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【CCOインタビュー】未来をつくる子どもたちのために。3世代で遊べるテーマパークをつくりたい

こんにちは!株式会社リトプラPR担当の松倉です。

これまでWantedlyでは、株式会社リトプラの社員インタビューやアトラクション開発の裏側などをご紹介してきました。今回は、創業メンバーであり、リトプラでCCO(チーフ・クリエイティブ・オフィサー)を務める鈴木にリトルプラネット誕生の背景や、仕事内容、今後の展望について詳しく話してもらいました。

さらに、本邦初公開(?)となる鈴木の子ども時代からプライベートまで、他媒体ではなかなか見ることが出来ないパーソナルな情報もお届けします!

リトプラにご興味を持っていただいている方や、これから面談・面接にお越しになる方へ、少しでも参考になれば幸いです。

鈴木 匠太(すずき しょうた)1984年東京都生まれ。2009年10月株式会社ポケラボ入社。ゲームにおける表現・演出に特化したクリエイティブチームを結成し、部長に就任。2011年7月クリエイティブ事業部本部長を経て取締役に就任。ポケラボ退職後、株式会社メルカリ入社。革命・USプロジェクト担当。2016年12月株式会社プレースホルダ(現 株式会社リトプラ)入社。取締役に就任。


生い立ち

幼少期から学生時代

松倉 本日はよろしくお願いします。まずはじめに、幼少期はどんな子どもだったか、子どもの頃の夢や、思い出などを教えてください。

鈴木 私は生まれも育ちも東京都青梅市です。東京と言っても山や川があったり、私の住んでいた町内は未だに信号機もなければコンビニもありません。どちらかというと大自然の中で育ったのではないかと思います。

私は少し変わっていて、子どものころ習っていたそろばん塾をサボって防災青梅という町内のスピーカーで迷子のお知らせで流れたり、勝手に電車に乗って結構遠くまで旅をしていました。結果、迷子になりパトカーにお世話になったりと、かなり親には迷惑をかけたと思います。

小学生の頃は、隣の家の人がよく西武球場に連れていってくれました。西武対オリックスでイチロー選手が登場すると、歓声とカメラのフラッシュがすごくて、プロ野球選手への憧れが強くなりました。これがきっかけで中学生までは野球をやっていました。プロ野球カードもめちゃめちゃコレクションしていて、西武の選手と巨人の選手は2軍までも背番号だけでどの選手かわかるレベルでしたね。

高校では、地元の寿司屋にアルバイトで入り、約3年間寿司を握っていました。20gのネタを秤を使わずに手の感覚だけで測れるようにもなりました。当時は『将太の寿司』(しょうたのすし)という漫画が流行っていたからか、よくそう呼ばれました。笑



3DCGとの出会い

松倉 現在、企画のイメージボードや、アトラクションのPVを制作するなど、クリエイティブな面も担当されていますが、こういった業務に携わるようになったきっかけは何だったのでしょうか?

鈴木 学生時代に『FINAL FANTASY VIII』とか『デジタル・スタジアム』だったかと思いますが、3DCGをテーマにしたテレビ番組をやっていて、自分も3DCGに興味を持ち始めました。

SOTECのPCを買って、Shadeという3DCGソフトの本を買ってパワプロくん(野球ゲームのキャラクター)の3DCGを作ったことがきっかけで広告業界やゲーム業界に興味を持ち、アートや美術の道を歩みはじめました。


新卒時代の思い出

松倉 新卒時代はどのようなお仕事をされていたのでしょうか?当時の印象的な出来事などありましたら教えてください。

鈴木 新卒時代は、ポストプロダクションというCMや映画のオンライン編集という仕事をしていました。学生時代はずっとハリウッドで働きたいと考えていて、まずは日本で実績を積んでから、いずれは海外で有名な映画の仕事をすると決めていました。

入社してすぐにプロということはなく、何年かアシスタント経験をしたうえでプロへとなっていきます。アシスタント業務は、プロの横でテロップ情報や細かい業務のサポートをしつつ、監督や制作陣とコミュニケーションをとって進めていました。

今でも強烈に覚えている失敗談なのですが、本編集という作業が終わってクライアント向けに完成したCMをビデオに録画して渡すという業務があります。その業務で、映像と音声の入力を間違えてしまったことがありました。映像は有名企業のCMなのに、魔法少女アニメの音声を入れてしまった...ということがありました。あの時はめちゃくちゃ焦って、すぐに直してバイク便で送り直すということをしましたね。笑

今もあまり変わりませんが、常にがむしゃらに取り組んでいたと思います。今では残業も少なくなりましたが、当時は徹夜も普通でした。よい思い出です。



「リトルプラネット」誕生のきっかけ

松倉 ここまで鈴木さんのパーソナルな部分についてお話していただきました。ここからは、「リトルプラネット」がどのようにして誕生したのかについて伺いたいと思います。創業メンバーの想いや、当時のエピソードなどを教えてください。

鈴木 最初は後藤がVR体験施設「The VOID」のようなモデルをやりたいという意思もあって、VRのテーマパークという案が出ました。ただ、VRゴーグルは一般的に13歳以上を対象年齢としているため、実現が難しい。また、オペレーション面でも実際にロケーションVRをプレイしにいって課題があると感じていました。

そんななか、私の第一子が東日本大震災の真っ只中に生まれました。地震の時に ”こどもが生まれた” と当時Twitterで発信したんです。そうしたら希望の子だとか、たくさんの方々からのメッセージをいただきました。あの経験は今でも鮮明に記憶に残っています。

そのころからずっと「子どものために何かやりたい!」という強い思いがありました。

仲間とアイディアを出し合うなかで、未来をつくる子どもたちのために、おじいちゃんやおばあちゃんも一緒に3世代で遊べるテーマパークを目指そう!ということになり、リトルプラネットの原型ができあがりました。


▲初期のリトルプラネット全体イメージ


鈴木 実は、一番初めはリトルプラネットではなくて、「すなパ!」というテーマパーク名でした。「砂」をメインにしたテーマパークです。現在、リトルプラネットでは『SAND PARTY!/AR砂遊び』がありますが、このアトラクションがメインで、保護者が休めるカフェゾーンも当時は考えていました。

当時だと、RoomAliveがもっともっと主流になってくるとも思ってたんですよね。なので、VRとかARがくる前に空間が自由に変わる方が先にくるんじゃないかと。

また、元々ソーシャルゲームに携わっていたメンバーが多かったため、リアルな場所で展開するにあたって当時から話していたのは、ソフトウェア思考でパークを作るということ。スマホに好きなアプリを入れられるように、空間においても好きなアプリを入れるようなことが可能になると今もなお思っています。


仕事内容について

松倉 新アトラクションの企画から細かな仕様の検討など、手がける範囲は多岐にわたっていますが、主なお仕事の内容について教えてください。

鈴木 仕事内容は、大きく分けて3つあります。

  • 経営
  • BtoCの企画
  • BtoBの企画

メインは企画作成と開発ディレクションです。 自分たちのパーク向けに作るものもあれば、BtoBだとクライアントの望むゴールに導く為の企画作成になります。

難しいのが、とても面白いコンテンツが作れたとしても、「ビジネス」という観点では別軸で考えなければいけません。作ったものをどうやってビジネスとして成立させるか、そういった企画力が大事になります。

また、アトラクションの企画については、映像制作にも近いかもしれません。絵コンテのように自分が表現したいイメージを体験イメージとして時系列に描きます。そこに「遊び」の要素が入ってきますので分岐が入ったり、インタラクション要素を加えていきます。

それぞれの画面イメージもAdobe Photoshopでラフに作り、使うBGMやSEも企画して、何の機材を使うのかも考えます。工数なども各業種ごとにどれくらいかかるかを見積もり、メンバーをアサインして企画のキックオフをします。

そこでクリエイティブ面での企画アイデアも出てきたり、パークの運営メンバーやPRするメンバーも混ぜて意見をもらいます。どうしたら楽しくなるかだけでなく体験時間や安全面、PRするにあたって重要なポイントをもらい、企画書をブラッシュアップしてはじめて開発開始となります。

我々のアトラクションは、基本リアルに体験するものなので、実際にオフィスで ”こどもレビュー” を開催して、アトラクションの反応を確認したり、ブラッシュアップをすることもあります。


子どもの目線で見えない課題を解決!リトプラの「こどもレビュー」


過去を振り返ると、子どもたちは大人の考えたアトラクションをズタボロにしてきました。笑

つまらないものは「つまんない」とストレートに伝わります。ソーシャルゲームの企画を作ってきた身からすると、エッ...。と思うくらいズタボロになります。アソビとゲームは結構違っていて、ルールや説明が多いものはダメです...。未だに攻略はできていません。

また、アトラクションを体験する年齢によっても大きな影響があり、3歳と6歳では全く反応がかわります。いかに幅広い年代に遊んでいただけるか、保護者の方も楽しくなくてはいけません。

ただ、私たちが届けている体験はソフトウェアで作られているので、実際にパークに導入したあとでもブラッシュアップできます。パークで実際に子どもたちに体験してもらい、反応を観察したり、ナビゲーター(※)の報告をもとにアトラクションの更新も実施しています。

※リトルプラネットで「遊び」の案内役を担うスタッフのこと

楽しいものを作る企画という意味では、上記のようなことを日々考えて実行しています。



2024年の抱負

松倉 私のなかで鈴木さんは「アイデアマン」のイメージがあります。今後力を入れたい領域や、いま注目している技術など、今後はどんな “アソビ” を発信していきたいですか?

鈴木 2024年は、リトルプラネットキャラクターの認知拡大やブランド化を推進していきたいです。絵本であったり、SNSであったり、もっと露出を広げていきたいなと。リトルプラネットは今年で8年目になるのですが、キャラクターの認知度はまだまだ低いと思っています。

あとは、OMO(Online Merges with Offline)アプリ/サービスの実現です。リトルプラネットはリアル店舗であるがゆえ、どうしてもゲストと毎日接点が持てるわけではありません。

そこをより多くの接点を作るためのオンライン。もっともっとリトルプラネットとのタッチポイントが増えるオンラインサービスを立ち上げたいと思っています。

現在、子どもたちや保護者の方々が夢中になれるような新アトラクションを開発しています。リトルプラネット以外にもさまざまな「遊び」を企画・推進していますので、今後の発表を楽しみにしていてほしいです!



いかがでしたでしょうか?今回は鈴木の子ども時代からプライベートまでご紹介しました。

子どもたちのみならず、保護者にも楽しんでいただくためには一筋縄ではいかないこともしばしば。

しかしながら、こういった難題もリトプラ社のモットーとして掲げている「One Team」で乗り越え、良いアトラクションができた際には、非常にやりがいがあるのではないかと思います!

少しでもご興味をお持ちの方は、ぜひお気軽にエントリーください!


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