタビューさせて頂きました!
アメリカ生活やフリーランスを目指すなど、様々な人生を歩んできた荏隈さん。飲み会では、乾杯の挨拶担当もしてくれる、EISHINのムードメーカーにお話を伺いました!
是非、最後までご覧になってください!!
《荏隈一輝(えのくまかずき)》
バックエンドエンジニア
1994年生まれ。愛知県出身。
第二のキャリアとしてエンジニアに。
EISHINには2020年7月に入社。
趣味は、バスケ、野球、カラオケ、洋画鑑賞。
荏隈さん、今日はよろしくお願いします!
まずは子供のころのお話から聞かせてください!
子どもの頃は、めちゃくちゃ大人しくてインドアでした。ゲームばっかりやってて、特に、図鑑をコンプリートするくらいポケモンが好きでした笑
小学校4年生の時に、父親の転勤でアメリカのテネシー州へ引っ越したのをきっかけに、明るく、社交的なアメリカンになりました笑
アメリカに行ってから、野球とバスケを始めてたのですが、周りの影響もあり、結構ガチでやってました。
アメリカは季節によって、できるスポーツが変わるので、夏は野球、冬はバスケを。
日本の部活のように、誰でもクラブに入れるわけではなくて、トライアウト制という入部テストに受かったら加入できるのですが、持ち前の運動神経で両方とも合格しました!笑
当時は、野球の方が得意で、州の代表をかけた試合にも出るほど打ち込んでいましたね。
アメリカでは授業の一環として吹奏楽があって、そこでトロンボーンをやったのがきっかけで、音楽も大好きになりました。
【アメリカで野球の試合中の荏隈さん かっこいいです!!】
すごい!!多才ですね!
いつ頃日本に戻ってきたんですか?
高校生の時に帰国して、日本の高校に編入しました。
アメリカ生活のおかげで人見知りもしなくなっていたので、学校生活にはすぐに馴染めたのですが、部活にはなかなか馴染めなかったです、、。
野球部だったのですが、強豪校でもないのに長い練習時間で、”そこ厳しいの?!”という理不尽な「日本の部活」の厳しさにカルチャーショックを受けましたね、、。
大学は早稲田大学スポーツ科学部に進学しました。アメリカ生活が長かったこともあり、大学名もろくに知らなかったので、受かったところで選んだかんじです、、。
大学ではフィットネス産業やオリンピックの経済効果などスポーツビジネスについて学んでいました。
大学では何か部活やサークルはやっていましたか?
合唱サークルに入ってました。テレビやCMにも出演するような100年以上の歴史のある有名サークルで、飲み会もほぼ0、多い時は週7で練習していました。
1回の演奏会で40曲ほど歌うので、歌詞と音程をひたすら覚えるので必死でした、、。笑
何か音楽に触れていたかったのと、卒業後にサークルでこれをやってたんだ!と胸を張って言えるようなことをしたかったんですよね。
でも、2年の冬で幽霊部員に、、笑
‘’紅白に出たい!”というサークルでの目標を2年生の冬に達成してしまい、燃え尽きました。
中島みゆきさんのバックコーラスとして紅白に出演できたのは一生の自慢です♪
すごい!!!
卒業後のキャリアについて聞かせてください。
就活は、大学3年生の夏からはじめました。
最初はベンチャーや外資系って”かっこいい!!”と思っていたのですが、サマーインターンを通して人材コンサルに興味をもって、コンサル系に憧れを抱きました。
3年の夏にガッツリ頑張って、コンサル系の中小企業から内定を頂いていました。でも、親から大手も受けてほしいと言われて、改めて4年生で就活を始めました。
改めて、自己分析してみると、人々が欲しいものではなく、必要なものを提供できる仕事をしたいと感じました。薬は人々にとって必要なもの!と、結局、新卒では製薬会社にMRとして就職しました。
そうだったんですね!「欲しいものではなく、必要なものを提供できる仕事」ってかっこいいですね!
聞いたことはあるんですが、MRって具体的に何をするんですか?
MRとは、日本語でいうと医薬情報担当者といって、医者に薬の情報を届け、営業する仕事です。
薬って製品としてつくられても、未知数なことが多い状態で世に出るんです。
実際に使われて蓄積されたデータやその分析結果、改めて出てきた製品の特徴や使い方を医者に伝えることが必要なんですよね。
文系からでも、基礎は会社で勉強できるし、後はいかに担当の製品を知っているかで、個人の努力次第なので、結果は出せる職種で向いていたとは思います。
でも、医者が相手の仕事なので、患者さんの相手をしていない空き時間にしか話を聞いてもらえないので、待ち時間が多くて、、、自分が動きたいのに動けないというのがフラストレーションでした、、。
転職しようと決めたのはなぜですか?
そんな時に、青森に転勤になって、、電車も1時間に1本、街の灯りも8時には消えるような超田舎で、初めに聞いたときは膝から崩れ落ちました笑
これからも全国47都道府県、時には離島にも飛ばされる可能性がずっとある中で、自分の住む場所や働き方は自分で決められるような仕事に就きたいと思うようになったんです。
それにはフリーランスで働くのが一番だなと。
今の時代はITスキルがあれば、個人でやっていけると思い、それならと、エンジニアになることを決めました。
最初は、本当に未経験からの挑戦だったので、オンラインサイトで独学で勉強していました。そんな時に、知り合いのつてで、副社長でエンジニアの巧さん(弊社CTO)を紹介してもらったんです。
今思って見ても、本当に運命だし、ツイていましたね、、。笑
それから、巧さんに、より一層しっかりとプログラミングを教えてもらうようになって
スキルアップしながら、個人事業主として仕事を振ってもらっていました。
その中で、巧さんから「EISHINで働かないか」と誘っていただき、入社を決意しました。
フリーランスで働くことを目指していた荏隈さんが、EISHINへの入社を決めた決め手は何だったのですか?
個人で仕事をやっていく中で、個人での勉強には限界があるなって実感したんです。
1人のエンジニアとして、もっと成長するには、近くにプログラミングに詳しい人がいる環境、自分だけでは挑戦できないことに挑戦できる環境に身を置くことが必要だなと。
それで会社というチームで働くことを決めました。
EISHINへの入社の決め手は、縁があったというのが大きいですが、
社長である大士さんをはじめとする会社を創っている人や環境に魅力を感じて、そんなEISHINを一緒に創りたいと思ったのが決め手です。
荏隈さんが考えるEISHINでエンジニアをやることの魅力って何ですか?
「自分の裁量を大きく持てる」ことです。
経験年数とかに関係なく、レベルの高い案件も振られるので、自走する力が求められます。でもだからこそ、日々色々なことに挑戦できるので、すごい刺激をもらえるし楽しいです。
あとは、「0⇒1のプログラミングができる」こと。
大きな企業にありがちな、<できたものの修正>ではなく、
<まだまだ造り途中の案件>をやることができるし、新しい機能をつくる、新しい技術を取り入れるなど新規開発をできるのは貴重な経験だと思うし、やりがいも大きいです。
どちらも、会社自体がスタートアップの規模感であるからこそ経験できることなのですね。
そうですね。
エンジニア特有なのかもしれませんが、自分のできることの幅が広がることで達成感が得られるので、
実務として日々どのような経験を積めるかはエンジニアとしての成長に大きく関わります。
やればやるだけスキルアップして、複雑なものが造れるようになるし、できることが増える。
やりたいことをやらせてもらいながら、日々、自分のエンジニアとしての成長を感じられる他にはない環境のEISHINだからこそ、ここまでスキルアップできたと思います。
まさにEISHINで「成りたい自分に為る」を体験されているんですね!
EISHINでは、あまり実務経験のない方もエンジニアとして歓迎していますが、入社してからのサポートなどはあるのでしょうか、、?
今まではリーダーの巧さんがひとりで頑張ってくれていた状況だったのですが、
ロードマップや教育教材ができてきていて、実際に新しく入社してきてもらった方たちには、それらを使ってレベルアップしていってもらっています。
先輩社員がすぐ横にいるので、分からないことを個人間で聞きやすい環境です!
なので、「経験がないから不安、、」という方も安心してください!!
【インタビュー中の荏隈さん】
荏隈さんのこれからの目標を聞かせてください。
まずは、日々、技術を磨いて、エンジニアとしてスキルアップし続けることですね。
やればやるほどまだまだだなと実感させられます、、。
そして、いつかは、自分のアイデアのWEBアプリケーションを造りたいです。
自分のエンジニアとしてのスキルが上がれば上がるほど、実際に造れる製品の難易度や複雑さも上がります。それまでの経験を元に自分で考えた代表作を造れたら、エンジニア冥利に尽きるんだろうなと思いますね。
荏隈さん、今日はありがとうございました!!
最後までお読みいただきありがとうございます!
EISHINでは現在、一緒に働きたいと思ってくださる方のご応募をお待ちしております!
ご興味をお持ちいただいた方は、お気軽にご連絡ください!
それでは次回の投稿もお楽しみに!