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【内定者ブログ:佐藤光】'変化'と'成長'の記憶 『陸上競技』

こんにちは!ROBOTPAYMENT内定者の佐藤です。


ついにこのROBOTPAYMENT内定者ブログも最終周となりました。


ようやく日本のビジネス界に飛び立つ私たち内定者6人それぞれの想いを込めながら書くフリーテーマを通し、改めて内定者の仲間について知れることを嬉しく思います!(松本くんは一足先に飛び立っていますが、、)


前回の久万さんは“負けず嫌いLIFE”ということで、

他人にも自分にも妥協して負けることはしたくないという強い想いを

久万さんらしい素直なエピソードや経験談を語ってくれました。

“負けず嫌い”という久万さんの長所を活かし、彼女が成長してきた姿が手に取るように伝わりました。


【内定者ブログ:久万由華子】負けず嫌いLIFEー「他人」でなく「自分」に負けないこと | 株式会社ROBOT PAYMENT's Blog
こんにちは!株式会社ROBOT PAYMENT内定者の久万です。今回はフリーテーマのブログリレーとなっていますが、前回の増岡さんのブログは留学についてでした。いや、ただの留学ではなくて「温泉」留...
https://www.wantedly.com/companies/robotpayment/post_articles/159766



私の最終章はと言いますと、

実はこの内定者ブログが始まった当時から最後のフリーテーマは絶対に“英語のコツについて記述をする!”と決めていました。


しかし前回のブログで説明した現在取り組んでいる‘執筆’の規定により

それが叶わなくなってしまったため、ここでは私の今までの人生に欠かせない宝の記憶「陸上競技生活」について記述させていただきます!


私にとって“陸上”は英語より古い記憶の中にいます。しかしこの陸上競技経験なしで今の私は存在しないという確信があります。なぜなら英語を始めるまでの18年間、私には陸上しかなかったと言っても過言ではないくらいに私の生き甲斐になっていた要素の一つだからです。

内定者ブログ1周目の自己紹介でも少し記述していますが、改めて、私の土台となった歴史を紐解いていきたいと思います。


―①幼少期 (陸上との出会い)

―②高校時代 (ある意味花の、覚醒時代)

―③アメリカでの陸上競技(新たな視点)

<① スタートライン、出会いの幼少期>


私が陸上を始めたのは小学4年生の部活動でした。


私自身陸上に対する特別な想いは特にありませんでしたが、

―両親が陸上経験者、特に父は北海道で1位になっている

―当時の部活動が運動部(陸上とバスケの混合)の選択しかなかった


という単純な出発地点でした。


幼い頃から運動に関して活発な家庭で育ち、アスレチック、釣り、わんわんランド(犬を借りてふれあうテーマパークだが完全に犬を走り回していた)などの幼少版レジャースポーツをして過ごした幼少期でした。

保育園時代と小学校低学年でかけっこと腕づもうを男子に負けたことがなかったスポーツ少女はもちろん運動部を選び、陸上と出会いました。当時の部活動はとても楽しい思い出ばかりで、やりたくない、めんどくさいという感情が生まれたことはありませんでした。


私が陸上との距離を縮めることができたきっかけは、小学校6年生の陸上大会で優勝したことでした。学校の全校朝会で表彰され、多くの人の拍手や歓声がこれほどにも嬉しくて気持ちの良いことなのかと、小学6年生なりに感じたのを今でも覚えています。


これをきっかけに中学3年間も陸上を続け、高校でも陸上を継続する意思が確立されました。



<② ピークの覚醒時代、辛さと喜びと成長が5倍になった高校での陸上競技>


高校での部活動は私の生活面や体力面のみならず、性格的な内面にまで大きく変化をもたらした覚醒時代となりました。


その一番の理由としては、‘ただスポーツをするだけのチームではなかった’からです。


自己紹介でも軽く説明しましたが、高校の部活動では、何事にも感謝すること、勉強することの大切さや人との繋がりの重要さなどを学びました。


監督がいつも口にしていた、“礼儀がなければ陸上をする資格はない”、

“賢くなければ強くはなれない”の他に、

私たちは5つの部訓を常に意識するように教えられました。


1. できることはやる

2. 感情に左右されるな

3. 日常を大切に

4. レスポンスを早く

5. 自分の感性、感覚を忘れずに


私がいた組織はこの部訓を掲げ、日々自分で考え、責任を持って行動する機会を部活動を通して与えてくれました。また、これらは私の性格面に大きな影響を与えました。


末っ子として産まれ、ハツラツに元気な姉を持ち育った私は、幼い頃からとても恥ずかしがり屋でいつも母や姉を盾にひょっこりはんのように隠れながら、常に人より一歩後ろを歩くクセがついていました。このことが原因で中学生までの私は“積極性”に欠けていて、それが競技者として裏目にでることが多々ありました。

しかし、高校3年間の部活動は私のその積極性の質に180°の変化をもたらし、今では“好奇心”ばかりの人生に導いてくれました。


高校での練習はそれまでの陸上競技生活では比較できない程に辛いものでした。

毎日合計で5時間以上の拘束、学校が休みの日には砂浜や、どのようにして出来たのか不思議なくらい歪な山のような坂に遠征練習に行き、週に1度の“軽”と呼ばれる軽い練習の日には9kmジョグ。クリスマスなどのイベントにわざと被せてくる1年に4度の合宿、長期休みは年末年始の3日間だけ。そして何より普段のオフがほとんど無いという、ブラック部活でした。

冗談抜きで何度も逃げ出したくなりました。しかしそれでも強くなるためには必要なことで、学年を重ねる度にだんだん自分の記録や体力面がかなり成長していくのを実感していました。

そして何より、辛い練習をやった後の達成感は、その辛さの倍以上の喜びに繋がることに気づきました。何度逃げ出したくなっても、その達成感の喜びが私を引き留めてくれました。



3年間の高校部活動で一番印象深いことがあります。

夏休みの合宿中、監督がいきなり私たちにある映画を見せました。

監督は多くを語らず、ただ、「みんなにこれを見て、今回の合宿の‘意味’を理解してほしい」と。

その映画は、アンハサウェイ主演の『プラダを着た悪魔』でした。

この映画では、

―言いつけられたことだけではなく、求められている以上のことを自分のためにすること

―自分がやっていることに‘興味を持つ’、‘知る’、‘知ろうとする’ こと

―つまずいても目的に向かって走り続けること

―辛くても一歩踏みとどまること


などが語られていました。

監督はいつも私たちに直接答えを与えるのではなく、“自分で考えさせる”ことをしました。

この映画を見た時もほとんど何も語らず、ただ“自分で考えろ”というスタンスでした。

たまに本当に答えや意図がわからず困惑し、“なんで先生なのに教えてくれないの”と思うことも正直ありましたが、今考えるとそうであるべきなのだと思います。先生が教える全てが正解なわけでは無い、むしろ正解なんてどこにも無いのかもしれない。でもだからこそ、生きていくためには“自分で考える”能力を身につけることがとても重要なのだと思いました。


生活面、体力面、私の性格にも大きな変化をもたらし、陸上競技を通して、人として大切なことの多くを学ばせてくれた花の高校時代でした。

<③ 新たな概念に出会い、成長ネバーストップ。アメリカでの部活動>


アメリカで陸上部に入ったことは完全なる“チャレンジ”でした。

高校を卒業と同時にスポーツから一度手を引き、約3年半のブランク。現役の頃のように走ることはもちろん、ろくに腹筋すらできない状態になっていました。

アメリカで陸上部に入ったきっかけは友達でした。当時仲良くなった子が陸上部に所属していてよく陸上の話をするようになり、勧誘された事と私のスポーツ大好き精神がくすぐられた事をきっかけに監督に話しに行ったら快く入部を認めてくれました。


アメリカでの部活動は未知の世界でした。私が知る日本の部活動とは全く異なるものだったのです。


・練習中にヒップホップの音楽がガンガン(みんな踊り出す)

・部活中の私語が絶えない

・週に2.3回も休みがある(春休み夏休み冬休みなどの休暇は一切部活がない)

・部活に他スポーツを取り入れる(バスケやアメフト)

・陸上部なのに男子の大半がダンクをできる(身長に関係なく)


アメリカで毎日走っていたスタジアムです^^
このように中でアメフト部、周りを陸上部が使っていました。(音楽ガンガンで、、)




など、私には体験したこともないなんとも不思議な世界でした。


そして何より日本と違ったことは『めちゃくちゃに食べさせられる』ということでした。

高校の時は全く真逆です。毎日体重体脂肪を管理し、『食べるな』とよく言われました。

しかしアメリカでは違いました。栄養などはとりあえず気にしないのです。とにかく『食べる』ことが一番の鍵なのだと教えさせられるほどに『食え食え』と言われ続けました。


しかしアメリカのこの“食べろ精神”にはとっても説得力があったのです。

3年半のブランクを持ち入部した当時、もちろん体は思うように動いてくれず、練習でも悔しいことが何度もありました。それでも私はやるからには本気でやりたくて、練習後や休みの日に週6でジムに通いました。そして、めちゃめちゃ食べました。週5回は夜中にピザを食べました。

なんと1ヶ月後にその成果は表れ始め、3ヶ月後には現役の時よりも強い身体が出来上がってしまったのです。その成果が認められて、最初の記録会では400mを走ったこともない私が4×400の選手に抜擢されたのです。その記録もとても良く、走っている時は超サイヤ人になった気分でした。



アメリカの部活動を通し、私は新たな概念にたくさん出会いました。新しいアイデアも手に入れ、食べることの大切さも大いに学びました。また一つ、大きな成長ができた経験でした。



今回はこのフリーテーマで私の陸上事情について語らせていただきましたが、

この内容を書いていて、人生の成長には様々な要素と形と種類があるのだと気づきました。


そこに答えはなく、成長は無限大なのだと思います。


これからまた新しい世界に入り、新たな成長が待っていると思うと

とても楽しみでたまりません!!

これからお世話になる会社の方や人生の先輩方、まだまだ未熟な私ですが

何卒よろしくお願い致します。


ご精読ありがとうございました。

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