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omusubi不動産が田んぼをやっている理由-代表 殿塚

不動産屋が田んぼをやる理由

――omusubi不動産が、「不動産屋さんらしくない」と言われる理由のひとつに、自分たちで お米を育てていることがあると思います。そもそもどうして田んぼを借りようと思ったんでしょうか。

殿塚:不動産屋って、自分たちでゼロからつくったものを売るのではなくて、すでにあるものを人に紹介する仕事なので、ずっと人のふんどしで相撲を取っているような感覚があったんです。クリエイターに憧れた時期もあったんですが、自分ではできなくて……。

――たしかにすでにある物件や場所を紹介する仕事ですもんね。

殿塚:そこで、発想を変えてみることにしました。何のために仕事をしているかというと、自分が食べていくため。仕事でゼロから何かつくることはできなくても、食べるものなら自分で作れるんじゃないかな、って。田植えイベントに参加したりして、自分でも田んぼをやりたいなと思っていたら、今一緒に田んぼをやっている方に、タイミングよく「殿くん、田んぼ出たよ!」と物件が出たみたいに教えてくれたんです(笑)。

――「田んぼ出たよ!」ってなかなか日常では聞けない言葉ですね(笑)。

殿塚:田んぼをやってた方が、震災をきっかけに関東を離れることになったようで。「じゃあ僕らがやりたいです!」って言ったのがはじまりでしたね。

相手のためになることが、結果的に自分のためになる

――今日は稲刈りの前の、草取りをしに田んぼへお邪魔していますが、これは何のためにやっているんですか?

殿塚:僕も素人でやっているので、いろいろ教えてもらいながら知ったことなんですが、田んぼをやる上で、水ってすごく大事な存在なんです。たとえば今、水路の方まで雑草が生えてしまっていますが、これをもっと放置すると、奥にあるお隣の田んぼにまで水が行き渡らなくなっちゃうんですよね。稲は強い植物なので、多少雑草が生えてきても成長するんですが、水がないと育たなくなってしまう。だから、水の通りを整備するためにときどき草取りをしにきています。ただ、僕の場合は時間があるときにしかやれていないけれど、これを仕事として、農家さんは自然を相手にしながら仕事としてやっている。ほんとうに大変なことだなと、自分でやってみて初めてわかりました。

――水路はひとつしかないから、自分たちのところで流れを止めないようにしないといけないんですね。

殿塚:そうそう。田んぼをやっていると、この水路のことをひとつとっても、「自分たちの環境をよくするために、周りの環境もよくしないといけない」っていうこととかを教えてもらえるんですよね。現代の仕事の多くは、「自分だけで完結できる」と感じやすいけれど、手植えでやる田んぼだと「困ったときはお互いさま」の精神で周りと協力し合わないと成り立たないことがほとんどで。最近「利己的利他」が新しい言葉として聞かれるようになってきたけれど、田んぼをやっていると、人間がコミュニティをつくりはじめたときから存在していた概念なんじゃないかなって気がしています。

「1」がたくさん集まると、それが風景になる

――田んぼを育てることで、仕事に通ずると思うことはありますか?

殿塚:うーん、そうだなあ……。僕たちが田んぼでやっていることって、「お米を作る」というよりも、「苗が育ちやすい環境を整備して、その苗がどうやったら伸びるかをサポートしている」ことなんじゃないかなって思っていて。それをomusubi不動産の仕事に置き換えると、入居者さんがのびのびと過ごしやすい環境をつくるために、自由に使える物件だったり、その人の周りの環境を整えたりしていることなんですね。

――「お米の収穫」をゴールにしているのではなく、「育てる過程で何をするか」を大事にしている、ということですね。

殿塚:うんうん。まちに入居者さんがひとり増えることと、田んぼに新しい苗が一本増える感覚が、僕の中で似ていて。ひとつだと一本の苗、ひとりの人間なんですけど、それがたくさんになると、風景になるじゃないですか。田んぼも、複数集まれば田園になりますし。まちは、そこに住む人たちが風景を作っているんだなあ、って思います。その風景をつくるためには、まずはこまめに草取りしたり水路を整えたりしないとね、っていう。

助け合わなければいけない環境下で、必然的に生まれたのが「お祭り」なのかもしれない

――前回、コミュニティは自然とつくられた共同体だと話していましたが、田んぼづくりにおいてもきっと共通している流れですよね。

殿塚:そうそう。昔は毎年同じ人たちで一緒に田んぼをやっていたと思うんですけど、全員が全員気が合うわけではないはずで。そこで、「これからも一緒に暮らしていくために、お互いを認め合う場をつくろう」と生まれたのがお祭りなんじゃないかなあ、って思っています。

――お祭り、ですか。

殿塚:でも誰かを主役にしちゃうと「あいつとは一緒にやりたくない」みたいなことが起こっちゃうから、絶対的な善として、五穀豊饒を祈ったりとか神様に感謝したりすることがお祭りの目的になっているんだろうな、と。

――なるほど。

殿塚:ただ、残念ながら現代のお祭りは、必ずしも昔のポジティブな面だけが残っているわけではないんですよね。ひとつの要因として、上下関係が強くないすぎちゃったからなのかな〜と感じたりします。もっとフラットに出入りが自由だったら、気負いせずに誰でもかかわりやすくなるのかな〜と思ったり。

住んでいる人たちは、もっと自由にまちを使っていい

――殿塚さんは、地元である松戸をどんなふうに捉えていましたか?

殿塚:そうだなあ、僕が住んでいたのはベッドタウンで、親の地元でもなかったので、松戸を自分のまちだと思ったことはなかったかも。もちろん慣れてる慣れた景色でホッとすることとかはたくさんあるんですけど……。親がマンションを買ったのがたまたま松戸で、そこに住んでるだけなので、何で自分がここにいるのか、あんまりわかんないというか。

――都内近郊に住んでいる人たちは、そういった感覚を抱いている人が多い気がします。

殿塚:居住歴の長さじゃなくて、自分が地元だと思っていたらその場所に参加していいって感じやすくなればいいですよね。「自分のまちをこんなふうに使っていいんだ」っていう体験をすると、急に自分のまち感が出てくる。たとえば公園とかって、自分たちが自由に使っていい場所として選択肢にあがらないじゃないですか。でも公園で何かしたいんですけど、って手続きすると、意外とできたりするんだよね。

――言われてみればそうかも……。公共の場はなんとなく簡単に使えないイメージがあります。

殿塚:昨秋に開催した「科学と芸術の丘」も、めっちゃはしょって伝えると、僕らが「やりたいです」と行政に相談したら「いいですね」と言ってもらえて、重要文化財である戸定邸を使えることになったんですよね。そういったパブリックな場に、こういうことしたいです、ってアイデア出して使えるのって、めっちゃ自由だと思うんですよ。その体感を、科学と芸術の丘ではいろんな人に感じてほしくて。まちを自由に使えるんだ、使ってもいいんだ、という体験があると、みんなのびのび生きやすくなるんじゃないかな。


地方から都会へ出てきた人、転勤が多くひとつのまちに長く住んでいない人、新しく開発された場所に引っ越した人……。住んでいても居住地を「自分のまち」という感覚を持てないという方は、まちをうまく使っている場に参加してみたり、使い方を考えてみると、もう少し距離が近く感じられるようになるのかもしれません。

次回は、殿塚さんが最近考えているという「クラフトデベロッパー」について、言葉の定義やそれに紐づく話を聞いていきます。


取材・撮影=ひらいめぐみ

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