和田 健太郎のプロフィール - Wantedly
株式会社いえらぶGROUP, 第2商品開発本部 執行役員 株式会社いえらぶGROUPにて執行役員を務めさせていただいております。「いえらぶでエンジニアをしていてよかった」そう思えるプロダクトと組織を創るために日々勉強中です。共に開発組織を作っていく仲間を募集しています!よろしくおねがいします! ---- ...
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現在、社員数400名を超えるいえらぶ。
今回の記事では、100名にも満たない時期に新卒で入社し、
SaaSの要となるサービスを開発したエンジニア社員を紹介します。
2つの課を束ね、2021年度上半期には「社長賞」たる社内最優秀賞を獲得した彼に、
エンジニアのキャリアについて質問しました。
和田健太郎
大阪大学大学院卒。数学を専攻していたためプログラミングは未経験ながら、2014年、エンジニアとして新卒入社。趣味は映画鑑賞、漫画を読むこと、音楽鑑賞。ベタなエンタメモノがとても好き。最近は家で嫁にプログラミングを教えるのがブームです。
Twitter:https://twitter.com/HouseToma
――入社時はどのような仕事をしていましたか?
和田:前提として、私が入社した当時は設立7年目で社員数も2桁しかおらず、正直全く人手の足りない環境でした(笑)。それもあって、新卒1年目ながら当時ベータ版だった「顧客管理システム(CRM)」の開発責任者を任されました。
CRMとは、不動産会社の業務支援に特化したSaaS「いえらぶCLOUD」上で、顧客情報を一元管理できるサービスです。顧客管理による業務効率化と、もれのない追客支援による収益アップを図ることを目的に企画されました。
――新卒1年目にして非常に責任の重いポジションに就いたのですね。
和田:今思うとビックリですね(笑)。開発ミッションとして与えられた機能は100件ほど、プログラミング未経験だったこともあり、毎日悪戦苦闘でした。思っていたものよりずっとずっと"ベンチャー"な働き方でしたね。
――毎日悪戦苦闘って大変すぎると思うんですけど、報われた瞬間ってありますか?
和田:半年くらいして、ようやく機能の基礎の基礎くらいのところが出来はじめた頃に、とびきり厳しい営業の先輩が「和田が作ったサービスはもう売れます」と、代表に向けて言ってくれたときはすごく嬉しかったことを記憶しています。
また、大手不動産会社から使いやすさを認めてもらい、他社のCRMから乗り換えてくれた際にも、大きなやりがいを感じました。
――エンジニアの次のステップとしてマネージャーに就任されましたね。当時はどのような気持ちでしたか?
和田:CRMの店舗利用数が300社を超えたことが評価され、新卒3年目の夏頃にマネージャーへと昇格しました。とても嬉しかったのですが、当時26歳とかだったので全然できる自信はありませんでした。案の定全く仕事が回らずに毎日生きるのに必死でした。
お恥ずかしい話ですが、チームビルディングを盛大に失敗してしまったんですね。チームのメンバーを大量に離脱させてしまい、マネジメント範囲を3分の1くらいに絞らざるを得なかったということがありました。
上司という関係性にだけ甘えて仕事を押し付けているとメンバーからの信頼を失う、というのを身を以て経験した時期でした。
――かなりハードな経験ですね・・・!どのように乗り越えたのでしょうか?
和田:復活にあたって劇的なきっかけがあったわけではなく、毎日「上司と部下の関係性に甘えたコミュニケーションをとらないようにする。」そればかりを意識していたら、なんとなくチームが落ち着いてきて、自然と人が増えていきました。純粋に嬉しかったですね。一時はかなり小さくなってしまったチームが10人も超えたときの、「自分と一緒に仕事してくれる人が増えた!」というじんわりとした感動は今でも忘れません。
――一層「チーム」を意識して仕事をしていくようになったんですね。業務面でも、最も印象に残っていることは何ですか?
和田:2020年にPMとしてアサインされた、いえらぶ史上最大規模の受託開発プロジェクトです。何が史上最大規模だったのかというと、クライアントの会社規模が、ですね。非常に大きなプロジェクトにアサインされて光栄でしたが、いえらぶのこれまでのSaaS開発とは全く違う開発だったため、毎日未経験のことが続き失敗の連続だった時期でもあります。失敗をするたびに解決方法を考え、思いつかなかったら相談し、メンバー・上司・他同僚と会社ぐるみで助けてもらいながら完遂したプロジェクトでした。
毎日がスケジュールと戦いながらの課題解決だっただけに、逆にプロジェクト完了後に「お金とスケジュールのコントロールができるなら、解決できない課題はない」という謎の確信を得ることになった案件です。
――数々の開発プロジェクトに取り組み、2021年度上半期の社員総会では社長賞を受賞しましたが、どうしてそのような実績をあげることができたのでしょうか?
和田:信頼できて、思い切り任せられるメンバーが自部署外にもできたことが大きいですね。社内で誰も経験のない大型プロジェクトのPMを担い、いえらぶという「チーム」でプロジェクトを成功に収めたことが評価されたのだと思います。今まで以上に営業やコンサルタントとの連携を深めた年でした。
ただ、個人的には社内で一番といってもあまり満足はできていません。社外にはまだまだ競合もいますし、仕事面で目を見張る成果を出している同世代もたくさんいます。「いえらぶの一番は世の中でも一番」であるくらいのものにしないといけないですね。
――「いえらぶの一番は世の中でも一番」にするために、何か展望はありますか?
和田:現在、開発部にいるメンバーたちに、いち早くキャリアアップしてほしいと思っています。私ばかり嬉しくてもいい加減仕方ないですし(笑)。
よりたくさんの人に届くサービスを作り、「わたしはいえらぶで、こういうサービスを作りました。このくらい社会にインパクトを与えています。」と胸を張って断言できるメンバーを増やしてきたいと思います。
今後はもっと権限委譲できる体制や環境、そして文化をつくっていって、メンバーたちがいっそう挑戦できるフィールドを広げていきたいと思っています。
――現状に甘んじず、常に挑戦する姿勢を忘れてはいけませんね!それでは、いえらぶでエンジニアをやって良かったこと・良くなかったことを率直に教えてください!
和田:良かったことは、「自分の名刺になるようなサービスを20代でいくつか作れたこと」です。やっぱりエンジニアの評価は「どんなサービスを作ったか」「その時どんな役割をしていたか」だと思います。
新卒1年目でもやる気を買ってもらい、役割を渡されて、その磨き込みを必死にやらせてもらえた。だからそれは大変だったけど「自分のサービス」だし、それが世の中に広がったときに「あなたがこれを作ったんですね」と言ってもらえる。そしてそれを足がかりにしてまた新しいチャレンジに挑むことができる。エンジニアのステップとしてはとても恵まれていたと思います。
良くなかったこと、はないんですよね、ほんとに。やったことなくても突っ込んでいってしまうので、「これキツイな」て思うことはだいたい毎日なんですけど、過去の経験になっちゃえば「やって良かった」に不思議となってしまう。むしろそういうことのほうが、話のネタになっていい酒の肴になったりするもので、多分死ぬまでやめないと思います。死ぬときに「目一杯がんばれてどれも面白かった」とか最高ですよね。
――和田さんのキャリア観が伝わるお話をありがとうございます!
最後に、和田さんにとって「良いエンジニア」とはどんな存在を指しますか?
和田:「良い」の意味にもよるんですけど、会社や市場から評価されるという意味では、結局「ビジネスで成果を出し続けるエンジニア」ということになりますよね。もう少し踏み込んでいうと「テクノロジーによって課題を解決する人」だと思います。
そういう意味だと、20代では商品の開発はやらせてもらいましたが、世の中の課題解決というレベル感だとまだまだですね(笑)。キャリアでいっても道半ばです。何もできてない、むしろこれから、というくらい。
きっとこれから「いえらぶGROUPの開発組織をTech領域でも一目置かれるようにする」、「市場とか世の中のあらゆる期待に驚くほどのスピードと精度で応えていく」それができてようやく「良いエンジニア」としての第一歩目になると思います。
――和田さん、本日はありがとうございました!
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