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私たちの創業ストーリー【1】

Photo by Marek Piwnicki on Unsplash

なぜ、私たちLTBは外国人に特化したのか

会計事務所から見た中小企業への想い

LTBは2013年12月に生まれた。もともと、2012年の後半から個人で代表の鈴木が事業を行っていたものを法人にした。個人の時代も法人になっても変わらない、そして今も変わらないのが「日本社会の活性化」だ。

もともと、北海道の中でとりわけ田舎(旭川の少し北)に生まれ育ち、その後、紆余曲折を経て札幌で10年近く会計事務所で働いていた。

中小企業、地元の飲食店、建設業、製造業などの税務監査が自分のメインの仕事だ。社長の皆さんは60代、経営者のベテランばかりだ。

だが、話題に上がるのは「俺の後継」や「もう年取ってきたから廃業かな」で、なぜそうなったかというと「とにかく人が(後継も)いない」からだ。

単純に嫌だった。顧問先が減ることも、時代の趨勢に負けるのも、、、。

そこから、知人の手伝いでフィリピンとベトナムで仕事をする機会があった。圧倒的に鈴木の琴線に触れたのが、現地の若い子たちの熱だ。「これから生活が良くなる兆し」「好きなものを稼げば手に入れられるという解放感」。だから、上を向いて一生懸命働こうという20代の子達の姿勢を間近にみて、札幌の中小企業のベテラン経営者の顔を思い浮かべた。

彼らの意欲だけでも、日本の中小企業は負けちゃうかもな、と思った。

外国人に特化したきっかけ

それからしばらく、本格的に外国人紹介を始めるまで時間がかかる。理由は日本で外国人と接点を持てるなんて思いもしなかったからだ。

最初は、地方に住む日本人の大学生を東京や首都圏の中小企業にマッチングしようとして営業をかけた。

だが、正直全然ダメだった。中小企業は簡単に集まった。何せ学生が集まらない。某大手のジョブフェアーに潜り込んだり、大手の就職相談会で学生が集まりそうなところの会場の玄関口で自分の名刺を配りまくったり、今で言うバスタで夜間バスの到着を朝7時に待って、学生と思しき子達に(相手は疲れ切っているのにね)連絡くださいのカードを配りまくった。けど、学生は全然集められなかった。

きちんと事業として成立させられるかどうか、当時は相当焦っていた。半年近く売上もない、味方もいないで、孤独だった。

たまたまフェイスブックで「いいね」をしていた知人を介して、「一新塾」の宣伝文句「ゼロイチの挑戦」みたいなのをみた瞬間、これは行かないといけないと感じ、即座に講座に申し込んだ。

そこで出会ったのが、ネパール人で日本の大学の大学院に通う留学生だった。「日本に来て本当に仕事を探すのに苦労しました。」と言うのを聞いてピンと来た。「これだ!」

そして、このタイミングと前後して、SNSで繋がることができたネパールの彼。「自分は難民でとても困っている。助けてほしい。」と言われ、彼らのいう「難民」の実態を知らずに、「可哀想」と思い、彼もサポートした。

ここからしばらく、彼らと共に事業を走らせることとなった。

第二話に続く

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