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田舎を出て、田舎に帰る

知らずに出る。

北海道の浦河町で工務店を承継するにあたって、元々僕は不安しかなかった。

 僕は建築を学んできた訳でなく、土木を学び、土木を仕事としてきた。田舎を飛び出るために高校進学の際に土木を選んだからであり、土木と建築の違いをわからなかった末である故であるが…

 田舎を出たのは魅力知らなかったからであり、工務店を継ごうと思っていなかったのもよく知らなかったからである。隣の家の芝はよく見える。自分の欲求をある程度満たしたとき、すべき事を自分なりに死に物狂いでやった結果、仕事、働く事にやり甲斐を感じられなくなった。この工事をなぜするのか?なんのために?自分がたずさわる工事が『無駄な公共工事』と思われ、死に物狂いでやる価値を見いだせなかった。こんな大金(税金)がつぎ込まれるのに、地元の人が望んでいない。しかも、発注者の所長が「なんでココにつくっちゃうかなぁ」なんて言っちゃう工事。じゃあヤめろよ!

気づいたので戻る。

 そんな折り、父がケガをしたというので、実家にもどってきた。「帰って来ないのか?」。初めて聞いた。それまでは「お前の人生だ。好きにすれ」。だったが、父が55歳、僕が31歳、やはり老いてきたのかと勘ぐった。だが違った「帰ってくるなら、コウジ君を会社に入れる」と続いた。コウジ君とは、僕の1歳上で中学時代野球部の先輩であった。近隣都市部で建築を学び、就職し、地元にもどり建築をずっとやってきていた。会って話してみてだなと言う事で、一緒に飯を食べながら色々な話をした。お互いこれまでのやってきたことや今の業界の現状そのまま飲み屋(これぞスナックってところ)へ移動した。そこにウチで建てさせてもらったお客さんがいた。そのお客さんに「父さんがやっていることを見ろ、すごいことをやっているんだぞ。こんなウチが欲しいと言ったのにそれ以上のウチ建ててくれるんだぞ」。と言われた。『求められて、それ以上の事をする』。ココにあるじゃないか、求めていたやり甲斐が。

 現場をもっていたので終わらせて、33歳になって帰ってきた。今から10年前である。その時、町内には工務店が17社あったが現在10社と減っている。 人口は14329人だったのが12032人(2020年4月末現在)である。人口も確実に減っていいるが、この業界の減り方がより早い。それはちょうど現在の50代がいないという構造であることが要因と考えられる。バブル期の青田刈りによる地方のハゲ山化である。

 この状況下も踏まえて帰ってきた。今年僕とコウジ君は43歳、44歳。今後30年以上存続させる事を考えながらやってきた。10年経たないうちに工務店は5社以内となる現状だが、人口は10000人を維持できているのではないだろうか?この業界人を増やし・維持していかなければ仕事量に対して、施工する側が足りなくて仕事を余してしまって、都市部の業者に持って行かれる。仕事に事欠かない状況ではあるが、憂いべき状況なのだ。


 このコロナ禍もあり、この田舎における安全度は実証され、安心して暮らせる。After/Withコロナではリモートもかなり進んでいき、学びにおいても不安が取り除かれて行くのではないかという状況なので、三密とは真逆の自然と濃密な田舎暮らしどうですか?

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