多くの人が「能力を高めたい」と考えるとき、まず思い浮かべるのが「スキル」を磨くことです。しかし、私はそれに加えて「センス」を養うことも大切だと感じています。
どの職業においても、本当に優秀な人というのは、「センス」とか「直感」も優れている気がします。「スキル」が高いだけでは、限界を感じる場面があるでしょう。「スキル」というのは、誰でもその仕事ができるようにするために、センスが良い人の仕事ぶりを分析し、パターン化したもの。だから、まだパターンが存在しない新しい仕事や、想定外の状況には対応しにくいと思うのです。
なのになぜ、「センスを磨こう」とは誰も言わないのでしょうか。それは、センスを身に着ける方法が誰にもわからないからだと思います。プロ野球で大活躍した長嶋茂雄選手に、ある記者が「バッターとしてヒットを打つコツは?」という質問をしたところ、彼は「スーッと来た球をガーンと打つ」と答えたという話がありますが、これがまさにその象徴です。センスは理論を超えており、言語化することが難しい。その点、「スキル」なら、習得すれば誰でも一定の向上は見込める。だから多くの人は、センスよりもスキルを身に着けようとするのでしょう。
しかし、だからといってセンスを身に着けることを諦めてしまって良いものでしょうか。最近ではAIがとても優秀になり、これからもその勢いは止まらない気がします。パターン化されたものならば、AIに任せたほうがよいことも増えてきたと思います。
先日、楠木建さんの「好き嫌いの復権」という本を読んでいたら、アップルのジョブズが下した重要な意思決定は、その8割以上が、論理を超えた「センス」としか言いようのないものだったと書いてありました。そして、そのセンスを磨くには、物事に対する好き嫌いを明確にし、好き嫌いについての自意識をもつこと。それがセンスの基盤を形成することは間違いないと語っていました。
私もそんな気がしています。心の機微に着目することは大切ではないでしょうか。たとえば、何かを見てカッコいいと思ったならば、なぜカッコいいと思ったのか。それを自分に問い続けてみること。そうすれば、どうして人がカッコいいと思うのかも理解できるようになるし、自分もカッコいいものをつくれるようになる。無論、それだけでセンスが身に着くとは言えませんが、センスというのは「感情に関わる能力」であることは間違いないように思います。私たちの仕事のほとんどは機械ではなく人間に向けられたものなのですから。
「成長する」「優秀になる」というのは、「センスを身に着ける」ということと同義語だと感じています。たくさんのパターンを覚えても、必ず例外は発生しますし、もしパターンにすべて当てはめることができるならば、それこそAIに任せるべきものかもしれません。スキルを大切にしつつも、同時にセンスも磨き続けることが、人の心に豊かさを届けるためにも、大切なことではないでしょうか。