2011年に、24歳という若さで入社した徳島支社の稲富奈々(いなとみなな)。
「ここしかない」とプルデンシャル生命に惚れ込んで転職したものの、低迷した時期もあった。スランプを脱し、V字回復を果たすことができた背景には何があったのか。
ライフプランナー(以下、LP)を「命を燃やせる仕事」と語る、稲富のキャリアの紆余曲折に迫る。
―――まずは自己紹介をお願いします。
徳島支社の稲富奈々と申します。徳島で生まれ育ち、ずっと徳島で暮らしています。
高校3年生のとき、祖父母が相次いで倒れ、流動食のお世話になったことから、食を専門に学びたいと思うようになりました。
地元の大学に進学し、管理栄養士の資格を取った後、医薬品や医療食品の卸を手がける企業に入社。医療食品の営業をしていましたが、会社の方針変更で自分が本当に「お客さまのためになる」と思う提案ができなくなってしまったんです。「世の中にはお客さまのことだけを考えて仕事をさせてくれる会社があるはずだ」と思い、1年9カ月で退職することになりました。
それから転職活動を経て、2011年3月に当時24歳でプルデンシャル生命に入社しました。
―――プルデンシャル生命と出会ったきっかけをお聞かせください。
退職前に知人のつてでプルデンシャル生命のLPと知り合いました。定期的に食事に誘われていたものの、何度か断っていたのですが、「仕事は楽しいですか?」と聞いてみたら「めちゃくちゃ楽しいよ」という返事が返ってきたので、また会ってみる気になったんです。
その方と食事をしたときに、「お客さまのことだけを考えて仕事がしたくて退職した」と伝えたら、「一度うちに来てみたら?」と言われ、CIP(キャリア・インフォメーション・プログラム)と呼ばれる会社説明を受けてみることにしました。
―――CIPを受けたときの印象はいかがでしたか?
創業者の坂口さんの想いや保険業界の変革を熱く語る所長の姿を見て、雷が落ちたように感じましたね。「この会社めちゃくちゃカッコイイ!」と感動して、泣きっぱなしでした。
「ここに受からないと私の人生はダメになる」「プルデンシャル生命に受からなかったからと他社に行ってもいい仕事はできない」と思い、それからすぐに他社の選考は辞退しました。プルデンシャル生命以外は考えられないくらい、すっかり惚れこんでいましたね。
―――CIPを受けてから実際に入社するまで、迷いはなかったのでしょうか?
私自身の迷いは1ミリもなかったです。周囲にはことごとく反対されたので、その時初めて、「生命保険業に対する世間のイメージがあまり良くないのかもしれない」と感じました。母には泣かれ、父からも猛反対されましたが、「坂口さんの会社で働きたい」という強い気持ちと、所長と出会って人生で初めて「この人についていきたい」と感じた衝撃が上回り、「ここだ」という決意が揺らぐことはありませんでした。
入社後数年が経ってから、あれだけ反対していた両親から「お前にとっては天職だったんだろうな」と言われ、涙が出そうになったことがあります。両親と一緒にいるときにお客さまと街でばったり会って「稲富さんにすごくお世話になって」と言っていただいたり、お客さまが実家に出産祝いに来てくれたりしたことで、「ちゃんとやってるんだ」と感じて安心したようでした。
―――プルデンシャル生命に惚れ込んで入社されたということですが、入社後にギャップを感じたことはありましたか?
いいギャップしかありませんでしたね。10年、20年選手の大先輩が一生懸命テレアポをしている姿に「やっぱりこの会社はすごいな」と感じましたし、カスタマーセンターの方や管理職の方など、みなさんが「For LP」という気持ちで誠実に仕事に向き合ってくれていることを日々感じるので、「CIPで聞いたことには何ひとつ嘘がなかった」と思いました。
所長にも本当に感謝しています。お客さまのことで迷ったときに、「稲富がお客さまの立場に立ったとき、『この保険に入りたい』と心から思えるものを自信を持って提案しなさい。そうすれば絶対に成功するから」と、だけ教えてくれたんです。
「自分がお客さまの立場だったら」と考えてベストな提案ができるので、入社後もずっと会社が大好きな気持ちは変わりません。お客さまにもよく「会社が大好き」という話をしています(笑)
―――当初はマーケット開拓に苦労したこともあったのではないでしょうか?
最初はとても大変でした。同年代の友人・知人はまだ真剣に生命保険を考える年齢ではなかったこともあり、ことごとく断られましたね。
そんなとき、所長の商談に同席させてもらったことがあったんです。そのご家族が驚くほど温かく私を迎えてくださって、「生命保険の申込みでこんなに楽しい雰囲気が作れるんだ」と肌で感じました。所長がお客さまのことを考えて仕事をしていることがお客さまに伝わって、お客さまが「保険は必要だ」と感じたことで、保険の価値が高まったからだと思います。
その後、前職でお世話になった管理栄養士の方にお話しを聞いていただいて以降、30代を中心に一気に紹介の輪が広がり、マーケット開拓が軌道に乗るようになりました。
―――所長の商談現場を見たことで、お客さまとの向き合い方や商談の進め方にどんな変化がありましたか?
丁寧にお客さまと向き合って、一つひとつの言葉に意味を持たせようと意識するようになりました。
また、当時24歳だったので、当初は自分を大きく見せたい気持ちがあったのですが、等身大でぶつかっていこうとするようになってから、マーケットが広がっていきましたね。
―――今後、プルデンシャル生命でやりたいこと、実現したいことはありますか?
創業者の坂口さんの想いを実現するためにも、先輩方が築いてきたものを受け継いでいくためにも、次の世代に背中を見せられる存在になりたいと考えています。
プルデンシャル生命で働いていると、「先輩方が築き上げた会社なんだ」と実感することが本当に多いんです。
先輩が担当していたお客さまを引き継ぐ際に、2000年代に契約されたお客さまが契約時の思い出話を語ってくれたことがありました。また、「なぜこの保険に加入してくださったのですか?」とお尋ねしたときに、「『ただ、顧客のために考えなさい プルデンシャル―営業力の秘密』という本を読んで、この会社の顧客になりたいと思ったんです」とおっしゃったお客さまがいて、胸がジーンとしたこともあります。
入社直後に社内コンテスト入賞後、長期の低迷を経て数年前からようやくV字回復し始めたのですが、「あの頃(低迷期)には絶対に戻らない」と決意して、自分が言った数字は絶対に守ること、いつまでも学び続けることを肝に銘じています。
―――スランプの後にV字回復できたのはなぜだったのでしょうか?
低迷していた頃は、自分に原因があるとわかっていてもそれを認められず、「○○のせい」と心の中で言い訳をして、他責になってしまっていたんです。会社のことが大好きなのに、自分が足を引っ張ってしまっている気がするし、なかなか自分を変えることもできなくて、ずっとモヤモヤを抱え続けていました。
忘れもしない2016年4月、ある大先輩から声をかけられました。「支社長に『稲富はもう伸びないかもしれません』と言ってみたが、支社長から『いや。稲富は絶対また復活しますから、待ってみます。』と返ってきたよ。」と言うのです。
支社長は私が入社したときに所長だった方で、てっきり見放されていると思っていたのに、信じて待ってくれていたんです。そして、「お前は自分のためでなく、人のために頑張れ」と鼓舞してくれました。その後、産休・育休を取得した際は所長が私のお客さまを丁寧にフォローしてくれました。
お客さまはもちろんのこと、所長、支社長、そして大好きな会社のために「変わらなきゃいけない」と一念発起しました。周りの人がいてくれたからこそ、今の自分があります。
―――それを機に、仕事のやり方にも変化があったのでしょうか?
「二度とあのときには戻らない」と自分に約束してから、お客さまにお会いするときは必ず目的を決めて訪問するようになりました。
お客さまの限りある人生の貴重な時間をいただいている以上、ただ雑談をして帰るのは失礼だと気付き、毎回プロとして有益な情報を提供すること、お客さまのお役に立つことを意識しています。
日々お客さまと接する中で、気持ちが通じ合った瞬間や、家族にも言えないような話ができる存在になれたことを実感する瞬間がすごく幸せですね。
―――LPに必要な素養は何だと思いますか?
「素直さ」です。プルデンシャル生命では営業経験のなかった人が活躍しているケースもあり、これまでの経歴よりも、常にトレーナブルで、素直に客観的に自分を見られるかどうかが大事だと感じます。
プルデンシャル生命で成果を出している人に共通しているのは、みなさん素直だということです。勉強会に参加しても、エグゼクティブ・ライフプランナー※の方が一生懸命メモを取っていたりするんです。社内資格制度におけるLP職の最高位なので、言ってしまえば、“今以上”はないはずなのに。
どれだけ実績を積んでも学びに貪欲であり続けるためには、「自分はまだまだ足りない。お客さまのために、自分のためにもっと吸収したい」と思える素直さが必要なのではないでしょうか。そういう素直さがないと、LPを長く続けることはできないと思います。
―――いつまでも謙虚に学び続ける姿勢が大事なんですね。プルデンシャル生命に興味を持っている方、キャリア選択に迷っている方へのメッセージをお願いします。
命を燃やして働きたい人にとって、LPは最高の仕事です。創業メンバーが命を燃やして会社の礎を築いてくれたから、今のプルデンシャル生命があると思っています。
だからこそ、「奇跡の企業」と呼んでもいいくらいのこの組織を引き継いでいく私たち自身も、同じように命を燃やしていかなければなりません。
エグゼクティブ・ライフプランナーまで上りつめても、さらなる高みを目指している大先輩に比べると、私自身はまだまだだと感じます。でも、自分の人生を振り返ったときに「楽しかったな。命燃やしたな」と思えたらすごく幸せなので、今は尊敬できる先輩方から油を注いでもらっているような感覚ですね。
人生は一度きり。本気で輝きたい方、何歳になっても熱く生きたい方は、ぜひプルデンシャル生命の門を叩いてみてください。
|※エグゼクティブ・ライフプランナーとは、社内資格制度におけるライフプランナー職の最高位。