近頃は、小学校に入る前から習い事に通う子供たちが多く、親の方も何もさせなくて良いのだろうか?と不安になるほどである。今から40年ほど前、私が小学生だったころは、地域性もあると思うが、習い事と言えるものは、そろばんと習字とピアノ、小4からはバスケと野球があるだけだった。
つまり小3までは、自分で遊びを見つけるしかなかった。そうすると自然と本当に好きなこととするようになる。私の場合は、何かを作る創作活動がそれで、家の小屋にあった木と道具をつかって自分が遊ぶためのモノを作った。一番印象に残っているのは竹馬である。できたと思って乗ると壊れて、補強して、乗って壊れて…を繰り返して、なんとか乗って歩けるものができた。できたらそんなに遊ばないのだが…。外で遊べないときは、家の中に余っている生地で人形に着せる服を作ったり、帽子を編んでみたり…
当時は、日常のなかに、モノを作ったり直したりする習慣があって道具もそろっていた。当時は当たり前だと思っていたが、今は当たり前ではない。
モノづくりが好きだったのに、高校生くらいになるとモノづくりは「遊び」に属するものとなり、「勉強」によって生活から押し出されていった。大学では、化学を専攻し試験管の中でモノを作ることを学んだ。就職のときは、ソフトウェア開発の求人票がほとんどで、システムというモノを作る世界に入った。自分のなかでは、これらも自分が好きな「モノづくり」であって、自分が好きな道に進んだと思っていた。
最近また、木工を中心に目に見えるモノを作るようになって、本当に充実した時間を過ごしている。つい昨日、化学もプログラミングも本当に好きだったのではなく、無理やり「モノづくり」にくくって好きなことにしようと思っていたのかもしれないと気づいた。薄々気づいていたことが、昨日、急にくっきりとそう思えて、これからが楽しみになった。