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「ここがあったから夢が見つかった」という居場所をつくる。被災地の子どもたちとの8年間

東日本大震災を境に日常が一変し、大きな悲しみを経験した子どもたちが数多く存在しました。

震災直後立ち上げた宮城県女川町の「女川向学館」と岩手県大槌町の「大槌臨学舎」というコラボ・スクールでは、地域の学校はもとより、行政、全国から集まったボランティア、さらには寄付者と連携をとりながら、子どもたちが学ぶための支援を行っています。

女川向学館と大槌臨学舎の両拠点の責任者として、女川町と大槌町と行き来する生活を送っているのが、渡邊洸(わたなべ・こう)。2013年2月の入職以来、東北の子どもたちを見守り続けてきた渡邊の目線を通じて、被災地の子どもたちとの8年間を振り返ります。

ーまずカタリバへ転職されたきっかけを教えてください。

自分が生まれ育った地域の子どもたちの教育環境をよくしたかったからです。

ぼくの地元は岩手県北上市なのですが、震災を経験した東北の子どもたちは広い意味で、同じ地域で育つ「後輩」という感覚。いずれは地元に戻りたい気持ちはありましたが、まだ東京で働いていた頃に震災が起きて。被災後の様子を聞いたり、実際にボランティアへ行ったりすると、仮設住宅での生活を強いられて部屋が狭くて勉強できなかったり、できてもランドセルのうえで宿題をしていたりと、少なくともぼくが育ってきた頃よりも教育環境が悪かった。「なんとかしてあげたい」という気持ちで飛び込みました。

ー震災の爪痕が残る現地を目の当たりにして、どのように感じましたか?

仮設住宅のなかを見せてもらったことがあったんですが、衝撃的でした。「ここに家族5人なんて考えられないな」と。いきなり家がなくなったかと思ったら、中学生になっても、お兄ちゃんやお姉ちゃんと同部屋ですからね。そして、その生活がいつまで続くのかもわからない。ぼくだったら耐えられるかわかりません。教育の環境としては劣悪だと言わざるを得ないし、「この子たちは大変な人生を歩んでいる」と改めて感じました



ー当時の子どもたちは、渡邊さんの目にどのように映りましたか?

ぼくが受け持ったのは中学生だったんですが、良くも悪くも、少し大人っぽい子が多かったように感じました。もちろん子どもっぽいところもたくさんあるけど、自分が中学生だった頃とは比べ物にならないほど背伸びしているような印象を受けました。

おそらく、震災の衝撃が大きかったんだと思います。決して冷めているわけではなく、現実を直視できているというか。「震災で町がなくなったから、建築士になって丈夫な建物をつくりたい」とか「病院の方にお世話になったから、薬剤師になりたい」とか。中学生とは思えないほど、リアルに夢を描けている子どもの割合がすごく高かったように感じます。


ー8年間の支援の中で、子どもたちとはどのように接してこられましたか?

意識していたのは、子どもたちが目の前の課題からは目を背けないようにすることです。

家も流されて、狭い仮設住宅で暮らしていて、町もボロボロで……「もう、いいや」と投げ出したくなってしまう気持ちもわかるんです。何もやらないことを選択したとしても、親も心身ともに疲弊しているから何も言えない状況。

でも、「被災地にいたから何もできなかった」なんて言ってほしくないじゃないですか。被災地でも、なんなら被災地だからこそ、「こんな体験ができた」「自分の将来の夢が見つかった」といえるような教育を受けてもらいたい。そのためにも「目の前の課題の解決に向き合うことを諦めないようにしてほしい」と思って、接していました。



ー子どもたちと向き合う中で、印象に残っているエピソードはありますか?

よく他の子と喧嘩ばかりしている男子生徒がいたんです。根はいい子なんだけど、すぐに喧嘩しちゃう。取り付く島もないような子どもだったんですが、とにかく話を聞くことに徹しました。

何度も何度も機会を重ねるうちに「将来的に土木関係の職に就きたいので、それが目指せる高校へ進学しようと思っている」と言い始めて。「じゃあ、そのためにはどうすればいいだろう?」「英語の点数を2〜30点多く採らなきゃいけないですね」というやり取りをして、勉強するようになりました。でも、しばらくしたらまた喧嘩。「それでいいのか?」「入りたい部活もあるんだろ?」と粘り強く接し続けて。その繰り返しでしたが、志望校に合格できたときは嬉しかったですね。


ー正解がない仕事で渡邊さんが大切にしていることがあるとしたらなんでしょうか?

そうですね。震災のあるなしにかかわらず、子どもたちが自分の将来やキャリアを描けるように支援するという根本は変わらないんですよね。

だから、ぼくが彼らと同世代だった頃に「こういうのがあったらよかったな」と思うことを実践しています。たとえば、将来の選択肢。単に「この偏差値ならこのあたりのレベルの大学かな」という話をするのではなく、いろんなひとに会って、いろんな仕事のおもしろさを知ったうえで自分で将来を選んでいくほうがいいと思うんですよね。間違いなく。

重要なのは、子どもたちの可能性を否定しないこと。誰にでも平等に可能性がある。全員がちゃんと成長の機会を得られるように、環境の格差を埋めていくこと。子どもがうまくいかない理由を、本人の責任と結論づけてはいけない。子どもたちの可能性を信じて、成長の機会をなるべくたくさん提供していきたいと思います。

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