まずは自己紹介をします!
キャリアコンサルタントの中島です!
今は株式会社SANCYOの人事担当及び一般就労担当として毎日楽しく働いています。(好きな食べ物はカレーです🍛)
これまで主に女性の就業支援をメインに仕事に従事し、直近では行政の就業支援センターでコーディネーターを3年勤めました。
それ以前はというと、
研究職の派遣会社で新卒のリクルートアテンダントや、行政委託事業でセミナーの企画運営、大手人材会社のアウトプレスメントの求人開拓営業などなど、キャリアの後半は人材関係の仕事に多くかかわっていますが、それ以前となるとわたしの経歴は一言で表現するのが難しい、一貫性に欠けるものでした。
働きづらさは、どこからくるのか
さて、ジェンダーギャップ120位というこの国で、子どもを育てる母という属性を持つわたしが感じることを少しだけ書きます。
確固たる未来を描いていたわけではなく、なんとなくで流されてきたようなわたしの職務経歴書は、前述したように一貫性がなく、そのことが仕事を探すという点においては非常に不利である場合が多いということに気が付いたのは、子どもが2歳になった時の再就職活動でした。
子どもを育てながら仕事をするという現実は、それまで比較的自由にストレスなく生きてきたわたしにとっては非常に窮屈に感じました。
今考えると、「わたし」というひとりの人間が一体何ができるのかは誰からも意識されないまま、属性の中に閉じ込められていたからではないかなと思っています。
わたしたちは多くの場面で、周りに付随したさまざまな社会的な属性で分類されています「女性」で「母親」で「健常者」で「40代」で「シスジェンダー」で…といったさまざまな属性はわたしを構成する一要素であり、ひとつの属性がわたしの全てではありません。
しかし社会はいつもどこかの属性に焦点を当てて、同質性や異質性で分類・分断し、「間違いのない、正しい、健全な」組織を作ろうとします。
属性の中にある正しさは、どこを切り取るかによって居心地の良さが変わってしまいます。「母」という属性が一番強く全面に出ていた頃、わたしは確かに『働きづらさ』を感じていました。
本当はもっとさまざまな形や色や、色んな触り心地の人たちが、目的をもってつながっていくことを目指していくのが大切なのではないか。
働きづらさは「働く個人」の問題だけではなく、もっと違う場所にあるのではないかとずっと思っていました。
障害者雇用に関わってみて感じたこと
SANCYOに入社することで、一番不安だったのは福祉という分野に初めて関わる事でした。
福祉の経験があるわけでも、そうした教育を受けたことがあるわけでもないわたしが、果たしてキャリアコンサルタントとしてどんな風に関わっていけるのか。
それはわたし自身の学びを含めて正直まだまだこれからだと感じています。
ただ、わたしにとってSANCYOでの業務は「障害者支援」という特別なものというよりは、就職支援において支援対象者が企業側からまずどう見られるかの部分に「障害」が当てはまってくるというイメージです。
でも「女性」という属性がわたしの全てではないように、「障害」がその人の全てではありません。「わたし」が母であり女性であるように、個人にまず焦点を当てて、属性の一つに「障害」というものがあるだけです。
困りごとを解決するために作戦を立てていく。もしそれが他人に理解されづらいものであれば、説明する言葉を一緒に考えていく。
これは今までやってきた、障害福祉の分野ではない就職支援と同じだと思っています。
そうやって『同じ』にフォーカスしたら、
『違い』にも目を向けていくのが常套手段。
とはいえすぐに大きなことができるはずもなく…。今はややこしさ片手に本当に少しずつ進め始めたところです。
働く、ということ
キャリアには「轍(わだち)」という意味があります。轍とは車輪が通った後の地面のくぼみのことです。
どんなものを積み上げてきたのか、何を大切にしてきて、どんな場面で嬉しくなるのか。
自分の特性はどんなものか、どう活かしていくことで自身も他者もより良い生き方となっていくのか。
これまで積み上げてきたものを振り返り、先を見据えて舵をとる。わたしは常に考える伴走者でいたいと思っています。
『生きづらさ、働きづらさのない世の中を創る』
SANCYOのVISIONです。
わたしに想いがあるように、会社にも想いがあり、目指していくものがあります。
その方向性が近しくなればなるほど、働く喜びを感じやすいのだと思います。
わたしは会社の一員としても個人としても、このVISIONがとても好きです。
実際のところ
まだまだです。まだまだこれからです。
誰かの小さな願いを叶えることも。
世間を驚かせる大きなことを成し遂げるのも。
SANCYOでしか描けない轍をわたし達と刻んでいきませんか?