みなさんこんにちは。六興実業株式会社 広報担当です。
今回のインタビューは…
ゼネラルマネージャーの百合本 翔さんです!!
Vol.1として、
これまでの百合本さんの半生と
段林さんとの劇的な再会についてお話しいただきました!
|情熱のままに選んだ道、自分らしく生きるための決断
– それでは、百合本さんのご経歴を教えていただけますか?
僕は、高校を卒業して現役で立命館大学に行きました。でも、音楽業界で働きたいと思い、入学して、3か月くらいで大学を辞めちゃって、その後はライブハウスのイベントに携わったり、知り合いのバンドのお手伝いをしたりしていました。ただ、そういう生活を続けている中で自分の将来や人生を音楽に懸けることに不安を感じて、もう一度大学に入り直すことに決めました。
なので、21歳で大学に入り直し、25歳の年に新卒でファーストリテイリングのGUに入社しました。そして、4年7ヶ月勤めた後に退職しました。
– 興味深いご経歴ですね(笑)。どういった理由で新卒の会社を選ばれたのでしょうか?
2つ理由があります。
1つは、自分は社長になりたいとか大きな会社を起業したいとかではなく、自分の手の範囲に収まるようなスモールビジネスをやるかフリーランスで働こうと思っていたので、そのイメージを元にした時に ”最短で経営者になれます” というキャッチフレーズに惹かれました。
もう1つは、就活で4社だけ受けて、内定をもらったのがユニクロとGUだったので、これはファーストリテイリングにご縁があるなと思い入社を決めました。
– 入社されてからはどのようなことをされていましたか?
店舗の経営改善を担っていたので、在庫計画や採用計画などを任せてもらっていました。その後、0から店舗を作るというところに興味があり、新店の立ち上げの総店長に志願し、任命していただきました。
そこでは、売上想定額から逆算して在庫や採用、予算計画といった経営企画を行ったり、PL評価を踏まえて費用対効果を高める施策を戦略的に考え実行したりしていました。特に新店の立ち上げでは、裁量権を持ちながらビジネスを推進できたので面白かったです。
– そうした中で、退職された理由を教えていただけますか?
元々、僕の周りは自営業が多くサラリーマンをしてる人たちがいなくて、自分もサラリーマンをしてるイメージがなかったので30歳になったら辞めようと思いながら働いていました。30歳のタイミングで、ずっとやりたかった新店の立ち上げを任せてもらったので、それを経験した後に退職しました。
– なるほど、退職を決めた際、その後の計画はあったのでしょうか?
「30歳になったときに退職する」ということは決めていたのですが、新しい店舗の立ち上げなどで忙しく、具体的な計画を立てることはありませんでした。結局、退職後のことを深く決めずに「本当にやりたいことをゆっくり考えていこう」と思い退職しました。
実際、退職後は何も考えていなかったものの、心の中で決めていたことが2つありました。
1つは、小売業に携わる仕事を続けようということ。もう1つは、人に後ろ指を指されるようなことはせず、自分が価値を感じられることをやろうということです。
アパレル業界で働いている時は、この仕事が社会にとって良い影響を与えているのか悩むことが多かったです。アパレル業界は環境負荷が大きく、たとえばジーンズ1本作るのに7000リットルぐらいの水を使ったりします。また、途上国で低賃金で働かされる人々がいるのも現実です。ファーストリテイリングはわりと気を使っていますが、それでも僕たちが見えないところで問題は発生してます。
加えて、消費者からどんどん捨てられていく服を見て、社会性について考える機会が多くなりました。そうした中で、今後仕事をするなら「自分が価値を感じられることをやる」という視点を大事にしようと思いました。
|偶然の再会から始まる運命の挑戦
– まずは段林さんから声掛けをもらったんですよね。
きっかけは、僕がFacebookに退職ポストを上げたことです。退職後は数ヶ月かけて海外を旅しようと思ってたんですが、それ以外本当に何も決めてなかったので、「仕事辞めました、誰か仕事ください」という投稿をFacebookに上げました。
その投稿のタイミングが偶然、段林さんがまさに六興実業を作ろうと思ったタイミングだったらしく、段林さんが僕のFacebookを見て、連絡をくれました。
– 段林さんは高校の先輩だったんですよね
そうです。僕は帰宅部・段林さんはバレー部で、僕にはバレー部の友達がいなかったこともあり、当時は特に接点はなかったように思います。うちの高校は進学校で大人しい生徒が多かったのですが、その中で段林さんはめっちゃ目立ってました(笑)。僕も帰宅部でいつも友達とわちゃわちゃ過ごしていて、ある意味目立っていました。お互いに面識はあり、共通の友達を介して一緒にいることがあるくらいの関係性でした。
初めてきちんと話したのは、段林さんが浪人時代に高校に来た時のことです。段林さんは、死ぬほど勉強した浪人期間中に誰とも話さない日々を過ごし寂しくなって、受験直前の1月頃に高校にふらっとやって来ました。バレー部の後輩と話そうとしたものの、みんな受験勉強で忙しく登校していませんでした。
その時、私立専願だった僕は友達と校庭でドッジボールをしていて、段林さんに捕まりました(笑)。段林さんは、「久しぶりに人と話した、口が腐るかと思った~」と言っていました。確かその時にFacebookを交換しました。
僕はこの出来事をよく覚えているんですが、段林さんは全然覚えていないみたいで(笑)。まぁそういうところも段林さんらしいですよね。もし段林さんが現役合格していたら高校に来ることもなく、僕と親しくなることもなく、六興実業に入社することもなかったと思います。
– 段林さんから声かけを受けた時のエピソードを教えてください
最初にメッセージをもらったのは、2023年9月25日でした。
内容は、「久しぶり。ふとFacebookを開いたら、奇跡的に退職ポストを見たので、これも何かの縁かと思って連絡しました、段林です。今ちょうど会社を始めようと思っていて、一度話さない?」というものでした。
12~13年間一度も話していない先輩から突然の連絡が来るなんて、宗教かマルチ商法しかない。段林さんもそちらに染まってしまったのか…?(笑)、と半ば疑いつつも、その時は仕事もなく暇だったし、藁にもすがる気持ちも少しはあったし、高校時代の段林さんのことは好きでしたし、話を聞くことにしました。
久しぶりに会った段林さんは、高校時代と比べると身体の大きさは変わってましたが(笑)、雰囲気やオーラは高校当時のままでした。話しているうちに、「実業」に対する想いを深く感じ、価値観がすごい合うなと思いました。
僕らの世代って、日本の好景気!みたいなのを体感したことがなく、日本の少子高齢化や経済の衰退を感じる中で社会貢献をしたいと思いながらも、僕自身何をしたらよいか分からないというジレンマを抱えていました。そんな中段林さんが六興実業という会社でやろうとしている構想を聞いて、自分一人では見られないようなすごい景色が見られるかもしれないっていうことと、自分が心の底で抱えていた「社会をもっと良くしていきたい」「困っている人が減るような社会にしたい」「それらを肌感で実感できるような仕事をしたい」という想いがリンクするなと感じて、最終的には「ぜひ一緒に働きたいです!」と言って話が終わりました。
– 六興実業の社長としての段林さんは、どのように映っていますか?
これまでの記事でみんなが話しているように、段林さんが大切にしている「ビジネスが人を豊かにする以上、そこで働く人も豊かであるべきだ」という価値観が、社内のコミュニケーションや社員への気遣いに現れていて、社員の働く環境・人生を大事にしてくれる社長だと思ってます。
それは大前提として、僕が社長の段林さんに対して感じているのは別の部分もあります。
1つ目は、社長としてのビジネスマンとしての能力の高さです。事業について深く考える思考力、自分のアイデアを現実にするための確かな計画や実行力を尊敬しています。もっと言うと、それを効率的に進めるための方法も考えたり、競合と比べてどう差別化するかなども考えているんです。いわゆるコンサルのような形式ばった経営分析ではなくて、自分なりの分析と組み立てができる力がすごいと感じています。
もう1つは、会社のビジョンの考え方・信念の強さです。ビジョンという言葉を使うと段林さんに怒られるかもしれません(笑)。六興実業では「社会価値宣言」と呼んでいます。大体の会社が後付けでパーパス経営を謳っていますが、段林さんは最初から「自分たちが社会に対してどういう価値を提供するか」を定義しビジネスを前進させています。
「段林さんと一緒に働きたい」という人柄に魅了された人もいますが、この「ビジネスマンとしての能力の高さ」と「信念の強さ」の2つが僕が段林さんを尊敬するポイントであり、一緒に働く楽しさでもあります。段林さんの人柄に魅了される人がいれば、会社の展望や戦略など段林さんのビジネス面での魅力を感じる人がいるのもすごいことだと思っています。