【挑戦者側から、社会をおもしろくする。】
クラシック音楽に没頭した学生時代と、男性ばかりの派遣社員時代を経て、今やジョーカツの表に裏に立ち回り、入社5年目で全方面からサービスを支える事務!!!
社員インタビュー第7弾! 立ち上げ期から現在に至るまでのジョーカツの変化の中で、外からは見えにくい運営の仕組みやデータベースの管理・運用の土台を作り続けてきた山東のこれまでの経験と、その裏側に秘めた想いに迫ってみました!!
笑顔と気配りの「お母さん」
気配り、笑顔、柔和、ホスピタリティ、包容力―――。
山東の印象を表す言葉を聞くと、社内からの評価はもちろん、イベントで司会をする姿を見た学生たちや業務上でかかわる関係者からも、そんな言葉が並ぶ。
「入社直後はよく、社内でも“夫が大好きで”って話をしていたこともあって、なんかそういう“ゆるふわキャラ”みたいに思われていたのかもしれません(笑) もともとピリピリした空気が好きではないので、そういう空気になりそうなときはニコニコしておいたほうがそうならずに済むわけで。昔からそういうところはありますね」
子どもの頃からまわりの友人たちからも慕われ、あだ名が「お母さん」だった時期もあったという。刺々しい空気が苦手で、まわりの雰囲気に敏感だったことで、対応する方法を自然に身につけてきた。その一方で、いつも「自分の意見を言える人、発信できる人」への憧れがあった。
ジョーカツの立ち上げ期から4年、これまでの変遷や歴史を経験してきた。
「実はそんなに“人が好き!”とか“ホスピタリティ”みたいな人間ではないんですよね(笑)
ずっと“自分でコントロールできること”が好きで、もちろんCA(キャリアアドバイザー)や学生、仕事でかかわる人が過ごしやすいようにするのが大前提ですが、私としては“支える”という意識よりも、自分の行動や考え方しだいで状況を変えられるのが楽しいんです」
「コントロールできること」を増やしていく
ナイモノに入社したのは、ジョーカツがサービスを開始した年の8月。
立ち上げ期は何も決まっていない中、日々生まれる新しい局面に対応してきた。拡大していく中で次々と発生する変化を見極めて、それをコントロールする仕組みを生み出していく。新型コロナ禍が起きた際には、イレギュラーが増える中で状況に向き合いながら、その時々で最適な手を打っていく必要があった。毎年変わり続ける業務の中で、常に笑顔で他者への気遣いをもちながら対応してきた。
「今は組織として整いつつありますけど、当時は決まりごとやルールがまだ整備されていない状況、というか会社もサービスも勢いで乗り切っていく中で、私は地ならしをして探り探りで仕組みにしていく、という感じでしたね。
専任者もいなくて、とにかく“CAが働きやすいように”、“学生が快適に過ごせるように”することを最優先に考えてやってきて、入社してから今まで、いわゆる事務っぽい仕事はしていないです(笑)」
気遣いやホスピタリティ、笑顔や包容力は、あくまでも結果的に他者からそうした評価を得ているにすぎない。そう思われるために振る舞うのではなく、自分がコントロールできるものを追いかけてきた結果。本人としては、あくまでも「自分が置かれている状況も、自分がかかわる人たちも、自分の言動によってより良くなる」ことを楽しんでいる。
学生の命を預かる責任
そんな山東には、働き方に大きな影響を与えた印象的な出来事があるという。
2年ほど前のある日のこと、シェアハウスの管理を担当している山東の元に、外部委託の清掃スタッフから「火災報知器が鳴っている」と連絡が入った。詳しく聞くと、宿泊中の学生がオーブンを使って、気づかず放置してしまったことで報知器が作動したとのこと。
結果的にそれ以上のことはなく事態は収まり、社内には状況の報告を上げておいた。
その数分後、代表の霜田から会議室に呼ばれ、普段とは違う剣幕で細かい状況を問いただされた。過去にも注意や指摘は受けてきたものの、ここまでの叱責は初めてのことだった。
「本当に甘かったな……、と改めて思います。シェアハウスを運営する上で、私たちは学生の人命を預かっている責任があって、ほんのちょっとした気の緩みや軽率さが大きなリスクを生むことがあります。
当時はその重大さを理解できていなかったし、自分の意識の足りなさや想像力の範囲の狭さを猛反省しました。目の前の人や状況だけではなく、全体を見渡して優先順位をつけられるようになったのは、あの経験がとても大きかったですね」
「もっとできることがあったはず」――― 事前に想定することはできなかったのか、仕組みに問題はなかったか、事が起きたあとの対応で足りなかった視点は何か、もっとコントロールできる部分があったはずだった。
クラシック音楽に没頭した学生時代
自分がコントロールできることに向き合い、磨いていく。そうした山東のスタンスは、過去の経歴からつながっている部分もある。
子どもの頃からクラシック音楽に熱中して、その世界の深さや広さに魅了され、高校も音楽科に進学した。大学でも音楽を専門に学び続け、ときにはオーケストラを従えてオペラを歌い上げ、何百人の観衆の前で自分にスポットライトが当たる経験もした。
「たとえば楽器の中でもピアノが大好きで、コードの構成や進行もそうですし、あれだけの数の弦や鍵盤の仕組みで、“こうしたらこういうアウトプットが出る”というのを10本の指で全部コントロールできる。自分の頭の中で組み立てて、実際に操ることができれば、その通りのアウトプットが生まれる。それが本当に楽しかったんです」
学生時代はとにかく音楽に没頭し、だからこそ「やりきった」という思いがあった。
就職を考えるタイミングになって、周囲にいるプロの音楽家を目指す人や教育者の道を選ぶ人たちを見ても、自分がその方向を目指すことにはどこか違和感を抱いていた。
プロの音楽家になる夢をもちながら、アルバイトで生活をたてている先輩たちを何人も見てきた。実際に教育実習にも行ったものの、自分が多数の生徒たちとかかわり続ける姿も想像できなかった。
派遣社員時代に学んだ、仕事のヒント。
いわゆる就職活動をすることはなく、卒業後は派遣社員として働いた。
「最初に決まったところに」と、施工管理会社の事務職として働き始めたが、いつも誰かが機嫌が悪そうにしていた。そこで1年ほど勤務したあとに自動車部品の設計会社に移り、そこでも男性優位の環境の中で居心地の悪さを感じながらも、「仕事ってそういうものだ」と割り切りながら働き続けた。
「まあ、学生時代の私が社会をナメていたからですよね(笑) 雰囲気が良かった日は1日もなかったんですけど、その経験があったから職場を探すためのヒントも見つけられたんだ、と今は考えています」
夫の転職を機に東京に引っ越すことが決まり、山東も転職活動を始めた。社会人になってから最初の会社は1年間、2社目は半年に満たずに離れることになる。だからこそ、東京では最低でも数年は働き続けられる環境を、と考えていた。
転職に際して、大事にしたことは大きく2つ。
「私の場合は、好きなことと得意なことはズレていると気づけたので、頑張らなくても人並みにできること、ちょっと頑張ったら他の人よりもできることを仕事にしよう、と。
あとは、やっぱり“人で失敗した”という気持ちが大きかったので、一緒に働く人と面接ができる規模の会社で選びたかったんです。ちゃんと信頼できて、共感できる社長や役員がいる会社がいいな、って考えて探していました」
過去2社の経験の中で、突然ふりかかってきたタスクをこなすことや、複雑多岐にわたるデータを管理してまとめることは得意だと感じていた。同時に、普段の人間関係がどれだけ業務効率に影響を与えるかも、身に沁みてわかっていた。
16社ほどの会社の面接を受けて、最終的にナイモノへの入社を決めた。
「スイッチ」の数と切り替え
これまでに山東が担当してきた業務は、広範囲かつ全方位にわたり、時期によってもさまざまに変化してきた。
就活イベントの運営、学生が泊まるシェアハウスの管理、外部からの問い合わせへの対応、さらには学生インターン勤務や業務の調整にまで及ぶ。最近では、新しいイベントスペースの物件探しや内装デザインに至るまで、細かく挙げればきりがない。
そうやって時々に変化する事態に対応してきた山東は、「自分の中には“スイッチ”がたくさんあって、その切り替えは、たぶん人よりも得意なのかもしれません」と言う。
学生時代には、大勢の前でステージに立って歌うためのスイッチ、ひとり黙々と練習に没頭するスイッチ、友人たちに気を配り和やかな空気にするスイッチ。社会に出てからは、工事現場の職人や理系の研究者と向き合う際のスイッチもあれば、設計ソフトを扱うときのスイッチもある。ナイモノでもセミナー時とPC作業では、スイッチを切り替え、家庭に帰ればそのスイッチを入れる……。
「自分がコントロールできることが好きで、もっとできることを増やしていきたい。その中でも一番コントロールできるのが、自分のことですよね。
言動や考え方、表情や感情や能力もそうだと思うんです。他人や環境を変えようとする前に、自分でそういうスイッチをたくさんもてれば、コントロールできることも増えていくはずです」
ジョーカツの歴史を築く一人として……。
「入社した頃と比べたら、できることはもちろん増えましたけど、まだまだですね。今でも毎日、寝る前には“ひとり反省会”をしています(笑)
たぶん、今はまだ社内でも“裏でいろいろやってくれる人”くらいだと思うんです。これからは“山東に任せればなんとかなる”と思われる人になりたい」
学生時代の音楽の経験も、その後の2社での経験も、今の仕事につながっている。
自分がコントロールできることに楽しみを感じ、それを実現するために多様なスイッチを駆使して増やしながら、対応の幅を広げていく。学生やCAの視点から経営視点まで、そこにかかわるすべての人たちの立場や感情に気を配って、即時対応をしていく。
「それを気配りやホスピタリティと言ってもらえるのはうれしいんですが、それらは私にとってコントロールできるものを増やすための工夫のひとつ。自分の言葉や表現や対応によって、相手も状況も、会社の未来も変わっていっているという実感を得られるのが楽しいです。
本質的にはすべてのベクトルが自分に向かっているので、本当は目立ちたいし、認められたいんです(笑) まだまだもっと新しいことに挑戦していきたいですね」
ジョーカツの立ち上げ期から拡大期を経て、新型コロナによる混沌の時期までを経験してきた数少ない社員の一人となった。より多方面でコントロールできる仕組みづくりを目指して、自らの意見や工夫を社内外に発信し続けている。