これまでのインタビュー記事
【中途インタビュー】人に勇気と希望を与えたい。大手企業のキャリアを捨て、スタートアップで私が未経験でも採用に挑戦する理由
未知の採用担当って何者?変な人?夢って何なの??Part1
夢のもとになった原体験とは?
『誰もが自分にしか咲かせられない花を咲かせる』
=障がいをもった子どもたちの将来の可能性のトビラを創る
これが私のしたいことなのですが
そもそも、こう思った原体験としては小学生の頃の”手術”でした・・・
幼少期から『人』が大好きで、何事にも興味を持っていた私は、子どもの頃から、何か『人』を笑顔にさせる仕事に憧れていたという。(母によると)
そんな中、小学校5年生の時に11時間かかった手術を受けました。
手術前のリハビリや輸血を頑張り、手術後の全身麻痺するかもしれない、大好きなダンスができないかもしれないという不安や恐怖の中、手術前夜は寝るまでいっぱい病室の中で踊ったことを覚えています。
手術は大成功、結果、全身麻痺はしなかった。
安心はしましたが、手術後も大きなチューブに繋がれたり、痛みとの闘い、2週間寝たっきりの生活、その後のリハビリが始まり、なんで自分だけこんな目にあわないといけないのか、と思っていました・・・
そんなある日、TVを観ている中で、”アフリカの医療を受けられないドキュメンタリー番組”をみて、アフリカという国は子どもなりに、少し貧しい国というのは私の中であったが、その番組をみる中で、本当に電気も通っていないんだ、水道も通っていないんだ、学校にも行けないんだ、ごはんも食べれないんだ、病気を治したくても治せない人たちがたくさんいるんだ、亡くなっていく人たちもたくさんいるんだという状況をみたときに、自分ってなんて幸せなんだろうと思いました。それと同時に、なんで、同じ世界に住んでいるのに、こんな差が生まれるのかと、疑問に思いました。
たくさんの人の、特に弱い立場にいる人たちの命を救いたい、自分がこの手術を受けて回復して、その後、たくさんの人の命の勇気や希望になりたいと思い、『国際看護師』になるという夢ができました。
またその中で、母からの”私には私にしかできないことがある”、この経験をしているということは意味がある”、”命を大切にして輝いて欲しい”などの声掛けや本当に沢山の人から応援してもらいました。
そのおかげて、手術後のリハビリも頑張ることができ、英語を学ぶという道を進み、中学受験を決意、受験勉強に励みました。
小学校生活でも、手術後のリハビリやコルセット生活を終え、小学校5年生の夏では、運動会でダンスパフォーマンスのセンターも務め、応援団でも活躍をしました。
中学・高校~
中学から英語の勉強に励んだ。英語の授業は全て英語でした。
中学生の夏休み、約2か月のオーストラリア留学も行いました。
英語を学ぶ他、日本とオーストラリアの差の毎日に驚き、毎日日記を書き、様々な価値観に出会うことができました。
部活でも大好きな音楽、吹奏楽部でも大会優勝を目指し頑張っていました。
高校生となり、様々なボランティア活動にも参加しました。
老人ホームや地域清掃、保護犬保護ネコ、障がい者施設などでボランティアを行い、沢山の人と出会い、色んな経験をしました。日本の問題なども考えることが多くなっていきました。
高校2年生では、1年間オーストラリア留学をし、毎日、日本語と英語の日記を書いていました。
現地の高校に通い、実際にアフリカから逃げてきた子と友達になり沢山のお話を聞いていました。
すごく悲惨であるなと・・・そんな世界を変えていきたいという想いも強くなり、国際平和となるよう、『国連で働くこと』を目指すようになった。
帰国後、東日本大震災が発生し、現地に行けなく悔しく、高校生だった私は何もできず、地震発生後すぐに校長先生のところへいき、募金活動させてくださいと、直談判しにいきました。
募金活動は3日間しか行っていなかったのですが、約数十万円集めることができ、赤十字社を通し、寄付させてもらいました。
大学は、国際学、国際平和学、言語、などが学べ、実際に『国連』で活躍された方がいる大学で学ぶことを決意しました。
大学生活
大学での勉学に励む中、TV出演や国内ボランティア(東北・広島・地域・老人ホーム・障がい者施設)や国際ボランティア活動、また、留学や日本代表での国際会議に参加していく中で、国から動かしていくことは難しいと思うようになりました。(例えばな寄付などしても届くのに時間がすごくかかったりするなど・・)
それだったら、自分が世の中を変えていこう、たくさんの命を自分が救っていきたい、人と人が繋がり合い、困っている人を救い、誰もが自分らしく輝けれるような世界にしていきたいと強く思うようになり、将来、自分は、自分でNPO団体を作るということが夢になりました。
誰もがやはり自分らしくと思った理由は、自分自身、あの11時間かかった手術の後、7回手術を受けており、自分の命、(目が見えること、耳が聞こえること、食べれること、感情があるこに)向き合いました。
いつどうなるか分からないという中や被災地での被災者との交流、国際ボランティア活動で一生懸命自分の命を大事にしていきたいと思ったし、誰もが生まれてきたからには価値がある、意味のない命なんてないという想いが強くなりました。
また、海外ボランティア活動の中でどんな過酷な環境下にいても、夢を持つ子どもたちの目にすごく感動しました。
命って本当に儚く、すごく素敵で誰もが可能性に秘めている、そんなたくさんの人の生きる希望になりたいし生きる勇気になりたい。(自分自身が様々なことに乗り越え証明して、こんな自分でもこうなったよ、こんなことが出来るようになったんだよと伝えたい)
誰もが自分にしか咲かせられない花があり、自分の命をより輝かせてほしいという思いが強くなった。
今は障がいをもった子どもたちにフォーカスはしているが、障がいがある、ない、貧困、他の人とは違うことだけで、可能性を閉ざされるのはもったいない。
私自身、ありがたいことに様々なことに挑戦して、色んな人とあって、沢山の発見に出会えた。だからこそ、○○だからといって、その挑戦(経験)を諦めてほしくないと。
色んな経験をすることによって、好きや嫌い、得意や不得意、価値観などに出会って、自分にしか咲かせられない花を咲かせて欲しいなと思っています。自分の命を大事にする人たちが増えて、たくさんの人と出会って、愛が溢れて、笑顔いっぱいになる世の中、そんな世界にしていきたいって思っています。
そう思いながら今を生きています。
今後どうなるか分からないけど、どんな形になるか分からないけど、
私は人生をかけて、この夢を実現させたい。
これを実現させることが私の命の源でもあるし、自分の価値だと思う。
幸せだと思う。
これが私の夢のストーリです。