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【創業ストーリ―:前半】はじまりは不意の出来事!ムーブ創業の経緯に密着。

こんにちは。株式会社ムーブの三苫です。

皆さまの在籍する会社や関わりのある会社のビジョンや価値観には、どんなものがありますか?会社毎に異なる社風や企業文化は、創業者のバックグラウンドや思いに裏付けられたものも多いのではないでしょうか。

今回は、弊社代表であり創業者でもある西坂にこれまでの人生や創業に至るまでの経緯をインタビューすることで、「ムーブらしさ・ムーブが目指すもの」の背景を探りました。

早速ですが、簡単に自己紹介をお願いします。

生まれも育ちも愛知県で、名古屋大学大学院を卒業後、日本IBMに入社。その後地元の友人とビジネスを少しだけ展開した後、ライブドアの前身のオン・ザ・エッヂに入社し、2006年6月にムーブを設立しました。好きな動物はネコ、座右の銘は「為せば成るかも」です。

西坂さんは現役のPM兼プログラマですが、そもそもなぜIT業界やプログラマを志されたのでしょうか。

なんとなくです。これからはITの時代だ!と感じて(笑)。
IT業界に足を踏み入れることになったきっかけは大学生時代に研究室のHPを作ったことです。当時遊んでばかりで研究室にあまり行っていなかったので、教授から「どうせ暇でしょ」と研究室のHP制作を任されたことがITとの出会いでした。研究室のHPを作成するなかでJavaScriptを知り、プログラムの知識がほぼない中で色々試していた記憶があります。

また大学では土木工学を、大学院では環境システム工学を専攻しており、本来はゼネコンに就職するのが一般的だったんですが、当時ゼネコン業界の業績が芳しくなかったという時代背景もあり、IT業界に可能性を見出しました。IT業界の知識もないため、ただただ大きな会社はどこだろうと調べて日本IBMの存在を知り、入社しました。今思うと、相当運がよかったと思います。ちなみに日本IBMでは何故か自分だけ最終面接が2回行われました。当時はロン毛にカラーコンタクトという見た目だったから、面接官も慎重になったんでしょうね(笑)。

今の仕事ぶりや見た目からは想像ができないですね...!日本IBM時代はどんな仕事をされたのでしょうか。

何も分からず「最先端のシステムに関わりたい」と伝えた希望がなぜか通り、日本IBMでは最先端のシステムを扱う部署に配属されました。1年目は研修を受けながらOJTで仕事の仕方を覚え、2年目から本格的に仕事を任されるようになりました。本格的な最初の仕事は、IBMのアプリケーションサーバー製品の負荷検証が他社製品に比べ著しく悪かっため、その性能改善でした。負荷検証ツールのソースは非常に膨大な量でしたが、なんとかボトルネックとなる部分を見つけ、アメリカの研究所の方々と電話で話したことは鮮明に記憶に残っています。

所属部署には会社の顔となるエバンジェリストの方がいたり、優秀なプログラマの方々が多く所属していて、すごく刺激になりました。トレーナーの先輩は「分からないことはすべて自分で調べなさい」という考えだったため、最初こそ大変でしたが、最終的には「自ら調べスキルアップする姿勢」が身につきました。ある程度プログラミングスキルが身についた後は、諸先輩方とのスキルの格差を埋めるべく、時間が許す限り世界中のIBM社員が書いたソースコードを片っ端から読んだり、色々サーバーを立てたりして勉強していました。2年目後半ぐらいは同期のリーダーとして、大規模分散システムでのサーバー監視案件に関わることもありました。

ここまでの話を聞くと極めて順風満帆のキャリアに見えますが、なぜIBMを退社されたのですか?

2人目の子どもを授かった時期に、これからの生活を考慮して異動して地元に転勤させていただいたのですが、そこで声をかけてくれた友人と事業を始めることにしたためです。
ただ収益が上がらず、結局約3か月でその事業は辞めて解散することとなりました。ちなみにムーブの社名は当時温めていた新規サービスに由来しています。

ムーブの社名はそこから来ているとは知りませんでした。その後オン・ザ・エッヂ、ライブドアではどんなことをされていたのでしょうか。

転職活動をし始めてすぐライブドアの前身であるオン・ザ・エッヂに入社が決まり、再び東京に戻ることになりました。少しずつ業務を任せてもらうようになった頃、関係各所とうまく連携しながらしっかりとした開発スケジュールを組む仕事の仕方を評価してもらい、当時のマネージャーにモバイル事業部の立ち上げに声をかけていただきました。そこから1年ほどでモバイル事業部受託事業のマネージャーまで任されるようになりました。

オン・ザ・エッヂには約3年間在籍し30個ぐらいの案件に携わらせていただきましたが、多いときには平行して5案件という時期もあり、マネージャーになる頃には平日は水曜日しか帰宅せず、夜はデスク下で寝るというかなりハードな生活をしていました。IBM時代のように自分で勉強する時間はありませんでしたが、業務で多忙を極めながら、気づいたら知識が増えていました。幸い忙しいことがストレスになる性格ではなかったものの、当時の生活は今思うとまともではなかったです。

ライブドアを経て、ムーブを起業するに至った経緯を教えてください。

ライブドアにいた2006年、ライブドアショックという事件が起こりました。
この事件を受けて、会社の方針として今後受託開発を行わないことになったため、受託事業のマネージャーだった私はお役御免となりました。その頃の私は、お客様との折衝や見積作成からサーバー構築、システム開発、保守運用などの業務を行っていたため、新規顧客獲得以外のスキルを持ち合わせていました。さらに案件を引き継ぐことで初年度の売上はある程度見込めることも分かっていたため、1社の案件を引き継いでもよいという承諾を上長から得ると、その1社を引継ぎ独立しました。当時転職など違う選択肢もありましたが、これまでかなりハードに働いていたのでしばらくゆっくりしたいという思いがあったのも起業の要因です。

そのため私の場合は元々明確なビジョンがあり起業したというわけではなく、状況に後押しされて起業した形となります。

続きは後編です。
後編では、ムーブを形成する考え方や価値観にフォーカスしていきます!

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