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選択のすぐそばにライフプランナーがいる(国境なき医師団『畑井 珠恵』×ライフプランナー『宮島 妙』)

内閣府主催の「世界青年の船」事業をはじめ、次世代リーダーの育成など社会に貢献するお仕事を続けてきた畑井珠恵(はたい たまえ)さま。40代半ばでがんを克服したことが人生のターニングポイントに。現在は「国境なき医師団」に所属し、途上国での人道援助活動で活躍されています。

治療や転職など畑井さまが人生における選択をするそのときに、担当ライフプランナーとして寄り添ってきた宮島妙が、がん闘病時の思い、治癒後の人生観の変化などについて聞きました。

きっかけは国際交流事業「世界青年の船」


宮島:私と畑井さんが知り合ったきっかけは、「世界青年の船」事業でした。(※1)大学時代にこの事業に応募して乗船した「にっぽん丸」の船上で、既参加者の一人としてサポートしていた畑井さんに出会ったんですよね。

畑井:当時、運営団体である一般財団法人青少年国際交流推進センターの職員でした。さらにOGだったので、参加者にプロジェクト終了後の活動のことなどを説明するために区間乗船したんです。宮島さんはキラキラした笑顔がとても印象的でした。

宮島:畑井さんは頼りになるお姉さんとしてあこがれの存在でした。その後も、「世界青年の船」のメ
ンバーはSNSなどでつながって、親交を深めていました。卒業後、私は航空会社でCAなどを経験し、
27歳のときにプルデンシャル生命保険に転職。
そこから、畑井さんとのお付き合いが深まりました。

※1 内閣府による青年国際交流事業。18~30歳の青年が世界各地から集まり、船内で1カ月共同生活をしながら、ディスカッションや文化交流等を行う。



お客さまと信頼できるライフプランナーとしての出会い

畑井:2003年、私の前職の先輩がプルデンシャル生命に転職したということでプレゼンを受け、今までの保険に対するイメージが大きく変わり加入しました。ところがその後、先輩は退職されてしまい…。後任の方からごあいさつのお手紙もいただいたのですが、「そうだ、宮島さんがいるはず!」と思い出しとりあえず連絡したんです。

宮島:当社では担当者が退職となった場合でも、後任のライフプランナーが担当者としてお客さまに信頼いただけるようなバックアップ体制があります。私は畑井さんと20歳からお付き合いがあったので、前担当者からご相談を受けて担当させていただくことになりました。担当者となったことで、キャリアや家族関係など畑井さんの人生のお話をあらためてゆっくりと聞くことができました。

畑井:無理に何か売ろうとするのではなく、他社の保険も含めて契約内容を見てくれて、必要な保障が確保できているところは「これはそのままで大丈夫」と率直な意見を言ってくれたのがうれしかったです。その上で貯蓄性のある保険や不安に感じる部分をサポートする保険なども紹介してくれました。ライフプランナーさんって契約が成立したら終わりではなくて、人生設計などかなり個人的な話をすることになるので、やはり信頼できる人に任せたかった。そこに宮島さんがいたのはとてもラッキーでした。

宮島:実際、前任のライフプランナーはしっかりとした保障をご提案されていて、畑井さんへの愛情を感じましたよ。


卵巣がんが発覚…
保険金で広がった可能性

宮島:数日後に再び「世界青年の船」への乗船を控えたあるとき、畑井さんからがん保険について相
談をいただきましたよね。

畑井:母が乳がんを患うなど、比較的うちの家系にがんになった人が多かったから気になっていたのかしら。他社のがん保険に加入していたので、その内容も見てもらいました。

宮島:この10年で、がんの治療はずいぶん変化しています。私たちぐらいの年代だと比較的早く退院して、その後じっくり通院し放射線治療や抗がん剤治療をするというケースが多いように聞きます。だから、万が一がんになったときに、退院後に時間をかけて治療に専念できる「がん診断保険」をお勧めしました。帰国してからでもよかったのですが、考えがまとまっているなら先延ばしにする必要もないとご提案して、乗船までにご契約していただいたんですよね。

畑井:それから約3カ月後、帰国して定期健診に。「45歳ときりもいいので婦人科検診も受けよう」と思いつきで受けたところ卵巣がんが見つかったのです。まさに青天の霹靂。自覚症状もなかったので本当に驚きました。でも診察室を出るともう気持ちが切り替わっていて、早々に「どうやって治療しよう」と考えていました。宮島さんにもすぐにお電話しました。

宮島:お電話をいただいて私は頭の中が真っ白になりました。「まさか畑井さんが…」と友だちとして
ショックを受けたのです。同時に、加入から90日間は不担保期間(※2)なのでがん診断保険の保険金をお支払いできるか…と不安に駆られました。すぐに調べたらギリギリでご対応できることが分かり…本当にほっとしました。でも、畑井さんは私が想像していたよりも落ち込んでいなかった気がします。前向きに「これからのこと」を相談いただきましたよね。全摘するか、どうしようか…と。

畑井:そうなんです。治療方針を先生と話し合う中で、あっさりと両卵巣と子宮の全摘を勧められて愕然として…。そこから、本や資料を読んだり、姉が代替医療の指導をしているので相談したりして、自分が納得できる治療法を模索したんです。

宮島:私も仕事でお世話になっている医師から情報収集すると、やはり全摘を推奨されました。お見舞いに伺い、お話を聞く中で、畑井さんの「生きるために情報を取りに行く姿勢」には私も学ぶところがありました。

畑井:最終的に、卵巣だけを切除して、開腹時に悪性腫瘍が転移していたらそれも切除してもらうという方針で同意書にサインをしました。術後1週間入院して、その後は1カ月自宅療養。抗がん剤、放射線の治療はせず、自己免疫力を上げて、自然な回復を目指したのです。プルデンシャル生命から、がんが発覚してすぐにまとまった保険金が振り込まれたのもありがたかったです。治療法の指定がなく自由に使えるお金だったので、自分のやりたい治療法を思い切って取り入れることができました。

※2 お支払い事由が発生しても保障の対象外となる期間。がん給付については、がん給付以外の責任開始期からその日を含めて90日間の不担保期間があります。




第二の人生でさらに輝く

宮島:畑井さんは「もう一度命をいただいた」ってよくおっしゃっていましたね。

畑井:「あの世行き」の切符を渡されたけれど「もう少し頑張りたいのでいらないです」と返却した
―そんな感じでした。だから、手術後には人生が大きく変わっていきました。ライフスタイルも見直し
て、化学物質などを摂らないように、口や皮膚から入るものについては、とても気をつけるようになり
ましたね。

宮島:すごくやりたい仕事を見つけたというお話もしていただきました。

畑井:国際交流の仕事は天職だと思って20年やってきました。でも今から新しいことを始めたらまた20年働ける。もう一度いただいたこの命を使って何か新しいことをやりたいと思っているときに、「国境なき医師団」で働く方の話を聞いて転職を決めました。その話をしてくれたのが、看護師をしている今の夫です。

宮島:仕事、パートナー、住む場所も変わって、ますますアクティブに輝いていますね。

畑井:彼と「やりたいことリスト」を作ってみたら、項目が何十個もあって「今の人生じゃ足りない!」って(笑)。二人でこれを全部やろうと、オンとオフを切り分けて時間をつくり、旅行にいったりダイビングをしたりと少しずつクリアしています。

宮島:畑井さんが術後5年経過されたとき、心からほっとしました。今日は昔のことをいろいろと思い出して、元気に笑顔で畑井さんと対談できる幸せをかみしめています。この先も畑井さんが夢を実現されることをサポートする。それが私のライフプランナーとしての仕事だとあらためて思いました。
これからも、お客さまの可能性を広げられる存在を目指して、お客さまに寄り添っていきたいと思い
ます。

畑井:これからも担当ライフプランナーとして、友人として、よろしくお願いしますね。

宮島:こちらこそ、末永くよろしくお願いいたします。これからも畑井さんを応援しています!


畑井 珠恵

国境なき医師団 アドミニストレータ―

東京外国語大学卒。卒業後、大手旅行会社に勤務。26歳で内閣府主催の「世界青年の船」事業に参加。その後、一般財団法人青少年国際交流推進センターで、同事業をはじめとする青年国際交流事業を企画・運営。次世代のリーダー育成、国際交流などに貢献する。2018年、医療・人道援助活動を行っている団体「国境なき医師団」に転職。イラクやアフリカのマラウイ、パキスタンに派遣された。


宮島 妙

ライフプランナー

2007年プルデンシャル生命入社。東京中央支社、コンサルティング・ライフプランナー。

※写真はすべて感染症対策を行った上で、撮影時のみマスクを外すなどの対応をしております。

※本インタビューは、2022年7月時点の情報です。

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