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※本記事はfor Startupsへの社名変更前に掲載されたものです。(本文中では旧社名NET jinzai bankで表記)
競争意識が高く刺激を受ける環境を求めてfor Startupsへ。日本全体に高い競争意識を生み出したい
「何で僕が1位なのだろう?」。前職の会社で、町野史宜は疑問に思った。人材×ITで急成長中の優秀な若手が集まる会社だったが、当時町野は物足りなさを感じていた。ならば他の人材系企業のトップコンサルタントと接し、自分の立ち位置を知ろうと活動を始めた。、その中で出会ったのがfor Startupsだ。優秀かつ圧倒的に努力する仲間たちに目を見張った。
オーストラリアでキャリアを得るために努力する人の姿に感服。心に刻んで帰国
町野は、新卒で入った通信関連企業を辞めた後、オーストラリアに行った。当時リーマンショックの煽りで日本経済が混乱している中、自分よりも年次の高い方がどんどん辞めていくのを見て、そのまま勤めることに違和感を感じたからだ。その後「とりあえず海外を見てみたい」という軽い気持ちからだったが、滞在しているうちに大学院に行くチャンスを得た。1年間、人文社会学を学び、充実した日々を過ごしながら、日本との違いも実感する日々だった。「大学院では僕が一番年下でした。みんな、社会に出た後に、キャリアを得るために学びに来るのです。年齢関係なく、切磋琢磨する環境に身を置き、日本もそうなるといいと思いました」。町野は振り返る。キャリアを得るために尽くした努力が自分の武器となり、ステップアップしていける社会。その経験は、町野の中に強い印象を残した。
大学院修了後、帰国して再就職先に選んだのは、前職のレバレジーズ株式会社だ。人材×ITを軸にメディアや人材ビジネスなどの事業を展開している当時はまだ小さいベンチャー企業。前職時代の経験から”成長”と”自社の社員も含めた人を大事にする”という軸で転職活動をし、関係者全員の幸福の追求という理念に魅かれて入社を決めた。町野は主にエンジニアの育成やキャリア形成に関わる仕事に従事していた。常に成果を出し続けていたが、ある日ふと引っ掛かりを覚えるようになった。「気が付けば僕が一番、数字を上げていました」。それが町野の「引っ掛かり」だ。当時、任されていた仕事はエンジニアの就・転職の事業部の立て直し。町野が異動した時点では、まだ赤字の部署だった。町野は仲間とともに改善を重ねて数か月で黒転させ、単月でも大きな収益を出すまでに立て直した。その後中途入社してきた優秀な人材も加わり、さらなる拡大の道筋が見えてきた矢先だった。
外の世界を見ようと一歩踏み出したとき、NJに出会った
ごく普通に数字を出し続けていた町野。「気が付けば僕が一番で、他のメンバーと比べてもダブルスコアの結果を出したこともありました。指導した後輩も、異業種から転職してきて3カ月で、社内ギネスを獲りました。嬉しい気持ちもありましたが、『結果を出してきたし、業務の量も多く、質も高い自負もあるが、まだ上には上がいるはずだ』という思いのほうが大きかったです」。そこで町野は、競合調査と称して他のエージェントを訪ねてみることにした。その過程で会った一人が、for Startups代表の志水雄一郎だった。「初めて志水に会い、彼の掲げるビジョンを聞いた時、自分が志水と同じ年齢になった時に果たしてこれだけ高い視座で働けているだろうかという焦りを感じた」と町野は振り返る。
そしてこのときもう一つ、町野が抱いている思いがあった。オーストラリアで考えた、努力して武器を得た人がステップアップできる社会を、日本でも実現したいというものだ。その思いを具現化する取り組みとして、町野はレバレジーズで、デジタルハリウッドと共同で、エンジニア養成スクール『ジーズアカデミー』の立ち上げ時期に運営支援として携わった。「コンセプトは、『起業したいというほどの覚悟と優秀さを兼ね備えた人たちが集う』という尖ったもの。入学にも特異なテスト実施する厳しい内容にしていましたし、30人のクラスで4人くらい起業したと思います」。町野はそこに競争力の高さを感じた事業としてもレバレジーズの認知度を上げ、収益面でも貢献した。町野は、このような競争意識を生み出す取り組みを日本全体でやりたいと考えていた。それは、強いスタートアップを育てて日本の発展をめざす志水の話とも重なり合うものがあった。
普通にやっていて1位を獲れてしまう、言わば「浮きこぼれ」状態に悩んでいた町野にとって、日本一のヘッドハンターである志水と高い志を持つ仲間がしのぎを削り、日本を勝たせるために活動しているfor Startupsは、共感でき、挑戦するにも相応しい場所に思えた。
思いのほか大きなギャップ。苦労だが苦しくはない。これこそが望んだ場所だから
2016年8月、町野はfor Startupsにジョインした。今でこそ、スタートアップ企業にCxOから、数々のメンバークラスの転職を支援し、実績を出しているが、最初は苦労した。前職でやってきたこととのギャップが大きかったのだ。裏を返せば、それが他の転職エージェントにはない特異性であり、for Startupsの価値でもある。
「前職ではいかにマーケティングコストをかけずにエンジニアを集め、転職につなげるかがポイントで、高い収益を出していた素晴らしい戦略でした。支援先も人材の受け入れ余地がある大手企業が多く、スキルマッチを判断することが一番重要視されていました。」。その勢いで、町野は10人のエンジニアに会えば3~4人の転職は支援できたこともある。だが、for Startupsは違う。「その方の感性や価値観、ビジョンへの共感など様々な要素が複合して、初めて支援ができます。それも代替の利かないたった一人の人を支援する。それは若手クラスを支援する時も同じです。そのスタートアップ企業をグロースさせるのに欠かせない人材を支援するために、その方に、その会社にいく意義を、納得のいく形で伝えなくてはいけません」。町野は言う。
会社説明の必要もない大手企業。そこに支援できさえすれば、みんなが嬉しい。そんな状況が一変した。町野は、自分とfor Startupsのメンバーとの間で、圧倒的な視座の高さの違いを感じた。乗り越えるために猛烈に努力した。「以前の環境と違い、今は三倍努力しても1位を獲れません。他社ならきっとエースを張っている人が集結して、なおかつ努力するので、並大抵の努力では追いつけませんでした」。町野は振り返る。
だが、苦労はしたが苦しくはなかった。努力する人に囲まれ、刺激を受ける環境こそ町野が望んだものだからだ。「上には上がいる。日本は広いと感じましたし、世界はもっと広いでしょう。for Startupsは努力する人が多く、その空気に今、自分も引き上げられています」。町野の前には、挑戦せずにいられない高いハードルがある。
キャリアを突き抜けさせる方法は一つではないと伝えたい。舞台の一つがスタートアップ
「僕は、コツコツ努力するのは得意なんです」と町野は笑う。これから仲間になる人には、「コツコツやれてプラス想像力ある人が向いているのでは」とも。「この市場とこの方、この企業とこの方は親和性がありそうだと、沢山のインプットを基に想像を巡らせる。日本を勝たせるという発想を前提に市場を想像したり、目の前にいる方の中長期キャリアを想像するとともに、この方がスタートアップで活躍したらこんなサービスが生まれるのではないかと考えたり。妄想でいいのです。こうなると思う、こうなると楽しいでしょ?と候補者の方に話せるくらいの人が向いていると思います」。町野は、そんな前向きな想像を楽しみ、想像から新たな発想を得ている。
そんな町野が今、取り組んでいるのは、イベントやSNSなどを利用したスタートアップのコミュニティー作りだ。イベントでは、自らもモデレータとして登壇する。「皆さん、順当なキャリアでないと上に行けないと思っているのです。でもそうではない。何回転職してCxOになった人もいます。新卒で入った会社をあっという間に辞めたけど、今はCxOという人も。突き抜ける方法は一つではない。色んな道がある。そう伝えたいです」。
健全な競争があり、努力して自らを高めた人が勝てる社会に。大学院時代からの思いはブレない。その舞台がスタートアップであり、そのような支援を積み重ねれば、きっと日本が変わる。町野はそう信じて、今日もコツコツと努力を続ける。