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年商28億の八百屋「八百鮮」の縁の下の力持ち!創業までの道のりと想いとは?

ーーー本日は株式会社八百鮮副社長岩崎さんにお越しいただきました!よろしくお願いいたします。

お願いします!岩崎です!

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【岩崎譲】
1983年9月生まれ、京都府出身
大学時代に八百鮮社長である市原と出会い、「喜ばれ自分も喜ぶ」というゼミの活動理念に共感を受け起業を志すことになる。
2006年新卒で大手情報通信の会社に就職し、拠点営業1年・本社人事労務を3年経験し社会人としての基礎を学ぶ。その後、名古屋の地場スーパーにて社長の市原と共に働き、2010年に大阪・福島にて八百鮮を創業。
八百鮮では八百屋→肉屋の立上げを行い、現在は主に本部で実務を行いながら、陰から皆を支える役割を担う。
好きな野菜はトマト・玉ねぎ。
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起業は怖い!社長市原との出会いから八百鮮誕生秘話


ーーーでは、早速ですが社長である市原さんとは大学の同級生だとお聞きしました!


僕が2回生の時に、3回生の市原に大学のゼミ活動の中で出会いました。もともとそのゼミでは、福祉に経営の視点を入れようという活動をしていました。学生が中心となって200人くらい集めてシンポジウムみたいなのを開いていました!当時そういう活動は珍しかったと思います。

市原には当時から尊敬の念があります。なんとなく起業したい、カッコいいって言ってる人は周りにたくさんいたのですが、彼は違いました。今から15年前に、本気で起業をしたいと言っていました。考え方や行動が他の学生とは全く違いました。

しばらく活動した後、この活動をゼミで終わらせないためにNPO法人を立ち上げ、そのプロジェクトメンバーに選ばれたのが、僕と社長の会社経営の始まりです。2人とも立候補しました。笑

NPO法人は、非営利団体で利益を追求しないので、なんでやるのか?のビジョンがとても叫ばれるものでした。お金儲けではなく、なぜやっているのか?を毎日話す機会があって、学生の目線なりになんでこの事業をやっているのか、私たちがやる意義みたいなところをめちゃめちゃ考えたんですよね。

やっていることは今と違いますが、お金や売上じゃなくて、「想いや理念」の部分に重きをおこうという考えはこの時にできた概念です。

お金はなくても、”感謝される喜び”の成功体験があるとやっぱり人ってすごく感動するんですね、ある日自然と涙が出てきたことがあって、同じ理念や考え方をもった仲間と一緒に一生こういうことしてたいな、と思いました。


(大学時代の岩崎さん(写真右)と市原さん(写真左))


ーーー八百鮮さんのアツい想いの原点は学生時代なのですね!そしていよいよ八百鮮の誕生でしょうか?

いえ(笑)そこから、僕も社長も新卒で普通の会社で入ります。

正直、怖かったんですよ。NPO法人の時、学生だから許されてるところは感じていたので、「上の人と同じ土俵に上がらないと」と常々思っていました。やっぱり、実績を残した人の言葉って聞いていて重みがありました。

もちろん起業してうまくいってる人もいるけど、僕は自信がなかった

社長が卒業する時に、「新卒で会社員として働いてください」と提案しました。将来は一緒にやりたいと思っていましたが、まず実績を残してから起業するというのが前提でした。


ーーー会社で働いてみてどうでしたか?

この時代にありとあらゆることを、とことん叩き込まれました。僕の同期は新卒で250人ほどいて、3年目で20人しか残っていないような会社でした(笑)

八百鮮では、僕はどちらかというと現実に起こる”実務部分”を担当していて、人事総務、経理、経営戦略・予実管理などの実務業務全般を行っているのですが、社会人の基礎としての経験がなかったらできていなかったと思います。

社会人1年目は新規営業、2年目から大阪から東京の本社に移動して、人事として労務や人事制度などを担当していました。


ーーー250人中20人!?過酷な環境だったんですね......ここまで来たら、ついに八百鮮の誕生でしょうか?

いえ、まだです(笑)新卒で約4年間働いてから、そのあと1年ちょっと市原が働いていたスーパーに転職して2人で働きました。4年働いても、起業するための同業他社のビジネスモデルを知らないとやっぱりまだ怖かったんです。


(お仕事中です!)


ーーースーパーで働いていたということは、八百屋という事業の構想はあったのですね!いつから構想していたのですか?

八百屋の構想は市原が思いつきました。市原は、新卒で2年人材会社にて働いて、その後転職したのが、一緒に働いていたスーパーを経営している会社でした。サービスを売るのではなく、物を売るっていうことは、何百年前から行われていて今も変わらないものなんです。そして、誰でもできる。そういう商売に面白みを感じて、「八百屋をやりたい!」とある日突然市原から電話がかかってきました(笑)

そして、今から10年くらい前に3人で始めたのが、八百鮮の創業秘話です!


ーーーおお!ついに八百鮮誕生ですね!ということは、10周年!すごい!

いやいや全然すごくないですよ。

やろうと思えば、この八百屋ビジネスは誰でもできるので、「本当にやるのか」「やらないのか」の本当に覚悟と気持ちの差だけです。

単純で何も難しいことはないです。笑


ーーー創業当時はどうでしたか?

こういう質問で苦労話とか話せればいいのですが、僕の場合、大変だと思ったことがないんですよ。企業をして、本当に自分の好きなことでやってるので、大変なことも”幸せだな”と思っていました。今でもその思いは変わっていなくて、自分の好きな仲間たちと働きたくてやっていることなので、苦労とは思わないです。みんなに苦労させたくないなとは思いますけどね

まあぶっちゃけ、創業資金はなかったので、それなりに大変でしたが(笑)

創業当時は自分たちの給料ほぼほぼ取らないで、社員の給料を払っていました。前職の給料の3分の1以下なりましたが、それでも幸せでした。

ただ、社長と起業するときに、「30歳までに軌道の乗らない場合は潔く八百鮮を辞めましょう」と起業前に伝えて、敢えて自分たちで退路を断ち、やるべき期限を決めて起業したことは良かったのではと思っています。

社長は、、なんじゃこいつはと思ったでしょうが(笑)


(アー写風!)

売上はどうでもいい!?八百鮮への想いとは?


ーーー八百鮮さんといえば「八百屋を、日本一かっこよく。」という理念が印象的ですが、理念はいつ頃できたのですか?

実は、今のビジョンは2019年の10月にできました。

もともとビジョンありきの会社ではあったのですが、売上と利益がないと続けられないので、ビジョンを無視して突き進んでいた時期も正直ありました。ただそうするとスタッフの方向性がどうしてもズレてくるんです。

当時、僕も市原も悩んでいて、辿り着いたのが今もバリューとして残っている「感動ある人生を共に生きる。」です。

感動っていろいろな定義があると思っていて、僕と社長の中での感動も違います(笑)

でもそれでいいんです。八百鮮の仕事を通じて人それぞれの感動を求めて、仕事が楽しいもんなんだと思ってくれれば。

でもうちの従業員の中で、どこで感動するかを掘り下げると、”自分より、下の子たちが一生懸命やってて結果を出すと感動する”というのが共通キーワードだったんです。

それであれば若手に任せてそれが成長して結果を出すというのが会社の成長の原点なんだなと思いました。そういう場を作るのが僕が会社でやる役割。手を引っ張りはしない、こっちこっちって手を差し伸べています。

八百鮮は、人に対する投資は怠りません。昔は僕もそうだったのですが、採用って後回しにしてしまう会社が多いのが現状です。

ですが、5年後に今の新卒が八百鮮の中核となる人物になるように育てないと、八百鮮としての存在価値はないなと思っています。

今の新卒が5年後も同じことしていたらおもんない、それだったらただの普通のスーパーになってしまう。つまり、人の成長が会社の成長と位置付けて採用をしています。

だから僕たちは店舗をどんどん増やしています!みんなが成長する方法って、新しい箱を作って課題にぶつかって、乗り越えることなので。売上は2の次です!

僕は、一度も売上で感動したことはないんです。それよりもメンバーの成長の方が嬉しいです。僕がいちばん売上どうでもいいと思ってます(笑)


(ビジョンマップ)


ーーー最後に、社員へのメッセージはありますか?

一番は家族に誇れる会社であって欲しいと思っています。

うちは八百屋だけど肉や魚も扱っているのですが、人に言った時に、え?って言われることもあるんです。けど周りの人に対して「八百屋って、かっこいいやろ?」って胸を張って言い切って欲しい。自分の仕事に誇りを持って欲しい。八百鮮を誇って欲しいのではなく、自分の仕事に誇りを持って欲しい。そのくらい自分の仕事には価値があるんだよと思って八百鮮で働いてもらいたいと思います。

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