グリラスの歴史と未来を語るメディア「グリラスストーリーズ」。
6人目のグリラスメンバーのご紹介です。
今回ご紹介するのは、グリラスCOO(最高執行責任者)岡部慎司さん!
親しみやすい人柄と、時に厳しく事業をドライブさせていく背中に、社内でも熱い信頼が寄せられています。
同じ取締役の柿内さん曰く、スライムみたいに柔軟性が高く、何度倒されても起き上がる人というコメントも興味深いところ…!!
普段は鳴門本社にいらっしゃることも多いのですが、今回は美馬ファームにてお忙しい岡部さんにお時間をいただき、お話を伺いました。
岡部さんってどんな人?
徳島県の南部、阿南市出身です。3つ上の兄が少年野球のチームに入っていたので自然な流れで自分も野球を始め、小学校時代は体育の成績が5でそれ以外は全部2、という典型的なやんちゃ少年でした。
当時流行っていた公文に行き始めたこともあったけれど、始めて3日で興味を失いやめてしまったこともあります。自分にとって楽しくて面白いことは一生懸命頑張る。裏を返せば、興味のないことには全く力を割かないという極端な性格で、その後もしばらく苦労しました。
野球ばかりで勉強の習慣が無いまま中学生になり、担任との二者面談で言われたのが「お前行く高校無いぞ。」という強烈な一言。確かに勉強も野球も抜群に成績が良かった兄に比べると自分の状況は明らかで、「このままではヤバい…。」と一念発起して猛勉強を始めました。周りより2歩も3歩も遅れた所からのスタートだったのですが、最終的には地元の進学校に入ることができました。
高校は野球の強豪で部員が多く、体格の大きな選手に比べてのハンデも大きかったので「どこでなら活躍できるのか」自分の得意を探っていくリサーチに力を入れていました。良くも悪くも思い切りでは誰にも負けないのが当時の強み。例えば先輩の試合で代打の機会があった時は、みんな初球を見逃し追い込まれアウトになるところ、自分は1球目から思いっきり振ると決めていました決して野球のセンスがあったわけでは無いのですが、物怖じしない性格でレギュラーをつかみとり、最後は副キャプテンを勤めました。
「面白いものだけ頑張る」という過去の自分から、面白く無いことがあってもできることを自分で見つけられるようになったのは、学生時代に変わった点の一つかもしれません。
人生を大きく変えた阪神淡路大震災
大学選びの決め手はあまりなく、推薦で進学でき唯一好きだった生物ができる神戸の大学に進学しました。好きと言っても「生き物って不思議だな」「遺伝子って複雑で面白いな」なんて、その程度のふわふわとした考えです。強い意志の乗っていない進路だったせいか、進学後は小学校の頃に戻った様に勉強もせず、遊んでばかりの毎日を過ごしていました。学校に来ても後ろの方に座っていて、試験前に慌ててノートを借りるようなダメダメな大学生の典型例です。
そんな日々を過ごしていた大学1年の冬。1月17日に阪神淡路大震災がやってきます。その日は大学の試験の初日だったのですが、2日前から熱が出ていて家で寝込んでいたんです。地震の日の朝に熱が下がって、外に出た時の景色は今でも忘れられません。
住宅街の家が何棟も潰れていて、ガスの漏れる匂いが漂い、救急車の音が鳴り続け、あたりは騒然としていました。コンビニで物を盗んでいる人を横目に、生き埋めになった人を周りの人と一緒に救出するんです。
昨日まで喋っていたバイト先の先輩も震災で亡くなってしまいました。同僚の中でも一番気にかけてくれていた先輩です。バイトに向かうために始発の電車を待っていたところ、駅の崩壊に巻き込まれてしまったのが原因でした。
人の生死がこんなにも身近に感じられる状況で「なぜ自分は死ななかったのか」「何をするために生きているのか」そういう本質的なことを考えて、それまでの自分を振り返って情けなくなってしまったんです。身近に自分の意志と反して命を失ってしまった人が大勢いるのに、ふらふらとした時間を過ごしていたのは本当に勿体無いし、申し訳が立たない。
そこから安直だけどちゃんと勉強をしよう、と。きちんと勉強をして、もっと世の中を知って、やりたいことを見つけること。そうやって真っ当に生きていきたいと思うようになっていました。
大学が復旧してからはサークルを全て辞め、授業では教授の発言を全て書き留めることから始めました。最後尾でノートを借りる側だったのに、いつしか最前列でノートを貸す側に。本当に真逆の生活ですよね。振り返ってもあの日が自分の人生を大きく変えた1日でした。
グリラスを創業するまで
4回生の時に生化学の先生と出会い、大学院まで進学します。就職はその研究室と繋がりがあった理系企業に入りました。タンパク質分析を得意とする企業で、そのクライアントの一つがグリラスCEOの渡邉さんや元学長の野地先生のいる徳大の研究室でした。
入社後は研究員としての業務を行っていたのですが、後に新規事業を担当するようになりました。研究も事業もわかるようになるとそのうち財務も担当できるようになるんじゃないの?と言われ、財務がわかるようになると代表もできるんじゃない?と。いつの間にかその会社の代表を務めることになったんです。会社として売上を作ることはもちろんですが、忙しい日々の中で転機となった震災を思い返した時、物や技術の販売だけではなくダイレクトに社会のためになる事業も始めたいと思うようになっていました。
そのタイミングで、テレビ番組を通じ事業と社会貢献を両立されている企業があることを知りました。備蓄用缶パンの販売業者で、賞味期限が切れる前に回収して海外の飢餓地域に届けるというビジネスモデル。すごくスマートにビジネスと社会貢献を両立されていて、やりたいのはこういうことだ!と興奮気味でその会社に電話をかけたことをきっかけに、その事業を広めるお手伝いをさせていただくことができました。
そんな折に野地先生から「缶パンにコオロギを入れられないかな?」という相談を受けたんです。いや、確かに野地先生の研究室でコオロギの研究をしていることは知っていたけれど「無理だと思います」と答えていましたね。「国連でも言ってるよ」「難しいと思います」そんな会話(笑)。
けれど、それを忘れていた2ヶ月後にフィンランドでコオロギ入りのパンが発売されたんです。自分の感覚、ダメだなー・・・と考えさせられるきっかけとなり、結局徳島大学と一緒にコオロギパウダー入りの缶パンを作りました。
その後も継続して情報交換を続ける中で、渡邉さんと野地先生いわく「大企業は何社も様子を見に来るけど、事業になったのは岡部さんの所だけだよ」という一言が。自分だって元々は「コオロギか…」と一歩引いていた側だったのですが、自分の感覚で野地先生の一言を否定してしまったように、誰でも自分の感覚や価値観が変わる可能性があります。
自分のような人の価値観をひっくり返すことができたら、このギャップで世界が変わるんじゃないだろうか。社会貢献のビジョンとコオロギにできることを考えた時、すごくポジティブな感覚になったことが決め手となり、共同創業者としてグリラスを作りました。
起業後のこと、これからやってみたいこと
今はグリラスの事業統括を担当していて、事業をどのように軌道に乗せていくか、現場のみんながどうしたらベストなポジションで働いてもらうことができるかを考えています。元々は勤めていた会社と並行して業務を進めていたのですが、2022年4月からはグリラスにフルコミットして働いています。
コオロギで世界の食料問題を解決する。コオロギで地球を救う。創業当時の想いは今でも変わっていません。震災の時に感じた使命感は、ひょっとしたらここに繋がっているんじゃないかと感じることもあります。
自分はやると決めたら迷わず走り続ける性格だからいいけれど、いろんな考え方がある中でグリラスのビジョンに共感して一緒に走ってくれる社員の方がずっとすごい。グリラスには熱い想いを持った社員が集まっているけれど、想いは伝播して、類は友を呼ぶのかと感じます。面白いですよね。
とある人に「コオロギで地球を救うって、具体的にどうやって救うんですか?」と聞かれたことがあります。現地に行ってコオロギパウダーを配るのか、どこかに寄付するのか、経済の面から救う?それとも福祉?そもそも何をもって「救う」ことができるのか。強いキーワードを使っているけど、方法がまだ具体的じゃないのも事実です。
これからは「コオロギ」と「グリラス」だからできることを見つけていきたいし、そうして本当の意味でコオロギで地球を救う企業にしていきたいと考えています。
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岡部さん、ありがとうございました!
株式会社グリラスでは、今回ご紹介した岡部さんや他の個性豊かなメンバーと共に働いてくれる仲間を大募集しています!コーポレート・営業・研究など、やりたい業務が要綱になくても、お気軽にご相談ください。ご連絡お待ちしています。
https://gryllus.jp/recruit/