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「コンピュータの天才」と呼ばれたエンジニア池田敏雄さんの逸話

こんにちは!オータム代表取締役の内山です。

突然ですがみなさん池田敏雄さんをご存知でしょうか?

富士通にて戦後日本のコンピュータ産業を大きく発展させ、世界に通じる水準まで高めた「コンピュータの天才」と呼ばれたエンジニアです。

天才的な能力を持った開発者であった一方、”型破り”と表現されるにふさわしい人物で、アイディアが思いつくとその研究に没頭するあまりに何日間も家や職場に引きこもり、数日出社しないということもザラだったそうです。

もちろん当時の日本にはリモートワークもフレックスの概念もなく、かつ日給制が当たり前だったため、社内でも問題視されてしまうような行動だったそうです。

しかしその能力と人物像は同僚・上司から高い評価を得ており、同僚らが会社に掛け合って彼だけ月給制にしたという逸話が残っています。

今でも大企業のなかで特例を設けて一人を活かすことはなかなか珍しいことですが、当時の日本でそれが実現されたことが大きな驚きで、池田さんの能力の高さだけでなく、それを最大限活かすために組織に掛け合った同僚・上司の皆さん、そしてそれを受け入れて組織改革を行った富士通の器の大きさを含め、僕の大好きなエピソードです。

富士通のホームページにも池田さんについての記事がありますので、気になった方はぜひ見てみてください。

https://www.fujitsu.com/jp/documents/about/plus/museum/ikeda/biography/hisyo.pdf

池田さんは51歳という若さで亡くなってしまうのですが、亡くなった後に常務から専務に昇進し、社葬が執り行われた際は経団連記者クラブから異例の弔事の申し入れがあったそうです。

そこで読まれた弔事で「天馬空を行くがごとき活躍」と二回言って言葉を詰まらせたというエピソードは有名なので聞いたことがある方もいるかも知れません。

歴史に名を残した方々の人生に触れてみると、自分の人生の理想や目標を考えるうえでとても有意義な情報がたくさん得られます。

よければ皆さんもよければ有名な人物の書籍など読んでみてください!

このストーリーが気になったら、遊びに来てみませんか?
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