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松下の社会人人生を振り返る~中篇/株式会社Cloud Soft #20

どうも。クラウドソフトの松下です。
私の自己満足100%でお届けする、振り返りという名の主に黒歴史披露ストーリー、中篇でございます。

1社目をうつ状態からの休職→退職となった後、どうなってしまうのか?どうもならんだろ。
少しだけ時系列を遡り、休職中の話からスタートです!

間章①:休職~退職~はじめての転職(6ヶ月)

2015年に「うつ状態」と診断され、休職期間に入りました。
当然、診断されたということはメンタルクリニックへ行ったわけですが、その事に対する周囲の反応は人それぞれでした。

幸せな話で全員心配してくれていました。本当にありがたい。
ただ、精神疾患ということを病院から突き付けられてしまう可能性に対して、友人からかなり反対されました。曰く、そこで診断されたらますます弱ってしまうと思ったからとのこと。
お前は私のパートナーか。私が女性なら100%惚れてるよ。求婚するところだったわ…

話を戻すと、それまでの私は自分をストレスに強い方だと思っていたので、既定してきた自身に対してのとどめの一撃となりかねない、ことを心配してくれていたんですね。アイデンティティの崩壊までいくと大袈裟かもですが。
結果として、家族からの強い言葉もあったのと、私自身ケリをつけたい気持ちがあったので診断を受けたわけですが、結果として友人の想像は現実となりました…(詳細は後篇にて)
それでも、あの時病院へ行っておいて良かったと思ってます。今だから言えることかもですが。

さて、休職期間に入った私の症状ですが、分かりやすく「無気力」と「寝たきり」でした。
布団から出る気力が湧かず、食事やトイレ、入浴以外は常に布団にいました。
あれほど好きだったアニメも全く見なくなり、この頃はゲームも全くしませんでした。本当に私か?

とはいえ、1日中寝てられるわけもありません。もともとショートスリーパーですからね。
そんなわけで、あてもなくスマホでネットサーフィンをする日々だったのですが、あるとき転機が訪れました。

冷静に考えれば違法アップロードなのですが、「細かすぎて伝わらないモノマネ選手権」のアーカイブを動画サイトで見つけました。それまで面白いという評判を聞いたことはあれど、一度も見たことがなかった私は特に考えもせず再生ボタンをタップしました。(違法視聴、ダメ絶対)

数ヶ月ぶりに心から笑った気がしました。本当に、泣くほどに笑いました。
翌日、顔が筋肉痛になってたので、表情筋が長らく動いてなかったんですね…

本当に面白かったんです。
よく言われることですが「笑う」ことって本当に大事で、そこから気持ちが前を向きはじめました。
それからは少しずつ外出などもできるようになり、自然とゲーム等でも遊べる(楽しめる)ようにもなっていきました。
ちなみに、休職期間中も友人たちはこれまでと全く変わらずに私と接し、飲みや遊びに連れ出してくれました。本当に私は良い友人に恵まれました。愛するしかない…
※その後、1社目はあっさり退職しました。特に引き留めもなかったね(笑)

そして、再びの転機が2016年4月に訪れます。友人と2人で1泊2日の旅行へ行ったときのことです。
旅行に関しては美味しいものを食べたり、レンタサイクルで街を駆け回ったり、水族館で幼稚園児よりもはしゃいだりと大変楽しかったです。今も変わんないなw

旅行の工程を終えて千葉へ戻ってきた後、飲みなおしがてら二人でクラブへ繰り出しました。
…オブラート包んでもしかたないか。キャバクラですね、はい。

間の話は割愛しますが、2人で40万円使いました。そして全額私が払いました。なんで???
そして気付きました。「貯金無くなるわ」と。アホ過ぎる…

そうして後日、私ははじめての転職活動をスタートさせるのでした。生きるために!!

2社目:生産管理 ※在籍期間2ヶ月

はじめての転職活動ですが、正味1ヶ月で終わりました。貯金が尽きなくてよかった…
ここでの転職活動時にも中々起こり得ないドラマがあったのですが、これまた別の機会に…

2社目ですが、セールスプロモートを行っている会社でした。
入社時で上場を果たしており、過去私が在籍した企業で最大の規模を誇ります。

1社目で営業に楽しさを感じていた私は、営業職希望で転職活動をしたのですが、前職での企画や管理経験を活かしてほしいと、2社目のスタートは生産管理部の配属となりました。(部門はエンタメです)

とまぁ、こんな感じでスタートを切ったわけですが、タイトルにもある通り2ヶ月で辞めました。
だって、毎日座ってるだけでなにもなかったんですもの!泣

上記は誇張でなく、2ヶ月間、私には具体的な仕事はなに一つ割り振られませんでした。
座ってるだけでお金貰えるなら~と思えればよかったのでしょうが、私には無理でした…
在籍期間内の私の成果物は、自発的に作成した作品ごとの分析データと、暇すぎてwikipediaで収集したベ〇ータの蘊蓄だけです。ギャ〇ック砲の名前の由来(俗説)とかね。嘘のようなホントの話。

営業をやらせてほしいとか、手伝えることはないかとか、当時の自分が考え得る範囲ではありますが、現状を変えるための改善行動はかなり起こしたと思います。
実際、短期間ながら積極性は磨かれたのではないかなと。

が、力及ばず状況は変わらないまま。
「このままでは違うベクトルでストレスを溜め込んでしまう」と感じた私は、早すぎると言われながらも2ヶ月で退職する道を選びました。

当時の選択に後悔はないのですが、例えば精神状態の安定している私が入社したらどうだったのだろうかとたまに考えます。たらればの話をしても意味がないですが、もう1週間待っていたら転機が訪れたかもしれません。或いは、もっと余裕があり広い視野を持てていたらどうだったのでしょう。

何が言いたいかというと、実際にどうなったかはさておき、私が入社したタイミングも悪かったのではないかなと今は思ってます。
人によって見え方・捉え方は変わるもの。
当時の私には縁遠い会社に感じてしまっただけなのではという話でした。

3社目:営業職 ※在籍期間3ヶ月

2社目を早期退職した私は、早々に転職活動を開始しました。
なぜかというとお金がないから。世知辛いね(自業自得)

転職活動中に、私が生涯のワンオブザベストに必ず挙げるであろうゲームと出会い、5日間部屋から出てこなかったというエピソードもありましたが…これは語るまでもないな、うん。

3社目は「今度こそ営業をやる!」と意気込み、希望通り法人営業を主軸とした会社へ入社しました。
営業と一口にいっても様々な種類があるわけですが、ここではインバウンド広告営業になります。

当時はコロナウィルスなんてものはなく、東京五輪の開催も控えていました。
つまりは、訪日観光客が最も多かった時期です。たぶん。
そういった訪日観光客の方々を誘致する・来店しやすくするためのサービスの紹介や、お店や企業様の目玉商品を海外の潜在層に向けて自社サービスを用いて売りませんかとプレゼンしたり、その販売サービスのHPへ広告を出しませんかと営業したり…などなど。

上の文を読んで、コロナ前の当時なら可能性があるように感じますか?
そう感じた方は詐欺などに引っかからないように注意してくださいね。

たしかに、言ってることそのものは的外れでないかもしれません。
ですが、具体性が皆無なんです…。絵に描いた餅。机上の空論。甘美な夢。砂上の楼閣。etc…

実際、私が営業していた時点では肝心要のサービスがありませんでした。
そんな状態でも新規を開拓できるだけ開拓して来いと指示が下りました。
重機なんて贅沢は言いません。せめてクワの一つでも欲しかったというのが正直なところです。

タウンページを開きながら、毎日数百件のテレアポ。
お話を聞いてもらえればよい方で怒鳴られることも珍しくありません。
たまに商談の機会を貰っても「何しに来たの?」と心配され、外出したならと通り道のお店へ飛び込み営業の指示。「アポなしとか巫山戯るな!」と物を投げられたこともありました。

「なんの成果も得られませんでした」と帰社すれば、容赦なしに𠮟責が飛んできました。
目標という名のノルマ達成のため、電話が繋がらなくなっても終電までメールを送り続けました。

流石にお気付きの方も多いかと思いますが、ここがこれまでの私の人生におけるどん底です。
電車内で唐突に涙が零れてきた時、内側から亀裂音が聞こえた気がしました。流石に当時は辛かった…
ちなみに給与に関しても過去最低賃金でした。泣きっ面に蜂。私に救いはないのか!汗

電車内で泣いたことで、このままでは心が壊れると確信した私は、翌日から仕事をなげうって転職活動に邁進しました。
そして、これまた幸運なことに早々に転職先が見つかり、すぐさま退職を申し出たのでした。

…いやー、文字に起こすと重いわ!w
実際にお話するならここまで重苦しくならないと思うのですが、想定外でした。

なかなかヘヴィと思われる話を書いてしまいましたが、すべて現実です。It's Non-Fiction! HAHAHA!!
ただ、幸せとはいえないまでも不幸ではなかったのではないかと思ってます。思うようにしてます。

辛い点ばかりをピックアップしましたが、新規開拓の経験はそれまで既存顧客との営業が中心だった私を確かに成長させてくれましたし、プレゼンのスキルも多少磨けました。
一番に得たものはスルースキルですかね。そうしないと心を保てなかったのもあるでしょうが、土壇場でよいスキル・アビリティが目覚めてくれたと思ってます。

できれば今後の人生でこれ以上の艱難辛苦と遭遇したくはないのですが、もしそうなってしまった時、この時の経験に救われるなんてこともあるのかもしれませんね。遭遇したくないけど💦

さて、3社目を2016年12月で退職し、2017年1月から4社目に突入します。

ちなみに、この中篇は4,000字ほど。良いペースですw
当たり前ですが、後篇がラストです。よろしければ最後(現在)までお付き合いくださいませ!

後篇へ続く

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