「可能性を発掘してシェアする」を経営ビジョンに、2014年に設立された株式会社K-FIRST(ケーファースト)。
築30年以上の築古ビルを、個室のスモールオフィスに再区分してリノベーションし、フリーランスや士業の方、独立している方といったスモールビジネスオーナーに貸し出すことで、ビル本来の価値を取り戻す「Re:ZONE(リゾーン)」が主力事業だ。
「運営初年度からほぼ100%の満室率を維持するなど、不動産としての収益性や価値が向上する」として、多くのビルオーナーに支持されている「Re:ZONE」事業。
ここ数年で拠点は33拠点にまで成長。
現在は「2026年に200拠点」という大きな目標を掲げ、全社一丸となってチャレンジを続けている。
そんなK-FIRSTを率いるのは、代表取締役の田中 健司(たなか けんじ)氏。
なぜ、田中社長(以下、敬称略)は、主力事業「Re:ZONE」にこれほどまでに全身全霊で取り組むのか。
今回のインタビューを通して、田中の心の奥底に秘められた理由について、紐解いていきたい。
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【インタビュアー/ライター】
ー伝えたいことを、伝えたい人に、文章で響かせる会社ー
株式会社ストーリーテラーズ
ストーリーライター 菅原瑠美
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田中が「Re:ZONE」事業に全身全霊で取り組む理由
田中を事業へと突き動かす原動力。
それは、「どんなヒト・モノでも変わればチャンスがある。変化することに価値がある」
という強い信念だ。
「Re:ZONE」で取り扱う物件は、築30年以上の築古ビル。立地も、都会のオフィス街ではなく、郊外にあるものが多く、大手不動産会社は、はなから相手にしない。
ビルオーナーも「うちのビルは設備も古くて汚いから、空室が多くて当たり前」と諦めムードだ。
「でも、そんな物件であっても、適切に投資し、リノベーションすることで、スモールビジネスオーナーが一歩踏み出すきっかけやチャレンジの場を提供する空間へと生まれ変わることができる。
ヒトの流れが生まれ、ビルが再び誰かの役に立つ実感を得られ、収益率も向上することで、人生の新たな生きがいを見出すビルオーナーを、これまでたくさん見てきました」
と田中。
「どんなヒト・モノでも変わればチャンスがある。変化することに価値がある」という田中の信念を
「築古ビルをよみがえらせることで、『個』が一歩踏み出すきっかけを後押しする」
という形で体現しているのが、まさに「Re:ZONE」事業というわけだ。
ではなぜ田中は「埋もれてしまったヒトやモノに光を当てて、新しい価値を見いだすサポートをする」ことに、これほどまでに強い信念を持ち挑んでいるのか?
話を進めるうちに、田中の背景にある原体験が見えてきた。
サッカーの夢やぶれた後に出会った経営者の存在
田中は、不動産会社を経営する両親の元に生まれた。物心つく頃から「将来は自分が家業を継ぐ」ことを自然と意識するようになったという。
小学校に入り田中はサッカーに目覚め、高校時代まではプロサッカー選手を目指して日夜練習に明け暮れ、努力の甲斐あって、大学は地元で有名なサッカーの強豪校に入学。
しかしその直後田中は、現実を目の当たりにすることとなる。
「今まで『自分はこのまま、プロになれる』と思っていましたが、大学で出会ったメンバーに、圧倒的な差を見せつけられました。
どんなに努力しても、どれだけ頑張っても、彼らには到底敵わない。たとえプロになれたとしても、大きな活躍はできずに自分のサッカー人生が終わっていく…
そんな未来が、見えてしまったんです」
幼少期から描いてきた強烈な夢が、一瞬のうちに崩れ去った。
まさに燃え尽きてしまった田中は、その後の2年間、何の目標も持たず、淡々と学生生活を送るようになった。
そんな彼にある日、転機が訪れた。
「たまたま、ベンチャー企業の社長の話を聞く機会があったのですが、そのお話に衝撃を受けました。事業をゼロから生み出す面白さ、事業を継続する難しさ、もがきながらも夢中になって仕事に取り組むその姿勢…
サッカーの夢が破れ、毎日目標もなく淡々と過ごしていた自分にはとても眩しく輝いて見えました。
『自分もこんな大人になりたい!そのためには、今のままではいけない、変わらなければ!』
と、その時決意したんです」
学生起業とその後の転機
その後すぐに動き始めた田中。
何の事業をしようか…と色々考え、新卒の人材紹介事業で起業することに。
その背景には、自身の就職活動での歯がゆい経験があった。
「私が通っていた大学は、いわゆる偏差値の高い大学ではなく…自分も友人も含めて、エントリーしても、書類選考の時点で落ちてしまい、面接にすら行けないことが多々ありました。
焦った学生は、とにかく内定をとることが目的になり、自分のキャリアを真剣に考えることなく、安易に就職先を決めてしまう。
この問題を解決したいと考えました。
学歴フィルターを取り払い、
『自分の力を発揮したい意欲ある学生と、そんな学生を採用したい会社とをマッチングする新しい採用の形』を創りたい。
そのために、新卒の人材紹介事業で起業することにしました。当時はまだ学生でしたが、仕事に全ての情熱を注ぎ、会社も順調に成長していきました」
ところがそんな矢先、田中の親が体調を崩し、これ以上家業の経営を続けられないことに。
「物心ついたときから、いつかは家業を継ぐと思っていたので、これも自分の使命だと思い、実家に戻って不動産事業を継ぐことにしました」
田中が、27歳の頃だ。
第二の転機
家業を継いでしばらくした後、学生起業したころから交流があったベンチャー経営者の勉強会に誘われ、出席した田中。
そこで、第二の転機が訪れる。
「特に深い意味はなく『両親の会社を引き継いで経営しています。会社は安定しています』と皆さんに報告しました。
でも今思えば、在学中に起業した時のような勢いや必死さはなく、家業を継いだことで、どこかで安心してしまっていたのかもしれません」
そんな田中に、その場にいた経営者から、容赦ない言葉が浴びせられた。
「ボンクラ息子は出ていけ」
「みんな、まさに生きるか死ぬかで、人生をかけて事業に取り組んでいるんだ、甘ったれるな」
「そんな生半可な気持ちなら、もうこの会には二度と来ないでくれ」
「目が覚めました。学生起業で会社を大きくした経験から、経営力を裏付ける自信はあったはずなのに、両親の会社を引き継いだとたんに、守りに入っていたことに気付かされたんです。
でも、親から引き継いだ財産もひっくるめてそれが自分自身だから、それでもボンクラ社長と言われないくらいに、人生をかけて勝負に出ようと覚悟を決めました」
その後、家業として引き継いだ時に所有していた築古ビルに焦点を当て、再び価値ある物件へと蘇らせる「Re:ZONE」事業を立ち上げることになる。
「あの時、経営者の先輩から厳しい言葉を言ってもらい、感謝しています。あの言葉によって、自分は変わることができた。
サッカーの夢が絶たれ目標を失い、偏差値の高くない大学出身ということで、悔しい想いをしたこともあったけれど、あの時に目が覚めて、今は、社会のために役立つ事業にチャレンジすることができています。
この世の中にあるモノ、ヒト、全てには価値がある。その価値を引き出すためには、勇気を持って変わらないといけません。
だから、社員も、築古ビルも、K-FIRSTと関わる人には、自分の可能性を信じて諦めずにチャレンジしてもらいたいですね」
「RE:ZONE」事業に全身全霊で取り組む理由が、田中自身の可能性が引き出された実体験と重なって見えた。
最後に
田中は言う。
「人生は1回きりだから、こぢんまり生きたくない」
「人生は総合点。人生の大半を占めるのは仕事だから、仕事に情熱を注げる20~30代に充実した時間を送るかどうかが大切」
K-FIRSTの社員は、そんな田中の思想や仕事に対する向き合い方に共感して入社する者も多い。
「可能性をシェアする」「可能性を発掘する」をビジョンミッションとしてかかげるK-FIRST。
田中社長の想いや「Re:ZONE」事業に興味を持った方は、ぜひ一度、社長や社員に話を聞いてみてはいかがだろうか?