■自己紹介
=====================================
村上 聖太郎(むらかみ しょうたろう)
大学卒業後、大手ハウスメーカーの新築戸建て営業職として2年間従事。
その後地元大阪から東京移住をきっかけに2021年7月にヴィジョナリーへ中途入社。
3カ月間のスカウト業務に従事した後、
CA(キャリアアドバイザー=個人営業)として従事しています。
大阪で24年間過ごしてきましたので、東京でも地元愛を忘れずにゴリゴリの
関西弁でアイデンティティを発揮しております(笑)
=====================================
■前職の退職理由は?
退職理由は、自分自身をもっと成長させることが出来る環境に身をおいて、市場価値を高めたいと思ったからです。前職大手ハウスメーカーでの配属部署は、自分の父親くらいの年齢の人達ばかりで、同世代の仲間は一人も在籍していませんでした。
その分、凄く丁寧に業務を教えていただき、頼れる上司や先輩方がいつでもフォローしてくれる環境でありましたが、一方で自分自身が成長しているという実感がなかなか持てず、焦りを感じるようになりました。
「今の環境のままでいいのか?」「同世代と切磋琢磨できる環境に移った方がいいのではないか?」そう何度も自分に問いかけていました。
そんなことを考えているときに、退職を考えるきっかけとなる出来事がありました。それは、契約をしていただいたお客様とお金を絡んだトラブルとなってしまったことです。マイホームはお客様にとって一生に一度買うか買わないかというくらい大きな買い物です。
私を信頼して契約してくれたお客様に対して一生懸命に対応していたつもりではあったのですが、私のちょっとしたミスで大きな事態に発展してしまい、徐々にメンタルがすり減り、その時これまでの人生において初めての挫折を経験することとなりました。
「適応障害」と医師に診断される程の精神的なダメージを受け、自分の中で休職をするか転職をするかの2択に迫られたときに、これまで自分に何度も問いかけてきた迷いを振り切り、今が行動に移すときだと考え、退職を決意しました。
(大阪難波に住んでいた頃の写真)
■なぜヴィジョナリーを選んだのか?
タイトルにもあるように、私のWillを一番応援してくれる会社だと思ったからです。私は前職を退職し、漠然と「スピード感のある業界で成長したい」という思いで、転職先が決まる前にも関わらず、大阪から一人東京へ上京してきました。当時の転職軸は、「Willを叶えられる環境があるかどうか」でした。
転職活動中は、こんな無力な自分を拾ってくれる会社なんてあるのかと思うほど、ネガティブな気持ちもありましたが、自分が近い将来こんなWillを成し遂げたいという、そのポジティブな想いだけは面接で伝えようと心に決めていました。
そんな中でヴィジョナリーと出会い、私のWillにこんなにも共感してくれる会社があるのかと、ものすごく感銘を受けたんです。
面接の場ではWillを大切にしている理由にも深く共感いただき、私のWillを達成するためにどうしたら良いかを一緒になって自分事のように考えてくれました。恥ずかしながら面接中に涙してしまうくらい心が動かされたことを今でも覚えています、、、(笑)
そのうえで「私のWillを応援する」と言っていただいたことが決め手となり、ヴィジョナリーへの入社を決意しました。
(都内でリモートワーク中の村上さん)
■村上さんのWillは?
私のWillは、母と一緒に地元大阪でスナック店を開業することです。
開業の形態としましては、私が経営者となり資金的な工面や経営判断を下し、母には「地元で人気な明るくて陽気なママ」として現場で楽しく働いてもらうというものです。お店の場所や規模感、コンセプト、開業時期などは現在計画中ですが、母が元気に働ける間に必ず実現したいと思っております。
■なぜそこまでしてお母さんのお店開業を支援したいのか?
私の話と私から見た母の話2つの観点でお話いたします。
大阪で育った24年間はとても環境に恵まれ、家族、友人、恋人、いろんな人たちに支えられてきました。
(母について、以下オカンと呼びます。)
そんな長年育ってきた大阪を離れることで、上京した当初は大切な人との関係性に距離を感じることも多々あり、いかに自分が恵まれた環境だったかを再認識しました。当たり前の話ですが、周囲の人達のおかげで今の自分があるだと実感したのです。
特に振り返ると、前職での大きな挫折や、東京で頑張ると決めた意思決定の裏には、いつもオカンの支えがありました。自分がどんなに辛い思いをしていたときも、自分がどんなに大きな決断をしたときも、オカンだけはいつもそばで自分の気持ちに寄り添って、優しく背中を押してくれました。
そんなオカンに対して、何も恩返しが出来ていないと思い、そこからオカンのやりたいことを応援したいと思うようになったことがきっかけです。
私から見たオカンは、昔から人と喋るのが好きで、息子(兄二人と私)のことが大好きなお節介オカンといった感じです。小学校ではPTAの代表をやったり、中学や高校では僕のバスケ部の試合に毎回見学にきては、はちみつレモンの差し入れを部員全員に配るなど、地元では有名人でした。
友達から「聖太郎のおばちゃんってもはやマネージャーやんな」といわれるほど、息子の友達まで息子のように接するそんなオカンの行動に当時は恥ずかしい思いをしていました(笑)
そんなオカンですが、10数年ほど前に父と離婚してからは、息子以外の生きがいはないのか?と疑うほど息子中心の人生を送っていました。そんな息子3人も今や社会人となり、それぞれが自立して仕事をしています。約30年もの子育てから解放されたオカンは今、何を生きがいとして生きているんだろうと感じるようになりました。
あるときオカンに「今って何を楽しみに生きてるん?」と聞いてみると、明確な答えが返ってこなかったので、やはり生きがいを見失っているように僕は感じました。
「なにかこの先やりたいこととかないん?」と聞いてみるとオカンは、「人と喋るの好きやし、お酒も好きやからスナックとかやれたら楽しそうやなあ」と、さも実現なんて無理かのような諦めに近い雰囲気でオカンはそういいました。
それを聞いた私は、
「だったらそのスナック、俺が立ち上げるわ」といい、この瞬間、私のWillが確立しました。
オカンのやりたいことを実現させてあげることがオカンへの恩返しとなり、それこそが私のWillだと思った瞬間でした。
(当時5歳の村上さんとお母さま)
■Willに向かって仕事をしてみて気づいたこと
明確なWillを持って仕事をすることで、日々の仕事の原動力になるということに気づきました。今のWillが見つかる前の自分が、「何のために仕事をしていますか」と質問をされたとしたら、「わからない」と答えていたと思います。もし今同じ質問をされたとすると、「自分のWillを叶える為に仕事をしています」と自信を持って回答できます。
その「何のために」が明確にあることで、自分が頑張る為の原動力となり、日々の仕事にやりがいをもつことが出来るのだということを実感しました。そして、Willは持っているだけではなく、言葉として誰かに発信するということが大切だということにも気づきました。
誰かにWillを発信することで、応援してくれる人が必ずいます。少なくとも、ヴィジョナリーの社員全員が私のWillを知ってくれていますし、応援してくれています。
自分のWillを周りの人に知ってもらうことで、より仕事にも精が出ますし、会社も自分も同じ方向を向いて仕事が出来るので、余計な恥ずかしさやプライドを捨てて、皆さんに発信をして本当によかったと思っています(笑)
■これから自分がどんな人に成長していきたいか
まずは業務において圧倒的な成果を残し、「村上さんにこの仕事を任せよう」と思ってもらえるような信頼される人になりたいです。
営業職である以上、定量的な評価が自分の評価に直結するので、常に自分に矢印を当てて、どんな状況や環境でも実績を残す人だと言われるようになるまで成長したいです。
実績を残して信頼される人になれたら、もっと可能性を広げて、自分にしか作れない価値を提供し、ヴィジョナリーと社会に貢献していきたいです。
ただこれまでの性格上、人に嫌われたくないという思考を持っているので、この人実績は残すけど人として魅力ないよねと言われることだけは避けたいです(笑)
■どのような人にVIにジョインしてほしいか
自分のスキル云々に関係なく、成長意欲が高い人にジョインしてほしいです。過去の辛い経験もポジティブに捉えて、明るく前向きな考えでコミュニケーションがとれる人と一緒に働きたいです。
あとは、一人ひとりの生き方や考え方を理解し、多様性を受け入れられる人も大好きなので、上記に少しでも共感いただける方と一緒に仕事してみたいです!
(大阪から東京に再起をかけて上京してきたときの1枚)