「インターネットの力で世界のビジネスを革新する」。これは、株式会社ペンシルが2015年に掲げた企業理念である。この企業理念をカタチにするために、そして、ダイバーシティ経営を推進し続けるためにーー。2003年に入社し、2016年6月に社長に就任した倉橋美佳が考える「責任と自由」とは?
入社当時に抱いた違和感が、「責任と自由」をもたらした
「会社が潰れたら、うちに履歴書送っておいで」。
大学を卒業後、ウェブ制作会社で働いていた倉橋は、食事をした帰りに顔見知りだった覚田義明(ペンシル創業者)と交差点ですれ違い、流れで飲みに行くことに。勤めていた会社が潰れそうだと話したときに覚田から言われたのが、冒頭の言葉だった。
その後、勤めていた会社がなくなったものの働く意欲もなく、自宅でのんびり過ごしていた倉橋に、覚田から電話が掛かってくる。
「会社潰れたんだよね? 履歴書送っておいでって言ったでしょ」。
そう言われた倉橋は重い腰を上げて履歴書を送った。
倉橋 「いつから出社できるのかと聞かれたときに『来月から働こうかなと思っています』と伝えると『1ヶ月も何をするの?明日から来なさい』と言われ、半ば強引に翌日から働くことになったんです(笑)。『履歴書を送ってきなさい』とか『明日から来なさい』と背中を押してもらったことで働くきっかけができました。今思えばすごくありがたかったですね」
こうして2003年、倉橋は株式会社ペンシルに入社した。オフィスは薬院(福岡市中央区)の雑居ビルの一室。当時は覚田の案件をスタッフ全員でやるという状況で、指示されたことはきちんとこなすものの、自ら積極的に主張する社員があまりいなかった。
そんな環境であったにもかかわらず、倉橋は入社初日から「会社を良くするために、もっとできることはあるのではないか?」ということを積極的に覚田に伝えていく。
覚田自身も組織を変えなければと考えていた時期。倉橋の提案をきっかけに、各部門にマネージャーを配置して組織化したり、社内ルールを変えたりしながら、少しずつ体制を整えていった。
倉橋 「ほかの社員にとっては当たり前なことに対しても私は疑問を持っていましたから、周りからは『不思議な子が入ってきたな』って思われていたかもしれません。倉橋は既存の部署では収まってくれなさそうだから、新しい部署を作りましょうってなったんじゃないかな(笑)」
倉橋が入社して2年後の2005年、ペンシルに開発研究部門であるR&D事業部が誕生した。これをきっかけに、彼女は「責任と自由」を同時に得ることになる。
仕事の報酬はぬいぐるみ50個!? 独自の文化を育んだR&D事業部時代
R&D事業部は、Research and Developmentを行う部署だ。倉橋たちは、年々進化していくウェブの新しい技術やサービスを、より実戦的な視点で研究してノウハウを蓄積。マーケティングやウェブプロモーションの企画立案・実施・効果測定を行い、仮説→実証→仮説を繰り返していった。
倉橋 「当時はけっこう好き勝手にやっていました。イメージとしては大学の研究室のような感じですね。ただ研究するだけでなく、実際に売上も持っていましたし、今でこそ珍しくはなくなりましたが、社内で大手クライアントを持っているのはR&D事業部だけだという自負もありました」
R&D事業部は他部署とはフロアも異なり、社内でも独自の文化が生まれていく。
あるとき、倉橋は社内の空間づくりのためにクライアントのキャラクターグッズ(非売品)が欲しくなり、そのクライアントのサイト制作の見積書の金額欄に「ぬいぐるみ 50個」と書いたことがあった。実際にその見積りが通り、サイトを制作したが——。
倉橋 「大量のぬいぐるみが会社に届いて、これどうしたんだ!って。ウェブページを作って物々交換しましたと正直に話したら、お前何考えてんだ!って怒られました(笑)」
殺風景だった会議室を楽しい雰囲気にしようと思ったときには、その資金を貯めるために事業部のスタッフが不用品を持ち寄って社内でバザーを開催したり、セミナールームで調理したものを100円で販売したり……倉橋は突拍子もないことを次々と行っていく。
倉橋 「なんでそんなことをしていたのか、そこに明確な理由はありませんでした。ただ、戦略的に考えてやっていたわけではなくて、少しでも楽しく仕事ができたらと思いながらやっていたんですよね」
そんなR&D事業部に対して、他部署からは「好き勝手やっている」とか「もうちょっと大人しくしろよ」などと言われてもいたが、クライアントに対して成果を出すことが自分たちの存在意義だと考えていた倉橋たちにとって、それらの声はあまり気にならなかった。しかし……。
倉橋 「当時、私はまだ20代で、偉そうにコンサルティングをやっていたものですから、クライアントの担当者から“小娘扱い”されてしまうこともあって。成果と関係ないところでそういった状況になってしまうのは、すごく悔しかったですね。
だったら、ペンシルのメンバーを大切にしてくださるクライアントを自分たちで選んでいくんだ、と気持ちを切り替えました」
自分たちを大切にしてくださるクライアントのために、アウトプットの質を磨き続けるーー。そんな信念を持って仕事をしていくことで、R&D事業部はライオン株式会社や江崎グリコ株式会社といったナショナルクライアントの仕事を手がけるようになり、ペンシルの顔となるノウハウや商材を作っていく。そのことが倉橋たちにとっての励みでもあり自信にもなっていった。
創業者の“語録”を、企業理念として生まれ変わらせる
研究開発型ウェブコンサルティングという独自性の強い事業を展開することで、成長のスピードは加速し社員数も続々と増えていった。その一方で、組織の壁にぶつかったこともある。
倉橋 「覚田の言葉はメッセージ性が高く、みんなが納得するような力強さがあると感じています。けれど、長年ずっと一緒にいた中で、その考えや思いを全て吸収するのはものすごく時間もかかるし大変でした。社員数も急増していて、『会社としてのメッセージってなんですか?』と問われたときに、それぞれのスタッフの答えは違うだろうな、と」
スタッフの答えに正解も不正解もない。なぜならそれは全て覚田の考えであり想いであるからだ。しかし、そこがバラバラになってしまうと、会社としての結束力が失われてしまうと考え、覚田のメッセージを社員全員で共有するために新しい企業理念を定めることになった。
まず取り組んだのは覚田語録を洗い出すこと。丸一日の合宿では50個を超えるキーワードが吸い上げられ、それらの言葉をベースに企業理念づくりがはじまった。
倉橋 「絶対に入れたいと思ったのは“インターネット”という言葉。私も覚田もインターネットに出会ったことで可能性が広がったという実感がすごくあったので、そこにはこだわりたくて。また、これから国内企業が豊かになっていくためには“世界”に出ることは必要だと思っていたので、“世界”という言葉も入れました」
そして、最終的に選ばれたのは“革新”という言葉だった。
倉橋 「私たちが学んできた日本独自のデジタルマーケティングでは、一人ひとりに対する接客を大切にする考え方とか、データとしてではなく人として見るといった考え方があり、それは世界にも通用すると思っています。そういった考え方を世界に広めていきたい。これから世界が変わっていくタイミングではないかと思い、“革新する”という言葉がしっくりきたんです」
こうして2015年9月、「インターネットの力で世界のビジネスを革新する」という新たな企業理念が誕生した。倉橋には、この企業理念を通して実現したいことがふたつある。
倉橋 「ひとつは自分がワクワクしていること(=インターネットなどの新しい技術)を単純に広めたいということ。もうひとつはインターネットの“正しい使い方”を広めていくということです。
たとえばSNSでのいじめ問題が報道されたとしても、 SNSがなくなればいじめがなくなるわけではありませんよね。そこは別問題なのに一緒くたにされてしまう。だからこそ、正しい使い方を広めていくことの必要性をすごく感じています」
そのためには、私たち自身も進化を続けなければいけない。ペンシルが独自に開発した「戦略的WEBサイト成功シート」は更新され続けており、2017年現在のバージョンは9.0。年に一度、新しい項目や統廃合する項目などを話し合い決めていくものだが、倉橋はこの作業をとても楽しいと感じている。
倉橋 「インターネットを使ってビジネスをしたいと考えている世界中の人たちにとって、このシートが教科書や指針、ものさしとして機能するようになれば、“革新した”と言えるかなって思っています。このシートをもっと多くの人々に広めていくこと、さらにブラッシュアップしていくことは続けていきたいですね」
企業理念が定められた約1年後の2016年6月、倉橋は代表取締役社長COOに就任することになる。
1+1=3にする。 ダイバーシティ経営のために必要なこと
入社直後に抱いた違和感をきっかけに、成果を出すことで「責任」を果たしながら、自分の好きなことを突き詰める「自由」を得た倉橋。しかし、それは決してひとりで手に入れたものではない。
倉橋「ひとりの“1”という力は、社会に出るとその全てを発揮できない人が殆どです。個々の能力が不足しているというわけではなく、環境やコミュニケーションによっては0.6になったり、0.7になったりしてしまうこともありますよね。
だから、自分の仕事の範囲を定めるのではなく、一人ひとりの得意なこと、苦手なことを組み合わせていくことで、全体として1+1=3にしていければいいと考えています。それが外国籍やチャレンジド(障がい者)、時間に制約のある子育て中の社員であっても、です」
そのような多様性を受け入れたダイバーシティ経営を推進していくためには、社員がひとつの価値観に真摯に向き合うことが必要不可欠だ。倉橋は、数ある行動指針の中でも特に、「ペンシルプライド」をメンバーが持つことを望んでいる。
倉橋 「地方都市・福岡でありながら、東京や日本全国の大手クライアント案件を継続できていることへの“当たり前感”のようなものが生まれてしまっているかもしれません。すると個人の成長は鈍りますし、そういう環境は与えられるものだと思ってしまうのもちょっと違いますよね。
自分たちがやっていることへのプライドをもっと高く持つことができれば、よりいいものを生み出そうとするでしょうし、クライアントとももっと向き合おうと思えるんじゃないかな、と」
かつてクライアントとの喧嘩が絶えなかった倉橋からすると、最近の社員たちは少々おとなしいとも感じてしまうこともある。
倉橋 「喧嘩ってプライドがあるからできることなんですよね。お客様のことも知り尽くしているし、絶対にこっちの方がいいという自信があるからこそできる。喧嘩がいいわけではないけれど、クライアントに対して遠慮をする必要はないし、“自分たちがお客様を選ぶつもり”でもっとグイグイ前に出て欲しいですね」
自分たちがやっている仕事に対しての誇りと自信を持つことーー。それができれば、企業理念である「インターネットの力で世界のビジネスを革新する」ことに、一歩ずつ近いていくことになるはずだ。