人事の仕組みは結局のところ好き嫌いだと言われます。では、誰の好き嫌いなのか、というと、それはもちろん社長です。今いる会社で何を目指すべきか、あるいは転職先の会社で何を頑張ればよいのかを知りたければ、まず、社長の経歴を確認してみましょう。
「昇給」を理解できない経営者は変なのか
「平康(ひらやす)さん、昇給ってなんですか?」
ある会社で人事改革の相談を受けている際に、社長に突然そう質問されました。
一瞬、質問の意図がわからなかったので、「毎年の人事評価を踏まえて、翌年の月給を増やす仕組みのことを指すことが多いのですが、なにか疑問でも?」
そうお答えしたところ、さらに不思議そうに問い直されました。
「よくわからないんですが、なぜ人事評価を踏まえて月給を増やす必要があるんでしょう? たとえば業務を委託している税理士に対して、去年しっかり決算を完了させてくれたから、顧問料を増やします、なんてことはしないですよね。なぜ従業員の給与を増やす必要があるんですか?」
そうおっしゃる社長は、とぼけたりしているのではなく、本当に昇給という仕組みがわからない、という様子でした。
「たとえば以前活躍されていた会社では、昇給はなかったんでしょうか」
「それが、私はフリーランスとして働き始めて、その後創業しているので、報酬はもらったことはあっても、給与をもらったことはないんですよ。昇給って普通なんですか」
「普通……ではありますが、けれどもあらためてその意味を考えてみてもよいかもですね」
そう答えたうえで、昇給という仕組みについて、メリットとデメリットを丁寧にお伝えしていきました。
皆さんもご存じのように、昇給のメリットは、習熟や成長、あるいは長期勤続に報いる仕組みとして用いることで、それらの行動を促しやすくなることです。
一方でデメリットは、昇給が当たり前になることによる、刺激としてのインセンティブ効果が薄れてしまったり、生活の前提となってしまうことで会社の利益を圧迫したりすることです。
この会社での人事改革の目的は、当初は業績に応じたインセンティブの仕組みをつくることでした。しかし上記の説明を踏まえ、優秀な社員には長く勤めてほしいことや、自分で能力を高め成長し続けてほしいというメッセージを発信したいということなどから、限定的ではありますが、昇給の仕組みも導入することになりました。
誰しも最初のキャリアが自分の常識になる
実はこの会社の社長のような意見は、決して珍しいものではありません。
誰でも、昇給という経験をしていなければ、概念としても仕組みとしてもなかなか理解できないものです。そして、他人から給与をもらったことがないという経営者は割と多く存在するのです。
さて、もしあなたがこの会社に新卒として入社していたら、おそらく昇給がないことに対しても違和感なく働くことができていたでしょう。そして、人事改革の結果として昇給の仕組みができた際に、もしかすると「昇給なんていらないから、やった分だけ賞与がほしい」と思っていたかもしれません。しかし昇給が普通に存在する会社から中途転職していたとしたら「なんてがめつい社長の会社だ」と後悔したかもしれません。
そんなとき、事前に人事制度の仕組みを知っておけば、誤解なく働くことができるはずです。とはいえ、実際に会社に入る前に「どんな人事制度なのか教えてください」とはなかなか言えません。多くの会社では、人事制度を機密情報に指定してもいます。
ではどうすればよいのか。
方法は簡単です。
ぜひ社長の経歴を調べてみてください。
特に創業者が今も社長をしている会社なら、その人の経歴を見れば、人事制度の方向性もある程度見えてきます。
人事コンサルタントとしての私の経験から、あえて社長タイプごとの会社の人事傾向を分類すると、おおよそ2つにわけることができます。
給与を固定費として考えるタイプの会社のキャリア
ここまでの事例であげた、給与をもらったことのない創業社長の場合には、人事制度としては賞与などのインセンティブで社員をモチベートし、行動させようとする傾向があります。例えば月給は固定給として設定する。試用期間中は22万円で、正社員採用されたら25万円。あとは業績にあわせて四半期ごとに賞与を支給する仕組みです。
このような会社でも、まったく昇給がないわけではありません。肩書が変われば固定給としての給与を増やすことが多いからです。たとえば、平社員は25万円だけれど、主任になると28万円、係長で32万円、課長になると40万円、といった具合です。
もしあなたがそういう会社に勤務しているのなら、わかりやすい成果を生み出すことと、社内で昇進するための基準を確認してそのために努力することで、給与を増やすことができるでしょう。
なお、このタイプの人事制度を好む社長の経歴としては、給与をもらったことがない人以外だと、金融機関出身の方などにも見られます。多くの金融機関では昇給の仕組みはもちろんあるのですが、それ以上に、人件費とは利益から配分すべきものだ、という意識がはぐくまれるからではないか、と想像しています。だから成果としての利益を出していないのに昇給させるなんてありえない、という発想になりようです。ただ、金融機関出身の経営者の場合、従業員の基本給額を高めに設定することで、生活保障はしようとする傾向もあります。
どんな会社もどこか似ていてどこか変
創業オーナー以外の会社で多いタイプは、新卒で入った会社でそのまま上り詰めたような人が社長になっている会社です。おそらく多くの大企業がそうだとは思うのですが、そのようなタイプの会社に転職すると、人事の仕組みについてかなり「変」だと思うことが多いようです。もちろんあなたもその会社に新卒で入社したのならそのことを変だと思うことはないのですが、中途転職組だと、違和感を多く感じるでしょう。
その理由は、実は人事制度がそっくり同じ、という会社はほとんどないからです。
どの会社にもそれぞれ独自の工夫があるのですが、それが外部から見ると違和感にもつながりやすいのです。
このような会社で給与を増やすためには、どんな仕組みがこの会社の当たり前なのかをしっかり理解しなくてはいけません。人事制度はキャリアの基本ルールです。何が認められ、何が否定されるのかを、就業規則や考課規程、各種マニュアルを見ながらしっかり理解するように努めましょう。
また大企業だと社長の好き嫌いだけでなく、上司の好き嫌いもキャリアに影響してきます。ぜひ上司がどのような経歴を経てきているのかを確認しましょう。
上司の過去の成功談に自分のキャリアのヒントがあるかも
人事制度はキャリアを積み上げていくためのルールです。
ただ、そのことについて、自分の意に沿わないとか、考え方が違うからといって、一概に間違っているとか変だとか、断定してもあまり意味はありません。
最初に示したような、昇給を知らなかった社長を「変わった人」だと断ずることにあまり意味はないのです。
むしろ、私たち一人一人が、最初に入った会社の常識にとらわれている、私自身こそが「変わった人」だと思う方がよいのです。
そして今自分が関わっている人たちが、どんな過去の常識を持っているのか、確認してみてください。それはあまり難しいことではありません。たとえば仕事の合間の雑談として、昔の自慢話を聞くようなことで実践できたりするのですから。