ヌーラボで働く社員の本音を引き出すヌーラバー取材が始まりました!第一弾はビジネスチャットツール 「Typetalk」 プロダクトオーナー 兼 プロジェクトマネージャー 吉澤 毅さん。「自分のサービスを世に出せなかったらエンジニアを辞めようと決めてた」と語る、 吉澤さんはシンガポールでの事業立ち上げや Typetalk の立ち上げなど、ヌーラボで豊富な経験をしてきました。現在は Typetalk プロダクトオーナー を務める吉澤さんの、波乱万丈なヌーラボ史をお届けします。
(経験した言語の移り変わり)
- Java
- C#
- Flash/AIR
- Scala/JavaScript
(開発環境)
- OS:macOS Sierra
- MacBook Pro (Retina, 13-inch, Early 2015)
- CPU:3.1 GH Intel Core i7
- Memory:16GB
- Graphics:Intel Iris Graphics 6100 1536 MB
- Display:Thunderbolt Display 27 inch
--「エンジニア」としてのキャリアパスについて教えてください。
2016年でエンジニア歴12年目を迎えます。出身地は名古屋なのですが、専門学校を卒業と同時に上京し、約6年間企業でSIerをしていました。ヌーラボには、2009年7月1日に入社し、今年で8年目を迎えます。私が入社した当時は、福岡10人、東京5人と人数は今の3分の1程度でした。
--ヌーラボに入社して、どんな経験をしてきましたか。
自社の製品(Backlog/Cacoo/Typetalk )開発から受託開発まで、たくさんの製品開発に携わってきました。入社して最初に作ったのは、仲間にいいねの気持ちを伝える「Backlogスター機能」の試作品です。ヌーラボでは、入社研修として約1ヶ月間、ヌーラボの製品に関連するものを自由に開発する決まりがあります。僕の場合は、すでに構想があった「いいね機能」を、具体的な設計に落とし込んで開発することを研修内容にしました。
研修期間終了後は、Cacooの開発に携わり、ベータリリースまでのお手伝いをしました。ベータリリース完了後、2010年から2012年の約3年間は、受託開発にフルコミット。そして、ヌーラボが受託開発事業から自社開発事業の一本に事業転換した段階で、シンガポールの事業立ち上げに参画しました。
まったく英語ができない状態でシンガポール事業を立ち上げ
--シンガポール行きはどのように決まったのですか?
今でも覚えています。ヌーラボが受託開発を閉じて本格的に自社製品の開発に力をいれることになった矢先、2013年のホワイトデーの日に「吉澤くんシンガポール行く?」と橋本さん(ヌーラボ代表)に突然聞かれたんです。「え?」と聞き返したら、シンガポールで、開発・ユーザーサポート・マーケティングを1から立ち上げようとしている、と言われて。突然で驚きましたけど「おもしろそうだし、これはチャンスかもしれない」と思い、シンガポール行きを決心しました。
--吉澤さんが選ばれた理由は何だったのでしょうか?
何だったんですかね(笑)。当時の僕は英語はまったく話せなかったですし。ただ、「ヌーラボ」のカルチャーは、身を持って理解していたので、そこが理由だったのかなと思います。弊社は「コラボレーション」をとても大事にしていて、製品にも働き方にもその考えを反映しています。一般的なIT企業と比較するとちょっとユニークかもしれません。だからこそ、国や文化も異なる環境で、ゼロの状態からヌーラボを広めるためにはヌーラボカルチャーをよく理解していることが重要でした。
--シンガポールで働いてみた感想はどうでしたか?
最初の2、3ヶ月は英語が話せず苦労しました。シンガポール拠点は人数が5名と少なかったので、現地採用のシンガポール人スタッフと密なコミュニケーションができました。英語に対する苦手意識は徐々に薄れていき、違和感なく話せるようになりました。他には、残業に対する考え方の違いなど、文化の違いを感じることもありました。
--日本との仕事の進め方はどのようにしていましたか?
プロジェクト管理はBacklog、会議などのやり取りはSkypeを使っていました。途中からRICOHのビデオカメラを設置して、リアルタイムでお互いの様子がわかるようにしました。2014年1月の本帰国までは、こうした体制でリモートワークをしていました。
「30歳までに自分のサービスを世に出せなかったらエンジニアを辞める」
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