ウエディングプランナーとして400組の結婚式をコーディネートし、当時の会社において、20代で歴代最年少で25人の組織のマネージャーとなった車地美香(くるまじみか)。完全燃焼し、労務へのジョブチェンジをした車地が、INTLOOPのキャリアカウンセラーという仕事に再び情熱を燃やす理由とは。
ウエディングプランナーになるための下積み時代
▲ウエディングプランナー時代の車地(中央右)
希望する大学に落ちた後、憧れていたウエディング業界にどうすれば入れるか思考していた車地。そんな彼女が最初に選択した仕事は結婚式のホテル宴会場での食事配膳でした。
車地 「社会人経験も、ウエディング業界での経験もまったくない私がどうしたらウエディング業界に入れるか。行き着いた答えは、まず結婚式の現場を経験することでした。宴会場での配膳業務を通して、式運営の業務フローを自分に叩き込むことで、ウエディング業界への道が開けるのではないかと信じていました。
ただ、配膳業務は想像していたより辛くて。何時間も立ちっぱなし、辛くても絶対に顔に出しちゃいけなくて……ずっと小ぎれいにしてなきゃなので、肉体的にも精神的にも辛い仕事でした」
そんな辛い中でも、車地は自身がプランナーだとしたらどういう式にするか、どういうフローで式運営を行えばいいかを思考し続けました。そして3年間配膳業務を全うした後、車地はウエディングプランナーへの挑戦を決意します。
彼女の働く式場の選定基準は、とにかく式の件数をこなせることと自由度の高い企画ができる環境でした。探して出会ったのは、結婚式場として新横浜で最も人気のあるホテル。面接でウエディングプランナーになりたいという情熱をぶつけ、見事内定を勝ち取ります。
圧倒的な量を追ったウエディングプランナー時代|歴代最年少マネージャーへ
▲顧客の式場提案のため、実際に現場視察に訪れていた車地。(写真は伊勢神宮)
22歳、憧れたウエディングプランナーとしてのキャリアが始まります。
車地 「式へのプランニング力を上げるためには圧倒的な量を経験したいと考えていました。入社後 1カ月で自走することを決めてから、がむしゃらに走り始めましたね」
そんな彼女には、自走のために敢えて行ったことがあります。
車地 「周囲のプランナーのあら捜しをするということです。これは私の性格かもしれないのですが、周囲のプランナーの欠点を自分の反面教師にするという意識を持ち、自分だったらこんなプランにするというのを常に意識していました。前提として周囲の人を超えるのが当然だと思っていて。ちょっと嫌な性格ですかね(笑)」
社内の誰よりも式のプランニング量を経験すると決意した車地。その決意通り、圧倒的な量をこなし、車地がプランニングした結婚式は400組にものぼります。車地は結婚式のプランニングをする上でこんなこだわりを持っていました。
車地 「自分がプランニングした企画を好きになるということを特に意識していました。もちろん新郎新婦の理想をお伺いした上でですが、シンプルに自分が好きではないものは価値がないと思っていますし、商品として売れないです。
また、式を好きになるために、会場の事については徹底的に調べ上げました。たとえば、伊勢神宮の神前の式を提案するのであれば、伊勢神宮のご利益からルーツまで調べて、新郎新婦との親和性を語れるようにしてましたね。そうすることで企画のバリエーションも増え、結果的に顧客単価も上がっていきました」
自身がプランニングするプロダクトへ愛情を注いだ車地。量と質、共にこだわり抜き、気づけば最年少で25人の組織を束ねるマネージャーへと抜擢されます。車地はウエディング業界で、着実にキャリアを積んでいくのでした。
しかし、燃え尽きてやり切った感覚があったのも事実。採用も兼任しながらマネージャーを2年ほど経験した後、ウエディング業界を離れることを決めます。
完全燃焼した彼女が、再びがむしゃらになれる場所を求めて
▲INTLOOP社内での車地
ウエディング業界で走り切り、完全燃焼した車地は疲弊しており、1年の充電期間を設けます。
車地 「 7年間走り切り、疲れていましたね。少し休憩したいなと。充電期間中はいろんな国へ海外旅行に行ったり、関心を持っていた労務の勉強をしたりしました。
労務に興味を持ったのはウエディング業界を辞める直前までやっていた採用業務がきっかけです。関わる社員に対して、多様な働き方を提案できる知識がないことに歯がゆさを感じていたので……」
充電期間を終えた後、車地は派遣社員として3年間労務を経験します。ただ、車地にとって労務の業務はルーチンワーク程度にしか思えず、ウエディング業界で、がむしゃらに働いていた頃の充実感はありませんでした。
その時、車地は33歳。この年齢とスキルで転職できるのかという不安を抱えながらも、次なる成長のステージを求め、車地は転職活動を始めます。
車地 「どうせ身を置くなら成長業界が良い。さらに採用経験や労務経験のバックボーンを生かせる業界ということで人材業界を中心に見ながら転職活動をしていました」
そんな中、車地が出会った会社がINTLOOP。INTLOOPがやっている事業は人材事業だけでなく、コンサルタント事業、デジタルトランスフォーメーション事業、テクノロジーソリューション事業と多岐に渡ります。人材業界を中心に見ていながら、逆に、人材事業に特化していないところが刺さったと車地は言います。
車地 「会社の説明を聞いた時、なんの会社かよく理解できなかったんですよね。なんというか、事業領域を限定していかないファジーな点に、 “自分もこれからの INTLOOPをつくっていける ”という感覚があって、わくわくしたのを覚えています。
あと INTLOOPは人材業界や IT業界とまったく畑の違う業界から転職してきた人が大きく活躍していることも入社の後押しになりました。私と同じように元サービス業の人や、車掌さん、ミュージシャンの方も活躍していると聞きましたね(笑)」
成長業界に身を置き自分を高める。そんな姿がイメージ出来た車地は、INTLOOPへの入社を決めます。
成長業界で成功体験を積んで成長するという王道ーー掴んだ異例の三階級昇進
▲プロフェッショナル人材の方に対してキャリアカウンセリングをする車地
車地のINTLOOPでのミッションはITエンジニアのキャリアカウンセリング。ウエディングでの接客経験以外は、まったく生かせない状況でした。入社当初はIT用語などがまったくわからずストレスを感じる日々。ウエディングプランナーになった頃と同様に、早期に自走したいと考えていた車地はインプットに奔走します。
車地 「本などでの勉強はもちろん、プライベートの時間も惜しまず、とにかく IT用語のインプットに時間を注ぎました。あと、恥を承知で言うと、一番実のあるインプットになったのは、エンジニアの方々から ITについて教えてもらうことでした。過去のプロジェクト経験や最新のテクノロジーに関する知見は、私にとって “生きた教科書 ”となっています」
ウエディング業界と同様、がむしゃらになれる環境と出会えた車地は、INTLOOPでも突き抜けた実績を出します。その結果、わずか入社1年で三階級昇進となりました。INTLOOPは年齢や経験値に関係なく、成果に対して評価をする会社ですが、三階級昇進は異例。その実績や評価に対して車地はこう振り返ります。
車地 「昇進するにあたって一番感じたのは、本当に細かいところまで、自分の努力を会社が見てくれているなと。数字にこだわり、エンジニアの方と向き合い続けた結果もあると思いますが、こんなに自分をちゃんと見てくれていると思えた会社は初めてでした。社員に報いてくれる会社だと心から思います」
成長を感じ、それに対して報いてくれるという理想の会社に出会えた車地。自身の今後についてこのように話してくれました。
車地 「 INTLOOPに入社してから、 ITで社会貢献したいという新しいビジョンが生まれました。 ITの人材支援事業に携わっていて、社会の ITニーズの高さを強く感じています。この業界は競合が沢山いますし、 INTLOOPはまだその中でも後塵を拝しています。このレッドオーシャンの業界で INTLOOPをリーディングカンパニーへ導くことが私のビジョンです」
新たなビジョンを掲げた車地はさらなる高みを目指して走り続けます。