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一部上場企業を半年で辞めて起業した元慶応ボーイが、社員一桁のベンチャーへ転職するまで

中学1年生のとき、幼なじみの2歳上の兄が超絶カッコよくて、憧れていました。そんな羨望の眼差しで見つめていた幼なじみの兄ちゃんが進んだのは、慶応義塾高校。当時まだ「慶応」の名を知らず、家に帰って親へ「慶応って学校のこと知ってる?」と尋ねたところ、「私立だと日本で一番の大学だよ」との返事。

本記事の主役・富宇加 玲郎(とみうか れお)は、一気に「慶応ボーイ」への憧憬の念がわきあがり、それまでのサッカー漬け生活から、受験勉強へと大きく舵を切りました。高校での入学は叶わなかったものの、次の機会である大学受験にてリベンジ。見事、「慶応ボーイ」への仲間入りを果たします。卒業後は、一部上場している人材系の企業へ入社。しかし、半年で退職して友人たち5人での起業に踏み切りました。しかし、立ち上げた会社は約1年で退職。今年の2月からは、社員数が10名ほどのベンチャー企業・有限会社エキストラにて、営業として働いています。

今回はそんな波瀾万丈な人生を歩んでいる、富宇加の半生をインタビュー。
まずは彼の人生を大きく変える「慶応」との出会いを果たした、中学時代からさかのぼってもらいました。


自分がやってることは「あ、島田紳助だ」

──富宇加さんのご出身は、どちらなんですか?

富宇加:東京の八王子です。中学は地元の学校に通ってたんですけど、校舎の窓から外を見たら、他校の生徒が「出てこいよ!」って、ケンカを売りに来ているような環境でした(笑)。ぼくが名前を呼ばれたのは、1回だけでしたけど。

──いや、大半の人がそんな経験を1回もしたことがないと思います...。ただ、そういった環境のなかでも、富宇加さんは勉強を続けて、慶応への入学を目指していたんですね。

富宇加:結果的に高校受験のタイミングでは落ちてしまったので、一旦立教の付属高校に入ったんですけど。そのあと大学受験のときにもう1回慶応を受けて、合格しました。

──念願の慶応ですね...!

富宇加:大学ではテニスサークルに入って、代表もやってました。サークル以外の友だちも含めて、人脈が4年間でものすごく広がりましたね。ぼくの名前がそのままグループ名になったLINEグループがあるんですけど、そこで「きょう飲みに行ける人ー?」って聞いたら、すぐに15人くらい集まるような状態でした。

──それはスゴすぎる。。。

富宇加:それでぼく、お笑い芸人になろうと思ったんです。いっぱい飲み会を開催するなかで、自分が「場を回す」ってことにすごく向いてるなと感じて。自分のしゃべりで場を盛り上げるのが、楽しかったんです。それでふと、いま自分がやってることって「あ、島田紳助だ」ということに気づいて。「自分はこの道で行こう」と、お笑い芸人を目指すことにしました。

──飲み会での経験を通して、自分のトークスキルに自信をつけていったんですね。

富宇加:元々、「自分の言葉や作ったもので、人を笑わせたり喜ばせたりする」ってことに、一番充実感があったんです。それこそ、成人式のときには、八王子市の成人代表として1,000人くらいの前でスピーチもやりました。


就活を始めたものの「どの企業もつまらなさそう」

──ただ、結果的に芸人にはならずに、企業への就職という形を選んだんですね。

富宇加:キングオブコントに友だちと一緒に出たんですけど、初戦で敗退しました。あと、実際に3年生の後半になって就活の時期になるなかで、本当に自分のやりたいことを考えたときに「芸人だけが、人の心を動かす仕事じゃないな」ってことに気づきました。

──それで、芸人以外の仕事も選択肢として出てきたんですね。

富宇加:ただ、就活当時は「会社の歯車になりたくない」という思いが、すごく強い時期で。どの企業もつまらなさそうに見えて、合同会社説明会に来ているのに、どこのブースにも行かずに、会場をフラフラしてることもあったんです。

──いわゆる「尖った」時期だったんですね...。

富宇加:ただそうやって会場をフラフラしているときに、とある会社の方が声をかけてきてくれて。「ウチの会社はめっちゃ勢いあって面白いから、1回ブースへ話を聞きにおいで」と言ってくれたんです。それで実際に聞いてみたら、話している男人事の方の熱量がすごくて。それで興味を持って、その会社の選考を受けることにしました。

──それが結果的に、新卒で入社する会社になるんですね。

富宇加:一部に上場している人材系の企業で、選考の倍率も一次審査で50人に1人くらいしか通らなくて、けっこう高かったんです。ただ、人事の方に気に入っていただいてたのもあり、わりとトントン拍子で選考が進んで、結果的に内定をもらうことができました。

──スゴイ...!一部上場の企業なんて、就活でも人気で絶対に競争が激しいはずなのに。

富宇加:ぼくもその会社のことを面白いなと思っていたので、内定をもらった瞬間に入社することも決めて。並行して受けていた他の企業の選考は、全部辞退しました。


退職を決意した2日後には、起業仲間を集め始める

──そんな相思相愛状態での入社だったのに、どうして半年で退職されたんですか?

富宇加:会社の事業に、あんまり未来を感じなくなったからですね。これからは絶対にITの分野が来るのに、その分野へぜんぜん進出しようとしなかったんです。だったらもう別の方法でIT分野のスキルを身につけるしかないなと思って、会社を辞めることにしました。

──新卒で入った、しかも一部上場の企業を半年で辞めるっていうのは、かなり思い切った決断ですよね...。

富宇加:そうですね。ただ、辞めると決めてから実際に辞めて会社を興すまでは、けっこう早かったと思います。4月に入社して、10月末の金曜日の夜に「あ、辞めよう」と決めました。土曜日に「起業しよう」と思って、日曜日にはもう起業仲間を集めてましたね。それで月曜日に出社したとき、退職願を出しました。

──めっちゃスピーディな展開。。。

富宇加:そこからぼく含めて、友だち5人で起業したんですね。まずは携帯の訪問販売などで売り上げを立てつつ、みんなで勉強しながらエンジニアとしての仕事も受けていくことにしました。それでSES(※エンジニアの派遣常駐サービス)事業者を探しているときに、知り合いを介してエキストラを紹介してもらったんです。

──あ、じゃあ最初はエンジニアとしてエキストラに関わっていたんですね。そこからどうして、営業として転職されることにしたんですか?

富宇加:やっぱり、人と話したかったんですよね。エンジニアとしては、サーバー管理の仕事をしていたんですけど、機械と向き合うよりも、人の心を自分の言葉で動かしたいなと思って。それで今年の1月末に起業した会社を辞めて、エキストラの営業募集ページに改めて応募しました。


100人と話すと見えてくるのは、100通りの自分

──エキストラの人たちの反応は、どんな感じでしたか?

富宇加:面接へ行ったら「あ、お前か」みたいに言われました(笑)。ただまあ、そこからはスムーズに話も進んで、営業として入社させてもらえることになりました。

──ではいまは営業として、自分のやりたいことをやれている感覚がありますか?

富宇加:そうですね。そこまで深刻な内容の話じゃなくても、すぐに「元気ですか!」と電話してしまいます。メールやチャットで済ますよりも、電話するほうが好きですね。というかもう、クライアントから怒られるときも電話がいいです。

──富宇加さんにとって、いまの仕事が天職なのかもしれないですね。

富宇加:「人と話して初めて気づく自分の一面」って、絶対にあると思うんです。100人の人と話したら、100通りの自分が見つかるんじゃないかなと。だからエキストラの営業としては、これからもっと関わるエンジニアさんや企業さんの数を増やしていきたいと思ってます。そうやって自分のこれからの人生で、なるべくたくさんの人と出会っていきたいですね。

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