地元の街を盛り上げて元気にしたい。
これからもずっと私の中にある想い。
東京一極集中が進む。地方の産業が弱っていく。人が減って活気が失われていく。地元って故郷って、幼少期や青春時代の甘酸っぱいけど楽しかった思い出もあって、どんなときでもやさしくて心地よくて、人生にちょっとした慰めや勇気をくれる場所のはず。自分の子供たちにもそういう故郷を知って感じてほしいから、地元の街を盛り上げたい、もっと元気にしたい。これまでもこれからも、ずっと私の中にある揺るぎない想いです。
地元の日立市から大学進学のために東京へ。卒業後、入社したスターツでは現在のZenshin Group代表の戸川と同僚でしたが、当時はそれほど面識がありませんでした。スターツで不動産に携わること6年、29歳のとき日立に戻りました。自分の想いのために30歳でアクションを起こすことは既定路線でしたから。地元で2年ほど銀行を経験した後、父親の会社に入ったんですが、喧嘩して1年半で辞めてしまって(笑)。
その頃、FacebookでFREE PEACEのブログ“お金の学校”を見つけて、FP(ファイナンシャルプランナー)に地方の未来を拓く可能性を感じました。思わず戸川にメッセージを送ったのが2012年の年末。で、12月29日に再会。「半年くらい東京でFPのノウハウを学んで茨城に持ち帰ればいいじゃん」と言われて、翌年の1月15日、妻と子供を残して単身東京へ。そして半年後、FREE PEACE唯一の支社が日立市に誕生することになったわけです。
地方の街や地域から元気を発信して、
日本の未来に夢と希望を増やすこと。
東京で成功している事業モデルをそのまま地方に持ち込んでも成功するとは限りません。そういう意味では、ゼロベースからの出発。FPとマッチングする地方の事業モデルを模索した3年間、厳しかったし苦しかった。失敗は想定内。試行錯誤の繰り返し。正直、資金が底をついて会社が飛びそうになったことも。でも、その3年間がなければ、相続をはじめ、不動産や金融商品の分野にFPのニーズを開拓することも、現在の飛躍的な成長もなかったわけですから。そして、もちろん新しいフロンティアへの挑戦は今も続いています。
日立支社で成功した事業モデルは、他の街や地域でも成功する可能性は高いはず。ですから、FREE PEACEが全国展開するときの基礎となる事業を創っているという自負はあります。例えば、私のように“地元愛”の強い仲間が増えて地元で起業すれば、“地方の活性化=FREE PEACEの全国展開”という図式もあり得ます。人口100万以上の主要都市ではなく、地方の街や地域から元気を発信していく方が、日本という国の未来に夢と希望がもっともっと増えていくのでは、と私は強く感じています。
雇用をもっと増やすとともに、
働き方とその意識を変えていくこと。
私は日立市にシェア文化を発展させていきたいと考えています。地方の会社や自治体、街に暮らす人たちみんなを巻き込んで、不安や悩みなどの問題を共有して、どうすれば解決できるのかを一緒に考えるための、さまざまなWinWinの関係を組み立てること。FPはそのための接着剤みたいなもの。FPでつながった関係は、未来の安心とともに、新しい仕事を、新しい働き方を生み出します。
人は仕事をしないと生きてはいけません。働くことの責任と喜びはまさに表裏一体。責任があるから喜びが生まれ、生きがいになるわけです。地方の街や地域に雇用をもっと増やすとともに、働き方とその意識を変えていく。そして60歳で定年ではなく、80歳を過ぎても責任と生きがいを持って働ける地域社会を日立市から全国へ発信していく。そんな私の思い描く未来は、そう遠くない未来の中にあると確信しています。