皆さんこんにちは!今年4月に入社を控えています内定者の柏木です!今年もよろしくお願いいたします!
4月まで残り3か月をきりました!
学生生活の終わりに寂しさを感じると共に、新社会人になる実感をひしひしと感じています。
さて今回の記事は、就活生の皆さんにゼンシングループを知ってもらうための特集、
「社員インタビューVol.3」をお送りしたいと思います!
題して、「大手からベンチャーへ!営業部池田さんに訊く自分に矢印を向けることの重要性」
私はこのインタビューを通して、ベンチャーフェーズで働く魅力を改めて実感すると同時に、自分に矢印を向けることについて深く考えさせられました。
非常に学びの多い内容になってますので、是非最後まで読んでみてくださいね!
|Interviewee紹介
- 池田 絢貴
- 2018年ゼンシングループに入社
- 営業部にて活躍中
|山あり谷あり学びあり 俺の原点、野球。
Q1.本日はよろしくお願いいたします!早速ですが、池田さんのこれまでの経歴を教えてください。
ーーー小学生から大学生まで野球一筋の生活を送り、社会人生活は大手損害保険会社でスタートを切りました。8年間営業として多くの経験を積み、2018年にゼンシングループにジョインしました。
Q2.野球少年だったんですね!野球を始めたきっかけは何だったんですか?
ーーー小学校3年生の時にクラスメートに誘われたのがきっかけでした。
幼い頃から太っていて病弱という軟弱スペックでゲームばかりしており、強制的に相撲部屋に入れられる寸前でした。この誘いがなかったら相撲部かゲーマーになっていたと思います(笑)
Q3.ゲーマーも病弱も相撲も(笑)全然イメージつかないです。。約13年間の野球人生はどのようなものでしたか?
ーーーありきたりの言葉ですが、野球人生は「山あり谷あり」でした。
始めた頃は本当にへたくそで。それでもピッチャーになりたい!という気持ちが人一倍強かったんです。
どうしてもピッチャーがやりたくて当時のコーチに相談しに行くと、「毎日走れ!下半身作れ!」とアドバイスされました。当時が野球人生で一番練習した気がしますが、言われた通り約10kmのランニングを毎日欠かさず3年間続けました。すると下半身が安定してきてだんだん球も速くなって。加えて身長も小学6年生で168cmまで伸び、最初は補欠だったのが最終的にはそのチームのエースピッチャーになることができました。
中学ではより高いレベルを求めて、全国有数の強豪クラブチームに加入しました。初めは小学生と中学生の違いに驚き、加えて全員物凄い選手ばかりという環境に圧倒されました。それでもくらいついていこうと必死でした。ただそうして努力を重ねると不思議とチャンスが舞い降りてくるんですよ。少しずつ結果を出してその後のチャンスにつなげる。これを繰り返し気づいたらエースナンバーを貰っていました。さらには中学生の日本代表に選ばれるという。これが山のてっぺんですね。天狗全盛期(笑)
しかしここから下り始めます。甲子園には俺が連れてってやる!と意気込んで入学した高校でしたが、高校野球の環境の変化に体がついていけず、結果を出せずに打ちのめされることが増えてきます。そしてついには肩のケガまで。
初めての挫折ですのでかなり腐った時期もありましたが、どうしても夢は諦めきれませんでした。
もがきながらも自分と向き合い、仲間と向き合い、自分を追い込むことでやっとエースナンバーを背負い、最後の夏を仲間と戦いました。今でもとてもいい思い出ですし、大切な仲間たちです。
高校では不完全燃焼でしたが、まだまだ野球に夢中な私は法政大学へ進学。日本で一番プロ野球選手を輩出している大学です。そこで自分の実力の限界を知りました。ここから先に進む人間は実力も努力の量も別格ですね。まだ野球をやりたいと思う気持ちはあり、かなり複雑でしたが、就職活動を始めることにしました。
|あこがれと迷いと現実と。
Q4.ドラマのような経験ですね!かなり後ろ髪引かれながらの就職活動だったかと思いますが、その状態で新しい道に進むことはできるのでしょうか?
ーーーそうですね、新しい道を探すことは容易ではありませんでした。
夢中になっていたものが毎日から無くなるという経験は初めてでしたし、これに代わるものってなんだろうと悩みました。ただ夢中になれるものが無いとダメになってしまうことは僕自身よく理解していたので、とにかく先入観に捉われず、あらゆる可能性に目を向けて就職活動をしていました。
Q5.なるほど、、自分ならそんな状態で就職活動進められるのか自信ありません。そんな中で見つけた就職先には、夢中になれる何かがあったのでしょうか?
ーーー最終的に大手損害保険会社に入社を決めたのですが、正直な話をすると「大手」という響きのかっこよさに惹かれただけで、保険を仕事にしたいなんてこれっぽちも思っていませんでした。
もちろん一緒に働きたい!という人がいたことも決め手ではありますが、ただただ大手という看板に惹かれての内定承諾です。なので、夢中になれるものを見つけられたわけでは決してないんです。
Q6.大手という響きのかっこよさはかなりわかります!実際入社されていかがでしたか?
ーーーめちゃくちゃ大変でした(笑)
社会人へのキラキラした幻想を無駄にたくさん持っていたこともあり、早朝から深夜まで働く先輩の姿はただただ恐ろしかったです。社会人タフ過ぎてヤベーって(笑)
ただ、いつしか慣れてそれも当たりまえになっていましたね。
一番最初に配属された新宿の支店で、今の私に繋がる㈱FISの現会長渡邊さんと出会います。
新卒で6つ下の僕をとても可愛がってくれる先輩で、お兄ちゃんのような存在の方でした。当時の渡邊さんは全国でもトップの成果を出し続けるスーパー営業マンでした。成果を出す部分はもちろんですが、渡邊さんの人の懐にスーッと入るセンスや人柄。全てに憧れていました。
その出会いから2年後。渡邊さんが食事に連れて行ってくださった際に、ここを退職してベンチャーに行くと言われ、雷に打たれたような衝撃に襲われました。
大手でこれだけの結果を残し将来安泰なスーパーマンが、それこそ吹けば飛ぶようなベンチャー企業へ行くなんて理解ができない。でもその姿をかっこいいな、すげえなと思う自分もいて。ここで働くってなんだろう、ずっとこの会社にいるのかな自分、と初めて考えるようになりました。
その衝撃から何となく自分のキャリアというものを考えるようになった数年後、人生で初めての転勤、名古屋行きが決まります。
|働く中で見つけた本当の自分
Q7.名古屋転勤ですか!名古屋ではどんな風にお仕事をされていたんですか?
ーーー名古屋では主に自動車ディーラーや住宅メーカーの担当を任されていました。
日本で一番厳しいと言われている部署だったので、これは休みも何もないな、持っているもの全て出し切ろうと覚悟を決めて働いていました。
実際365日全く仕事をしない日はほぼありませんでしたね。
平日休日関係なく1日に鳴る電話の件数は80件以上の時もありました。切っても、切っても電話が鳴りやまない。自分以外の先輩も同業他社もみんなそんな感じでしたが、差別化を図るには素早いレスポンスと懇切丁寧な対応かなと思い、無茶苦茶働いていました。今ではあんな働き方できないです。
そんな極限状態の中でふと頭に浮かんだのはあの時の渡邊さんの姿でした。
自分はどうなりたくてこんなに働いてるのだろう。何を目指しているんだろう。10年後の自分はどうなっているんだろう。考え続ければ何か見つけられるかもしれないと思い転職活動を始めました。
Q8.なるほど、めちゃくちゃに働く中で今と未来に疑問を感じたんですね。転職活動を進める中で求めるものは見つけられましたか?
ーーー転職活動開始当初はキャリアアップを目的として動いていて、M&A事業会社や保険ブローカー、コンサルなどに狙いを絞って応募していました。有難いことに数社から採用通知をいただくことができたのですがいまいちピンとこない。
そんな時また渡邊さんとお話しする機会がありこのモヤモヤをぶつけてみたんです。すると渡邊さんから「圧倒的に成長したいと思っているなら、うちにはそのチャンスが転がってるよ」と言われました。
その瞬間、今までの全てを捨てて裸一貫で勝負したいと思っている自分に初めて気づいたんです。
安定した収入もキラキラでかっこいいステータスも全て捨て去り、ゼンシングループに入社することを決めました。
Q9.ここで自分の求めるものに気づいたんですね!大手からベンチャーへの転職はどのような感じでしたか?
ーーー正直入社してからの3年間は、大企業で身に着けた重い鎧を脱ぎきれず葛藤し続ける日々でした。
前職では成果も出していたし評価もされていたので、ここでもやれると自信を持って入社したんです。
しかし現実は全然思い通りにいかない。「なぜ自分が・・」とか「こんなはずじゃ・・」と、日々思い悩み、その理由を環境や誰かのせいにしてしまうことも多々ありました。
そんな時、全ては自分次第だということを思い出しました。野球を通して学んできたことです。なぜこんな大切なことを忘れていたのか正直わかりませんが、「常に自分に矢印を向ける」という自分の原点はここに来なければ一生思い出すことはなかったと思います。自分の原点を思い出したことで、初めて大手の鎧を脱ぎ捨て、新たな自分としての第一歩を踏み出すことができました。
Q10.ベンチャーフェーズだからこそ昔のがむしゃらさを思い出したということですね!その他何か学んだことはありますか??
ーーー「チームに対する責任感と感謝」もここにきて思い出したことですね。
野球も組織も一緒で、個人は集団のために存在しています。チームの想いを背負ってグラウンドに出ていくことは、組織の看板を背負ってお客さまにお会いするのと同じこと。チームが各々の役割を全うすることでプレーが成立するように、組織もそれぞれの部門で各々が役目を果たすことで成り立っています。ファインプレーは俺の手柄!ではなく、みんなの汗と苦労が紡いでくれた成果がたまたまファインプレーとして自分の手元に転がってきただけなんです。野球人生で叩き込まれていたこの精神も、大手時代一度も思い出すことはありませんでした。ここにきて、多くの仲間と切磋琢磨することで大切なことを思い出し、原点回帰で日々泥臭く生きることができている。野球にも、ゼンシングループにも、感謝しかありません。
|Go for 2024、ゼンシングループと共に
Q10.池田さんの土台を作り上げた野球がゼンシングループへ導いてくれたように感じます。ではここでずばり!入社されて1番よかったと思うことを教えてください!
ーーー1番よかったと思うことは、仕事って誰かの役に立つことなんだなと実感できていることです。
大手にいると、自分の仕事がどこに繋がっていてどんな影響を及ぼすのかまでは見えないんですね。しかし、ここだとそれが痛いほどわかります。「仕事とは」という初歩的なことを今さら実感しました。同じ仕事をしていたとしても、この意識があるかないかで成果はかなり違ってきます。仕事の本質を実感できたことは自分にとって最大のプラスになっています。
Q11.ベンチャーと大手。どちらも良さがあると思いますが、ベンチャーだからこそできることや、見えることを教えていただきました!ありがとうございます!では最後に池田さんの今後の展望について教えてください。
ーーー業界No.1に昇りつめるため、ここからの2年間は自分の責任を着実に果たしていくと決めています。営業として成果を追求することはもちろんですが、これまでの自分の経験を会社に還元することもそう。全ての面で全力を注ぐつもりです。
私の最終的な目標は起業をし、経営者として社会的責任を果たす企業を作り上げることです。その為に誰よりも成果を出し続けることは必須。
だからこそ、この2年を死に物狂いで走り抜ける。短期的ですがこれが私の展望です!
柏木:過去何度も復活遂げている池田さんであれば、2年後に圧倒的な成果をだしていることが容易に想像できました!自分も負けないくらい突き抜けた存在を目指したいと思います!
本日は貴重なお話をたくさんしていただきありがとうございました!
―――こちらこそありがとうございました!
いかがでしたでしょうか?
私は、どのような状況に陥ったとしても常に自分に矢印を向け改善していく重要性を池田さんから教えていただきました。死に物狂いで走り抜ける池田さんに置いて行かれぬように自らも必死に走っていきたいと思います!本記事を通し、皆さんのゼンシングループへの理解が深まったり、何かしらの学びが得られれば幸いです。
ここまでお読みいただきありがとうございました!次回の記事でお会いしましょう!