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《開発秘話》印刷技術で世界一「世界に一つだけの日本酒ラベル」は協力し合える社風によって作られた。


「アンタの会社やろ?世界一げな、スゴかね。テレビ出とったばい」。

テレビ放送があった朝、本社に勤務する男性社員のもとに、放送を見たという母親から電話がかかってきました。「ありがとう」と返すと、母親は「で、どこがスゴいと?」と続けます。「えーっと、、、なんか印刷加工の技術がスゴイらしい、、、」、彼はこう答えるのが精一杯でした。

2020年7月、当社が第31回 世界ラベルコンテストにおいて「世界一」を受賞したニュースが、TVや新聞など福岡県下のメディアで多数取り上げられました。丸信で働く多くの従業員がこの報に喜び、またその家族や友人知人、あるいはお取引先や仕入業者からは祝福の言葉を多数頂くなど、地元ではちょっとした話題になりました。ただ、話題になったことで露呈したのが、「で、どこが凄いと?」「で、誰が作ったと?」という質問に上手く答えられない、という問題でした。世界一を獲った会社の従業員なのに、世界一の理由を説明できない――。

これではマズいと立ち上がったのが社内報編集部。社内でこの「世界一」に携わった複数の人物を尋ね、社内報10月号に「世界にひとつだけの日本酒ラベルはこうして作られた。~ラベルコンテスト世界一インサイドストーリー~」を掲載しました。今回は、社内報に掲載された内容をもとに、一般の方でも分かりやすいように記事化しました。そこには、携わった人も知らなかったような、たくさんのエピソードや多くの人のストーリーがありました。

(参考)「第31回世界ラベルコンテストBest of the Best」の発表
http://www.seal.gr.jp/news/200623-02.php

新元号デザインの発案と木製ラベルの採用

6回目の挑戦で、世界ラベルコンテスト最高位となる「ベスト・オブ・ザ・ベスト」を受賞した日本酒ラベルは、同じ福岡県久留米市に構える若竹屋酒造場と共同企画したもの。最初に企画をスタートするにあたり、若竹屋酒造場からご了承いただいた上で、ラベルのデザインや加工については、ほぼ全面的に丸信に任せていただくことに。

丸信では、新しい技術や加工を試す「新技術開発委員会」というチームがあり、ラベルコンテストもこの委員会が管轄する。当時、同委員会のメンバーで、ラベルコンテスト初参加からずっと企画を担当してきた米倉春美(写真上)は、この年、どうしても作りたいラベルがあった。それが新元号の記念ラベル。「元号が変わった歴史的な年だったので、『令和』を語源に世界に発信できる和のラベルを考えた」と説明する。ラベルデザインを考案するにあたり着目したのが、新元号の語源となった万葉集の一節。

「初春の令き月、気淑く風和み、梅は鏡の前の粉を披き、蘭は珮の後の香を薫らす」

この一節の冒頭、「初春の令き月」から、「月」と木製材質が桜の木であることから「桜」を想起した米倉は、早速、自らラベルデザインに落とし込んだ。
それがこちら。

ラベル台紙は、本物の木材(桜の木)を想定していたものの、印刷や加工の難易度を考えると不安があった。リスクを回避して木材ではなく、木目調デザインで対応する案も考えられたが、当時、新技術開発委員会の委員長だった水口真(千葉営業所)は「やっぱり木材を使いたい。桜の木で行こう」と強く進言。水口のこの言葉が、米倉の背中を後押しした。

水口が木製ラベルを推したのには理由があった。一つは、他の印刷会社が出来ないような、あえて難易度が高い素材にチャレンジすることで得られる技術の向上。もう一つは、技術委員会で木製ラベルのテストをちょうど行っていたころで、難しい部分が分かり、手ごたえも掴んでいたからだ。

印刷加工の難易度を想定した様々なリスクヘッジ

ラベル台紙に木製ラベルを使うことが決まり、酒瓶720mlサイズ用の原紙を発注。原紙が届くまでの間、加工法や工程を考えていた米倉は、「アナログ可変」について考えていた。

可変印刷とは、データに基づいて内容を変えて印刷する手法で、バリアブル印刷とも呼ぶ。ダイレクトメール(DM)の宛名印刷でよく使用される方法だ。デジタル印刷機で行うのが一般的だが、これを判子を必要とする非デジタル機にて実施する。つまり、物理的制限のある中で一枚一枚異なる図柄にしていくという訳だ。可変するのは「月」の部分だ。

具体的には、木製ラベルと月の模様を印刷した透明素材を貼り合わせる時、あえて位置がずれるように、オフセット間欠印刷機の印刷長さと月のサイズを緻密に計算した上で、木製ラベルを貼り合わせた時に微妙にずれて行くように設計を行った。

米倉にとって、アナログ可変は念願だったが、木製ラベルへの印刷加工も含め、初めてチャレンジする部分が多く、実際にやってみなければわからない。印刷加工技術を熟知しているからこそ、悩ましい問題がいくつも頭に浮かんだ。そこで、米倉は様々なリスクを想定しながら製作を進めていった。

制作を進めていく過程で、上手くいかなければ直ぐに切り替えられるようにB案も準備。例えば、木製台紙に月の円形をハーフカットする加工が入るとき、万が一、ひび割れ等により上手くカットできなかった場合、カット出来なくても日本酒ラベルとして成立するように、あらかじめ、カットして抜きとる部分にも月の模様を印刷していた。

もう一つ、月のサイズもリスクを考慮した大きさにした。ハーフカットした木製ラベルを上紙として、月の模様が入った透明素材を貼り合わせていくが、貼り合わせが上手くいかなければ、月の模様は貼らずに、くり抜いた状態を完成型にする可能性があった。その場合でも強度を確保できるように、あらかじめ強度を確かめた上で、耐えられる月の大きさに設定。こうした念の入れ方は、印刷加工に熟知した米倉ならではの進め方だった。

また、コンテスト審査では酒瓶に貼った状態ではなく、シールの剥離台紙に付けたままでの提出となるため、その状態でも月の模様がくっきり浮かぶように、白1色ではなくスミ網を入れた2色印刷を施している。ここにも、社内でもっともラベルコンテストの経験を積んでいる米倉の工夫があった。

“異なる月”は世界各地から見える月をイメージしており、“令和”の“和”と併せ、世界の方々に若竹屋様のお酒を楽しみながら、和やかな時を過ごして欲しいとの想いが込められている。

先人たちが作ってきた歴史と全従業員で勝ち得た世界一

幸いなことに、当初想定したこうしたリスクや課題はことごとくクリアされ、当初、米倉が想定していた通りのデザインで、印刷や加工が進められていった。順調に試作が進んだ背景には、米倉の企画や進め方も去ることながら、実はもっとも大きかったのは各作業工程で協力をした現場の社員やオペレーターだった。ラベルコンテスト用のラベルも、企画から完成まで多くの部門を介して印刷や加工を行うのだが、当然ながらどの部門も通常業務を抱えている。「お取引先様の製品を作るのが優先される中で、その合間を縫って、または業務終了後に残ってもらって、試作や制作を行ってもらっていた」と制作現場が協力してくれた実情を明かす。

そのため、制作現場で実際に携わった技術者やオペレーターも、それぞれ、「世界一」受賞に大きな驚きと喜びをかみしめていた。


銘柄部分のシルク印刷と円形のハーフカットを担当した石橋貴史(技官補)は、「見本が無い中、何が正解か分からない状態での試作は、なんとも言えない難しさがあった」と吐露。通常業務で作業する依頼品は、必ず見本が存在し、その見本を目安に調整をしながら完成させていく。見本が無い中での制作は現場でも初の試みだった。それでも「嬉しいと言うよりは、驚いたのが正直なところ」と、現場に飾っていた受賞ラベルを眺めながら喜んだという。


月模様の透明素材の貼り合わせと抜き加工を担当したオペレーターの酒井尚子(平打)は、「テレビや久留米市広報紙に出ているのを見て、スゴいことに携わっていたんだと実感した」と受賞を知った時のことを振り返る。酒井は、国内ラベルコンテストの受賞作品にも携わっており、国内と世界の2つの受賞作品に携わったことになる。


ラベルデザインの顔となる「若竹屋」の銘柄文字は、丸信の“筆文字職人”である川上友香(製版課)によるもの。TVや新聞でも多数取り上げられ、若竹屋酒造場では完売するなど、多くの人の目に触れることになった文字。「自分の書いた文字が久留米市広報紙の表紙などに出ていてびっくりした。同時に嬉しかった」と喜びを隠せない。


“影の立役者”と称されているのは、最初に社内で木製ラベルを提案した中村和寛(鹿児島営業所)。新技術開発委員会のメンバーとして木製ラベルのテスト実施を提案した張本人で、委員長の水口は「彼の提案がなかったら世界一はなかったかもしれない」と言うほど、木製ラベルのテストを行っていたことは大きい。今回のラベル制作には直接携わっていないものの、「正直嬉しかった。これ、オレが提案したヤツ!」と思い、中村はひっそりと喜んだという。


直接的・間接的に携わった人物以外の協力も欠かせなかった。ラベル制作のためにオペレーターを1人借りると、本来行うべきだった通常業務は他のオペレーターにしわ寄せが来る。また、期限が近づきギリギリまで最終チェックを行っていた中で、後回しになっていた応募書類の準備なども周りのオペレーターが自ら買って出てくれた。「現場は嫌な顔一つせず、むしろ快く協力してくれた」と米倉は感謝する。水口も「携わった人はもちろん、その周りのサポートがあってこその世界一。本当に感謝しかない」と話す。

米倉の発想と、それを後押しした水口の情熱、その思いを汲んで作品として作り上げていった現場の技術者やオペレーターたち。さらに、この制作現場を周りでサポートしてくれた人々。これだけの人員が、今回の世界一には関わっていた。そして米倉はこうも付け加える。「業務外の事でも快く手を貸してくれる社風は、会長、社長をはじめとする創業者や経営者、先輩方が、これまで作り上げたもの」であることを今回の世界一で改めて実感した。
社内の風通しの良さや、困っている人を助ける社風は、私自身も様々な社内取材の場面で感じていたこと。今回の開発秘話の取材を通じて、まさしく会社の歴史とすべての従業員で勝ち取った世界一であることを実感した。

現場をとりまとめた平打部門責任者の功績と訃報

最後に、もう1人、大きく貢献した人物がいる。貼り合わせと抜き加工を行う平打部門の責任者だった江崎英治

現場オペレーターの技術力の高さや周りの協力体制は、彼の指導力や人柄に負うところが大きい。先述の酒井尚子は、「常に江崎さんにアドバイスをもらいながら作業を行っていた」と話すように、基本は本人に任せるが大事なところや難しい部分では的確なアドバイスを行う。新しいことに積極的にチャレンジさせ、オペレーターの能力を引き出すのが、彼の指導法だ。「自分で作業させることで経験を積ませてくれる人だった」と米倉も振り返る。

「世界一」が正式発表されたのは2020年6月23日。昨年末から闘病生活を続けていた江崎は、正式発表の1週間前、「世界一」の報を聞かずして、この世を去った。正式発表後も、米倉が素直に喜べなかった理由は、江崎の訃報にあった。「とにかく、全員で一緒にお祝い出来ないのが残念」とこぼす。今でも、当時の現場を思い起こすと胸が詰まるのだという。

さはさりながら、これまでの丸信の長い歴史が今回の世界一を作り上げたとするならば、彼が残したものは、これから先、新しく築かれる丸信の歴史に必ず生かされるはず。彼の思いを受け継ぎ、次の目標、2冠達成(日本一&世界一)に向かって、全社一丸で向かっていく。(完)

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