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RITのメンバーを紹介するインタビューシリーズ第10弾は、コンサルタントの吉開星玲です。幼少期をイギリスで過ごした彼女の在英時のエピソードや趣味、RITを選んだ理由などについて伺いました。
プロフィール
吉開 星玲
東京大学法学部卒業後、シンプレクス株式会社にてFX・ETF取引システムの運用・保守、社内ツールの管理や利用推進、銀行の海外支店向け市場リスク管理システム更改の予備検討における主に英語関連対応と幅広く携わった後、 RITに参画。 関心領域は人が本来自分が時間をかけたいことに時間をかけられるようにするための業務改善・効率化。 RITではDX関連についてオンラインで相談できるサービス「バーチャルDX推進室」の担当者で、主にDX関連のリサーチをしつつ、ツール管理・社内改善や英語について担当。
イギリスの好きなところは、違うのが当たり前という前提の上での寛容性があること
ーイギリスに住んでいたとのことですが、何年ぐらい住まわれたのですか?
8年ですね。4〜12歳の時になります。珍しいパターンですが、両親が日本の英語教育に危機感を覚え、イギリスでの仕事を見つけてイギリスに移住しました。日本語と英語を同時に覚えたので両方母語です。そのような状態で渡英して、日本の中学校へ入学する直前までイギリスに住んでいました。
ー日本に戻られた時、最初はいろいろとご苦労があったのでは?
現地で日本語の補習校に通っていた時期もありましたが、中学校の入学時点の私の日本語は、カタカナのヲが分からない、漢字もたどたどしくて小学校低学年の子が書くような字でした。家族との会話は日本語だったので日本語は話せますが、社会的な日本語に触れてこなかったので、例えばhello=こんにちはだと思っていて、みんな挨拶で「こんにちは」ではなく、おはようと言うのはなぜなのか、そのうち「こんにちは」はフォーマルなニュアンスがあって、「おはよう」を夕方まで言うのか……と気付いたりというようなズレがありましたね(笑)。そういうレベルの日本語で中学校に入学したので、最初は覚えるのとかも英語でのほうが断然早くて。日本語で覚えるのが大変でした。
ーイギリス時代の思い出はありますか?
たくさんありますよ! 何をお話しましょうか(笑)。まずご飯がまずい。私と親はロンドンに着いたその日に某ファストフードを食べて食中毒になりました。始まりがまずそこなんですよね(笑)。住むうえでは基本的に少し守りに入るというか、疑わなきゃいけないっていうか。ペンを貸すとしても、あげる覚悟で貸すとか、スーパーでは賞味期限が切れているものが普通に売られていたり、おつりが足りなかったりとか。そう考えると日本は住むのに本当に楽ですね。
いいところとしては、考え方が先進的というのはありますね。あと色んな人がいるので、違うのが当たり前なんです。それが当たり前としたうえでの寛容性があるのがいいなって。日本の場合、意見が対立すると、仲の悪さみたいなものが出てくることがあると思うんですけど、イギリスの場合は意見が違うのも当たり前で、意見が違っても「そういう意見もあるよね」みたいな。そういう大人なところがいいなって思います。
抹茶大好き! 日本へ一時帰国した際にイギリスの友人へ某有名店の抹茶菓子をお土産に持っていって食べさせたら微妙な顔をされましたね
日本のドラマをひたすら見て、忘れた日本語を取り戻す
ー言語学習が趣味だと聞きました!
趣味でゆるゆるとやっていますが、最近は日常的に言語アプリを使いつつ、英語とフランス語からイタリア語・ドイツ語・フィンランド語を学んだり、英語から現代ギリシア語、ハンガリー語、アイルランド語やイディッシュ語を学んだり。古アイルランド語の勉強会に参加したり。他にもTwitterでいろいろな言語botを眺めています。一番好きな文字はタミル文字です。
学生時代はたくさん語学の授業を取りましたね。早稲田の国際教養学部で仮面浪人している1年間、せっかくなので授業も取っていました。英語でのフランス語の授業を週4回とか。ただ国際教養学部なのに基本1言語しか取れず、ラテン語さえなかったので、東大に入ってから色んな言語があって嬉しかったです。基本的に空きコマに言語の授業があれば入れるような感じで、大学で習った言語は英語とフランス語を除くと、中国語、韓国語、ラテン語、古典ギリシア語、スペイン語、ポルトガル語(ポルトガル・ポルトガル語)、イタリア語、ロシア語、ドイツ語、ポーランド語、アラビア語、ペルシャ語、トルコ語、インドネシア語、チベット語の15言語です。
ー幼い頃から外国語に触れていたことも言語学習が好きになったきっかけだったのでしょうか?
親は少なくとも3言語は話せるようにしたかったらしく、まだお腹の中にいた頃に母がフランス語やイタリア語を聴かせていたらしいです。フラッシュカードみたいなゲーム感覚で日本語・英語とフランス語も同時に単語を覚えたり、イギリスに渡る前も、親の友達に外国人が多く、その子どもと遊んでいました。英語しか話せない、フランス語しか話せない友達に合わせて言葉を使い分けて話していたそうです。
渡英後、5歳からプライマリースクールでフランス語、11歳からセカンダリースクールでフランス語とラテン語、スペイン語も学びました。7歳ぐらいだったと思いますが、私たち家族と友達家族で1ヶ月間スペイン旅行に行ったことがあります。友達の家族は日本語が分からないので、旅行中に一切日本語を話さなかったら、日本語を忘れたんですよ(笑)。日本語は話しかけられると意味はわかるけれど、自分から日本語で話せなくなってしまって。親は日本語で話して私は英語で返すというような状態でした。親が日本のドラマのビデオをたくさん借りてきて、ひたすら見せたら、日本語が戻ってきたと言っていました。
これは大英博物館で入手したロゼッタストーンのかばんです。ネックレスにはアラビア語で名前が文字装飾されています。
自分のテーマは人が時間をかけたいことに時間をかけられるようにするための仕組みを整えること
ー前職ではどんなことをしていましたか?
新卒でシンプレクス株式会社に入社して、FXやETFの運用保守のプロジェクトや社内システムのツール管理や利用推進、海外支店向けのシステム更改プロジェクトでの英語対応、要件定義書の一部作成などの業務を担当していました。会社のキャリアマップとして、主にPMとエンジニアの二方向があったのですが、自分がやりたい領域にはどっちも合わなくて、転職活動をはじめました。
ーなぜRITに転職したのですか。
転職活動の軸はいくつかあったのですが、一番の軸は周囲の人が時間を使いたいことにしっかり時間を使えるようにしたい、人の時間の有効利用に携わりたいという事。例えばすごく忙しいので改善をしたいけれど、忙しすぎて暫定対応しかできなくて、逆にもっと忙しくなってしまうことってあると思います。これでは本来時間を割くべきところに時間が割けないので、効率化や改善をして道を整えていくということに取り組めるところ、フラットなカルチャーのところ、他にいろいろやってみたいので、副業可能なところで探していました。
RITは社風があっていそうでフラットであること、情報がオープンで社内の改善をしたいときにそれがすぐ反映できるような風通しがよい社風なところがいいなと思ったのと、副業を一応認めるという形でなく、新規事業サポートなど制度面でも「チャレンジが賞賛される世の中にする」というビジョン通り、本当にチャレンジを後押ししているのがとても感じられたので、RITに決めました。
ー担当業務を教えてください。
主にバーチャルDX推進室の運営、社内のツール管理や業務改善を担当しています。バーチャルDX推進室では、私たちがお客様の代わりにリサーチを行ったり社内知見で回答したりすることで、お客様の業務をサポートし、他のことにも時間を充てられるようにお手伝いをしています。
ー仕事をやっていて楽しいと思える時を教えてください。
そうですね、社内で少しでも何かを改善できるのがやっぱり嬉しいし楽しいなと思える時です。あとはリサーチをしていく中で、新しい発見があるのが楽しいなと。このリサーチもインターンに手伝ってもらっていますが、インターンが成長していく姿を見ることができた時も仕事の楽しさを感じる瞬間です。
大学時代はフィギュアスケート部に在籍。他にも天文部やスキー・スノーボードサークル、ビジネス企画サークル、ビジネスコンテストを運営する学生団体にも所属していました。