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シルクロード出張記キルギス/カザフスタン出張の巻(中編)商品部 白坂

Day 3:不測の事態

翌日は別のマイクロファイナンス金融機関C社との面談があった。相手先オフィスは、中心部を挟んで東側にあったので、市内散策も兼ねて徒歩で向かう。アラトー広場を抜けた時、到着日夜に案内を受けた「不正と戦う人々の像」と再見したため、日の光の下で再度撮影した。これは何代か前の大統領を政治腐敗から追放した際に政治腐敗を正す心を忘れるな、と建てられたものらしい。また、アラトー広場には現在、民族叙事詩の主人公であるマナス王が馬に跨った立派な彫像が据えられているが、2011年までは同じ場所に自由の女神像があり、これは悪名高き元大統領夫人に似ているとのことで撤去された。更に遡ればレーニン像が2003年まで置かれていたということで、随分回転率の高いロケーションなのであった。


                   不正と戦う人々の像

エントランスは立派だが人気が無いオフィスビルへ到着し、付近にいた恰幅の良い男性に来意を告げると、奥へ向かうよう案内を受けた。応接室に着くと、前日同様に通訳同伴でのミーティングであることが分かり、一先ず安堵したのもつかの間、挨拶もそこそこに始まった会話は予期せぬものであった。

先方の通訳人を介してヒアリングした内容として、C社は創業5年来、今まで借入をやったことはなく、複数の事業会社のオーナーが資金を銀行に預け入れ、それを実質的な担保として預入れ先の銀行から当マイクロファイナンス金融機関に資金として融通してもらっているらしい。だから運営資金には困っていない、とのこと。

そもそもマイクロファイナンス金融機関は、業務に必要な運転資金を地場の商業銀行から、また更に低利で政府系金融機関や国際的な基金から借入を行い、それらを種銭として事業を行うことが太宗である。そこで事業拡大に向けて当社からの借入も活用してみたい、というのが当社商品の組成に至る王道的なパターンであるが、今回の面談相手に関しては資金ニーズがないと自ら言っているのであり、ミーティングの意義自体が疑わしいものとなっている。

何か他に糸口はないのか、引き続き質問をしていくと、彼らの資金繰りの手法自体は直ちにネガティヴなことではないのだが、そのオーナーグループの中で「意見の相違」があるために近々資本構成が変わる見込みであることや、金利水準は当方から伝えていた水準から大分低い、凡そ半分程度の水準でしか借りることは出来ない、といったことであった。また、財務諸表等の資料も現在はロシア語でしか作成していないため、翻訳を要するものであることを確認し、念の為、不良債権比率を尋ねたところ、前日に面会した候補先より事業規模は遥かに小さいのにも関わらず不良債権比率は3倍近くあり、とても彼らの希望する条件で合理的な商品組成を進めることが出来ないことが濃厚になってきた。全くの噛み合わなさに絶望的な気持ちになったまま、とりあえず帰国後に見解を伝えることとし、形式的な握手をすると急いでその場を去った。

どういうつもりだったのかは不明だが、とりあえず興味本位というのであればメールでその旨も教えて欲しかったし、ミーティング開始時間を昼からにされたことも、今となってはこちらの行動の制約にしかならず、迷惑この上ないことに尽きるのであったが、この辺りは海外ソーシング活動で起こり得る不測の事態と捉え、次に頭を切り替えるしかない。とりあえずビシュケクでの用が済んだところで、日が暮れる前にカザフスタンとの国境を超えることがこの日の最重要課題となった。

各旅行ブログ等で記載されている情報通り、市内西のバスターミナルで乗り合いバスに押し込まれる。満席になるまで数十分待ち、出発となった。日本で旅程を検討していた時点では、キルギス、カザフスタンそれぞれの空港の行き来と入出国手続き等を勘案すれば、陸路と空路で然程時間差は無いであろうし、バスで風景を楽しみながら移動しても良いのではないかといった同僚の声に押される形で陸路を選んだのであるが、ここも事前予想を裏切られるような状況であった。まず観光としてのバスという意味合いは相当に少なく、純然たる移動そのものであったため、窓にアクセスが出来ない。しかも満席になったと思ったら補助席まで引っ張り出して乗車率を引き上げての運行となり、PCやカメラ等の貴重品を肌身離さず持つことを出張時の信条としていた自分としては、膝上に2歳児を抱えているような体勢で都合5時間を移動することとなったのである。


                   越境バスから見た風景

金網の張り巡らされた国境につき、まずは出国手続き。その後、入国届けらしき書類を添えて入国手続きを行い、カザフスタンへ入国した。この間、30分ほどを要した。カザフスタンに入った途端、複数のタクシー運転手が話し掛けてきたが、引き続きアルマトイ市内までバスがあるので無視して両替商を探し、幾ばくかのキルギス・ソムをカザフスタン・テンゲに変えておいた。


               キルギス→カザフスタンの国境の様子

アルマトイで気付いたこととして、ビシュケクでは比較的、イスラム的というか曲線を活用したデザインが建造物や内装にまで現れていた一方、アルマトイに関しては少なくとも直線を主体とした無機質なデザインが多いように見えた。旧ソ連テイストが多いのはどちらかと言えば断然カザフスタンと言えるだろう。そんな角張ったデザインのバスターミナルビル前で降ろされると辺りは既に暗くなり始めており、ネット接続もない状態でホテルまでどうやって行き着くのかが毎度ながらのチャレンジとなる。ターミナルの目の前にはタクシーの表示がないものの、何かを待っている何台かの車両があったので、まず古びた日本車に声を掛けてみた。赤ら顔のドライバーにタクシーであるか確認し、宛先と金額を交渉すると2千テンゲとのことで、全く割高感はないのだが、言い値をそのまま払うのも納得し切れなかったので、ディスカウントとジェスチャーで伝えると1,700テンゲとなり、そこで妥結した。正直なところ、言い値でも変わりはなかったのであるが。

埃まみれのカムリに乗り込もうとすると助手席に大柄な女性の先客がいる。よく見れば何かタッパーからザウワークラウトのような酢漬けの何かを手掴みで摘まんでおり、運転手と談笑している状況から、どうやらドライバー氏の家族であると確信した。一瞬、他の車両に変えようと周りを見るも、既に並んでいた他の車両はバス客の荷物を積み始めており、最早選択肢はないと悟った上、やや酸っぱい匂いのする車両へと乗り込んだ。

「東京から来たのか?俺はキョクシンをやっていたんだ。日本車は最高だよ!」といった日本好きな外国の方から繰り出される紋切り型にも近い会話を行いつつ、チラチラと手元の端末でオフラインでも位置情報だけはトレースしてくれるGoogle Mapを見ると、明らかに曲がるべきところを複数回逃している。ドライバー自身、どこで曲がるべきか不確かな様子であり、一度通り過ぎてしまうと次の曲がれるところまで15分といったことがザラであったため、大きく市内を周回してホテルがあるべき地点でようやく降ろされた。後に降ろされた場所から実際のホテルまで300mは離れており、タクシーとしてはなかなかのアマチュアぶりであった。


                    宿泊したホテル

このようにアルマトイのタクシーは市民の足であると同時に市民の副収入源でもあったのである。当然レシートなど貰える訳もなく、釈然としないまま宿に着くと、何の機械から聴こえていたのかは不明だが3分おきに鳴る心電図モニターのような信号音をバックにいつの間にか寝入ってしまった。

(後編につづく・・・)

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