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「誰かの水源」
新宿駅東口を閉店してしまったアルタの方角へ進み、今は無きドリアンを全面的に推していたフルーツ屋を過ぎて、靖國通りに突き当たる。
信号を越えて、ゴジラロードと新たな名称が付いた道は様々な香りで溢れ返る。
同じ景色を見続けている巨大ゴジラ像に向かって歩き、私がホスト新人の時代からあるカラオケ館を右に曲がって、他店の看板が煩い建物の地下にダイニングバー麦ノ音がある。
その一角に暖簾を垂らし私は適度に寿司を握っている。
本日、予約して来てくれたホストは酷い二日酔いのようで、常温の水を飲みながら、ひたすらガリを噛んでいる。
「なんか軽い感じの魚ありますかね?」
私は青森からやってきた分厚い平目の身を薄く剥ぎ取り、軽く結晶塩を振り、二日酔いホストの皿にそっと立体的に置いた。
「山葵ほしいっすね」
嫌な素振りを見せず、ぶっとい山葵をさっさと擦り、平目の隣に据えた。
二日酔いホストは、山葵を平目の上に雑に乗せ、大してセクシーではない唇を開いて、人工的な白い歯ですり潰す。
「あー染みるっすわ」
そう言ってまた常温の水を飲み、ガリを食う。
一向にドリンクの注文によって、売上が上がる気配はない。
一方、暖簾の向こう側の麦ノ音では、ジャジーなBGMを掻き消すように「こんばんは いらっしゃいませ」とスタッフが声帯を響かせる。
海外の香りを纏った団体のお客様がやってきた。
多色なクラフトビール達がオーダーされ暖簾の向こう側は徐々に慌ただしくなる。
クラフトビール同様、多色に彩られた美しい料理が次々と注文され、元気な飛魚のような女性によってフロアへ運ばれ、団体客の胃の中へ放り込まれた。
私が暫く二日酔いホストの何故売れないのか?という問いに真剣に立ち向かっていた頃、鮪のように優雅に歩く女性スタッフから声が掛かる。
「今日のオススメを教えて下さい!」
私は、咄嗟に鮪と答えた。
鮪娘は優雅にフロアへ戻り、団体客と異国の言葉を投げ合ってから、ゆっくりと戻ってきた。
「マグロ十貫お願いします!」
私は不気味に思われない程度に口角を上げ、寿司をすすめてくれたことへの感謝を口にした。
冷蔵庫からまだ寝ぼけている鮪を取り出し、我々が吸っている空気に触れさせ温度を上げる。
それを見ていた水しか飲まない二日酔いホストが、食べたそうにしているので、ちょっと待ってほしい旨を伝えると、冷たいままが良いと言い出すので、一切れだけ切って、温かいシャリでそのまま寿司を握った。
刷毛でしっかりと醤油を塗り、まだ真新しい汚れていない皿の中央へ置いた。
「もう少し山葵ほしいっすね 好きなんすよ」
私は先程より少し口角を下がった笑みを作り、鮪の上にちょこんと山葵を乗せる。
ぱくりと一口で二日酔いホストは鮪を食べると、小さい雄叫びのように吠え、満面の笑みを私に披露した。
丁度良い温度になった鮪を丁寧に切り付け、食べやすいように隠し包丁を入れる。
適度に山葵を入れながら、注文された鮪十貫を握り、紺碧のお皿に丁寧に整列させた。
ホールスタッフを先に呼び、足音が近づいてきてから、醤油を塗る。
今度は飛魚娘がやってきて、颯爽と鮪達を運んでゆく。
暖簾の隙間からフロアを覗くと、団体客の一人が鮪を口にいれ、フゥーという甲高い雄叫びを上げる様子がちらりと見えた。
酒を注文しない二日酔いホストが口を開く。
「良かったっすね」
「うん、良かったよ」
「なんか、あったかいスープみたいなのないんすか?」
「どうかなぁ、、聞いてみるよ」
恐ろしく優しい麦ノ音のシェフは、二つ返事で快諾し、恐ろしく季節を告げている温かい料理を出してくれた。
二日酔いホストは、一口頬張ると無言になり、なんだか泣きそうになっている。
「美味しいです 最近、ちゃんと食ってなかったんすよ」
「そうなんだ ちゃんと食べないとな」
「はい、、、」
「この後仕事でしょ?」
「いえ、休みです」
私の口角は上ることなく、特に変哲の無い天井を数秒間、見上げた。
「すみません、シュンさんなんか飲みます」
「うん、頂きます。 君は?」
「水でいいです」
暖簾の向こうの盛り上がりに掻き消されそうになりながら、寿司屋の夜は続く。
麦ノ音
2018年オープン。"洗練されたセレクトを歌舞伎町でも”をコンセプトに食・音楽・カルチャーが交差する空間。厳選したクラフトビールやナチュラルワイン、旬の有機野菜を使った料理に加え、職人技が光る本格江戸前鮨からコンカフェ、エッジの効いた音楽イベントまで。新しさと心地よさが溶け合うこの場所で、美味しい料理と音楽に包まれる特別な夜を提供している。
住所
東京都新宿区歌舞伎町1-12-15 新宿第7ビル B1F
営業時間
火‐木 18:00–29:00
金‐日 17:00–29:00
月曜定休
SHUN
ホスト。寿司屋「へいらっしゃい」大将。歌人。
1987年生まれ。東京都足立区出身。下町のホストクラブで修業を積み、18歳で歌舞伎町にやってきた。Sumappa!Group本店代表などを務め、現在は寿司屋「へいらっしゃい」大将。2022年度角川短歌賞最終候補。俵万智、野口あや子、小佐野彈の元で短歌を学び続けている。月1回開催される「ホスト歌会」が生きがいである。