最近、同年代の友人や就職活動中の方と話す中で、自分が何を求めているのか、将来何をしたいのか、という不安がよく話題にあがります。
私含め、同年代に限らず、多くの方がどこかで考えることではあると思うので、
自分なりに今思うことを書きたいと思います。
いきなりでおこがましいのですが、
まず、今私の中での人生における気づきがあるとしたら、自分の直感を信じることに勝ることはない、ということがあげられます。
自分が「これだ!」と思うことに関して、
自分自身の姿勢や捉え方次第で、いくらでも、チャンスをつかむことができることを信じています。
また、それは毎日のように訪れるものではないのと同時に、人生のいろいろな局面において、気づかぬうちに働いていることがよくあると感じています。
私自身の話となってしまいますが、私は特に、高校、大学、現職での出来事や人との出会いなどの各ライフステップを通じて痛感してきました。
高校は、まず「受験」という概念が存在しないアメリカのど田舎社会に10年近く身を置いていたので、日本に帰ってからも「受験」ということがよくわかりませんでした。
(いかに私のアメリカ生活が「隔離」されていたか、、いい意味か悪い意味かは別として!)
受験勉強らしい受験勉強を一切せず、それまでの生活で自分なりにやってきたことを、面接や小論文でPRすることに力を入れました。
学科試験は、英語以外はほとんどよく分からないまま受けましたが、
奇跡的に合格(もちろん、不合格だった学校もあります)。
日本の勉強についていけるのだろうか、、私の合格はまぐれなんじゃないか、、という思いでいっぱいになりながら、いざ進んでみた高校ですが、学校自体が独自のゆとり教育を展開していたおかげもあり、
思ったほど勉学において苦労をすることなく、
高校生活を過ごしました。
どちらかというと、そんな高校生活における「なまぬるさ」を感じては苛立ち、
勉強面よりも、精神面でかなり痛い目に遭い、
特に高2からは何もかもが嫌になり、やる気が起きない日々が続いていました。
そんな私が、またもや、高校3年の冬にアメリカの大学進学という、それまでは一切考えもしなかった進路選択をすることになります。
しかも大学側から学費を全額免除していただくことに。。
理屈で考えると、未だに分からないのです。なぜこのような道を辿ってこれたのか。
ただ、考えてみれば、あまり自分が意識していないところで、自分なりに神経をフル回転させて、取り組んできたことは、事実だと言えます。中学では、それなりにまじめに勉強や課外活動に参加し、成績優秀でした。高校は(健全な)競争心・学習意欲が芽生えるような学習環境でなかったことも大きく、全般的に全く楽しめませんでしたが、それなりにもがき、葛藤し、精神的には鍛えられたと思っています。
その後進学した大学では、中学のころの「優等生キャラ」?に戻り、いろいろな形の学びをし、(なんとか)優等な成績で卒業できました。
浮き沈みはありましたし、どのステップも今の私にとっては必要不可欠なものだったことには間違いないのですが、
どれも不思議と、自分が想定していなかった機会の積み重ねでした。
直感的に信じたことがつかめるチャンスとなり、実を結んだといいますか、、
私が現在働いている職場もそうです。
偶然にも応募したのが2月14日(日付に特別なこだわりはありませんが、どこか見えないつながりを勝手に感じています笑)。何も特にない日曜の夕方に、ネットサーフィンをし、
まさかの「帰国生、塾、家庭教師」でヒットした弊社。いきなり将来への門戸が開かれた不思議な感覚。
絶望的だったメーカー企業での日々の事務的業務から、一瞬にして解放される感覚。
今となっては「あ~そういえば。。!」とふと思い出すときがあるのですが、
改めて各局面における「あの日、あのとき」を思い返せば、
何の保証もない中、ただただあったのは、
「何が何でも手に入れたい」という、血がさわぐような気持ちだったと思います。
その気持ちの強さには、根拠はありませんが、特に誰かと戦っているわけでもありませんが、負けない自信があります。
冒頭で申し上げた、「直感」にあたることだと思うのです。
もちろん、考えを巡らすと人は十人十色、感性や価値観は皆異なりますが、
物事に対して感情が高ぶることは、
どんな人生でも、必ずどこかで訪れることなのではないでしょうか。
もしかすると、そういう気持ちを主体に動くことが、
私たちの知らないうちに、「運」や「縁」と時には思える、人生を変える様なハプニングを
引き起こしているのではないでしょうか。
それに気づくか気づかないかは、私たち次第なのかもしれません。
長くなってしまいましたが、
自分が「正しい!」「これだ!」(もしくは、「これは違う。。!」)と思う気持ちが芽生えた時、それを愚直に信じて、人生を歩んでいいと思うのです。
たとえその場で思うように行かなくても、答えがなくても、
いずれは絶対何かにつながることだと信じていますし、
私に限らず、どんな人生においても言えることだと、これまた「直感的に」信じています。
「直感」尽くしの投稿となりましたが、
特に同年代に近い方や仕事などに悩みを抱えている方にとって、
少しでも一個人の今のところの人生観が参考になればと勝手に思っております。
また、最後に、そもそもこれらの「直感」を私が生かせているのは、今もなお支えてくれる家族をはじめ、周りの存在や環境に恵まれているからであることは、間違いないです。
自分ばかりだった高校時代から8年近く経ったのにも関わらず、未だに忘れがちになってしまうことは否めないのですが、
「周りの支えあってこその自分」であることを肝に銘じて、自分の「直感」を追求することが、
まずは大きなステップであると思う今日この頃です。