地銀からの転職で見つけた新しい夢。行動をかえたら「今の自分が100倍好き」になっていた ライフプランナー 工藤真仁 <前編> - MIMOSA MAGAZINE(ミモザマガジン)
夢は、何歳になっても持ち続けていい。今回の主人公・工藤真仁さんは、これまでに「3つの夢」を抱いたひとだ。 ...
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夢は、何歳になっても持ち続けていい。今回の主人公・工藤真仁さんは、これまでに「3つの夢」を抱いたひとだ。
学生時代、「プロサッカー選手になりたい」という夢に破れ、支えてくれた両親への感謝の気持ちから抱いた次の夢は、「親孝行をすること」。それを叶えるべく工藤さんは安定した地方銀行への入行を決めた。しかし今は、さらに大きな夢を抱き、プルデンシャル生命で「ライフプランナー」として生きる道を選んでいる。
かつては、目の前のことばかりで余裕がなかったという彼が、「昔よりも自分のことが100倍好きになれた」と語る理由、そして家族との未来を描いた夢を、聞いてみよう。
人生で初めて、溢れ出る涙で枕を濡らした。「何よりも打ち込んできたのに、サッカーで生きていくという夢はこれまでなのか……」。脳裏に浮かぶのは、ここまでずっと支え続けてくれた両親の姿。悔しさと申し訳なさが入りまじり、涙が止まらなかった。
兄の影響で、物心がつく頃にはサッカーボールを蹴って遊んでいたという工藤さん。小学生の頃には「プロサッカー選手になる」という夢を持ち、練習に明け暮れる日々を過ごしていた。高校ではキャプテンとしてチームを率い、全国大会の大舞台へ。うだるような暑さでも、冬の冷たい雨の中でも走り込み、限界の向こう側を見るような練習を乗り越えてつかんだ切符だった。大学でも本気でプロを目指し、全精力を注いでいた。
「今も、テレビで同世代のサッカー選手が頑張っている姿を見ると、どうしてもプロを諦めた当時の気持ちを思い出して胸が痛みます。でも、だからこそ『自分も負けてられない』と頑張れるんですよ」
当時は両親への申し訳ない気持ちが強かったという工藤さん。「父は厳しくも筋の通った人。『学生のときにしかできないことを一生懸命やれ』と言って、大学までバイトをさせず部活に打ち込ませてくれました。僕は、親の脛の骨までかじった息子です」。
そこで工藤さんが次に抱いた夢は、「両親への恩返しのために介護施設を建てること」だった。
「親孝行がしたい」――。その想いを抱く人は多いが、そのために「介護施設を建てたい」というのは規模が大きい。工藤さんがそこまで強く思う背景には、父の姿があった。
「父の勤める会社では、全国転勤で経験を積んで昇進するのが当たり前でした。ですが父は、『自分が立ち上げたラグビースクールの子どもたちがいるから、ここを離れるわけにはいかない』と、転勤を断っていたんです。後輩に出世を追い抜かれたとしても、『俺には大事な場所がある』という信念を貫いた姿でしたね。ぜいたくをしない人でしたが、息子3人とも私立の高校・大学、かつ一人暮らしだったのに部活に集中させてくれましたし、ラグビースクールの生徒にも、よく食事をご馳走していました」
そんな父のことを工藤さんはこう表現する。「時間とお金を犠牲にしてまで人に尽くせる人。世界一尊敬していますし、いつか超えたい壁だと思っています」
そして大学を卒業後、新卒での就職先に選んだのは、地元・福岡県に本店を置く地銀だった。
「介護施設を建てるためには、融資や助成金などの金融知識が必要になります。そのためにお金周りのことについて学びたいと考え、銀行を選びました」
1年目に窓口業務、2年目にローン業務、3年目は営業を担当。地元企業の経営者らと話す機会も多くやりがいを感じる反面、いわゆるライフワークバランスのしっかりとれた環境から「もっと限界まで頑張ってみたい」と思う気持ちが、工藤さんのなかで少しずつ大きくなっていった。
結局、工藤さんは就職して3年目で地銀を退行し、プルデンシャルに転職している。地銀を辞めることに未練はなかったのだろうか。
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