もはやシマダグループの「第二のホーム」とも言える石垣島。「ホテルククル」をはじめ、「ゲストハウスちゅらククル」、コンドミニアムスタイルのホテル「グランヴィラククル」、「スカイククル」、保育園「ひばりの保育 石垣のいえ」と、多くの施設を生み出しています。今回はプロジェクトに関わったふたりのキーパーソンからきっかけ、やがて地域に根付かせるまでのストーリーを聞いてみました。
Summary
- 誰も知らない石垣島。
- チャンスがあれば、どこでもよかった。
- お金はかけず、地域と心を交わす。
- 会いに行くと、受け入れられる。
誰も知らない石垣島。
約14年前のこと。「ちょっと変わった物件」を求め、地方の情報に目を向けていた当時の仕入れ担当(現シマダアセットパートナーズ株式会社代表)の佐藤悌章さん。当初、照準を定めていたのは沖縄でした。ただ本土は地価が高騰し、なかなか条件に合う物件が見つからないなか「石垣島の、ある古いホテルが売りに出ている」という情報が偶然舞い込みます。
「ただ島田社長も、僕もそれまで石垣島には一度も行ったことがなかったんです」
いわば、縁もゆかりもない地。唯一のつてとして、飲食部門にいた石垣島出身の社員とともに、早速現地に向かいました。
「すると、本当にびっくりしたんです。石垣島にこんな市街地があるんだって」
そう、石垣島がリゾート地としてすこぶるの発展を遂げていること。さらに竹富島など各離島へのターミナルとしても機能していることを踏まえ「ここはいける」と勘を働かせた佐藤さんは、その古いホテルを再生させるべく、購入を決意。……したところで、ふと気づきます。
「で、これ誰がやるんだ?」
チャンスがあれば、どこでもよかった。
そこで社内に公募をかけたところ、手を挙げたのが、まだ入社2年めの中川和紀さん。
「私はもともと建築畑でしたので、ホテル運営なんてまったく分かりません。ただこれから、諸先輩方と肩を並べるまで10年以上が必要になるかなと考えた時に、石垣島へ行けば、自分が先駆者になれるんじゃないか。『ホテルのことで困ったら中川に聞け』というようなものを、獲得できるんじゃないかと」
中川さんの出身は新潟県。手を挙げた時は、石垣島自体には特段の思い入れもなく、
いわば「チャンスがあれば、どこでもよかった」もよう。
佐藤さんいわく、当時は「上越出身で色白のナイスガイ」だったという中川さん。それが12年以上の時を経て、すっかり「島に溶け込む色黒のタフガイ」へと、メタモルフォーゼ(変態)したのでした。
お金はかけず、地域と心を交わす。
開発に着手したのは、まさにリーマンショックの直後。本来ならば億単位のプロジェクトになる規模感でしたが、10分の1ほどの予算しかかけられません。実に厳しい船出でした。
しかし中川さん、もともと建築の畑だったことが、奇しくもここで生かされます。
「とにかくすべてが未知数、もとあったホテルの建物もボロボロ(笑)。建物から触らなきゃいけないところがたくさんあって、ワンフロアずつ改装しながらやっていったという感じでした。なので結果的に建築の知識は生かされましたね」
やがてホテルだけでなく、ゲストハウス、保育園まで。10年の年月をかけ、さまざまな空間を手がけていきます。そのつどトライアンドエラーを繰り返し、社内外のさまざまな人たちを巻き込んでいきます。
ただ、それが良きかたちに現れたのは、地元地域とのつながりがもたらされたこと。
「ゲストハウスを作る時には、地元のギャラリーさんの作品をあえて使わせていただいたり。アーティストのみなさんと、一緒にこのスペースを作りたいと話をしながらやっていきました」
島の人たちは、もともと人懐っこい性格の人が多く、何かといえば集って飲んで、交流をあたためるのが流儀。中川さんも徐々に地元に溶け込み、何かというと支え合う関係が醸成されていきました。
さらに!それが強固となったのは、中川さんの結婚。まさしく交流会で出会ったという、島の在住歴十数年という同じ歳の女性です。
「やいま村という石垣島の民俗芸能館で、昔ながらの伝統スタイルで式を挙げたんですけど、結婚することで、覚悟はできましたね。今はどこでも仕事ができる時代ですが、僕自身は石垣島を拠点にして、しっかり地に足を付けてやりたいなと。同時にシマダの一員として、グループの思いを発信して、輪を広げ続けるという気持ちが、すごい強いです」
ゲスト同士の交流が盛んに行われる ちゅらククル石垣島
会いに行くと、受け入れられる。
そのアツい言葉に、感動の面持ちを浮かべる佐藤さんが続きます。
「どの地域もそうなんですけど、片足だけ突っ込んでやるっていうのは、うまくいかないんですよ。とくに東京から来てると、地元の人も『またすぐに別のところに移っちゃうんじゃないか』と思われる。そういう意味で石垣は彼がそこで両足突っ込んでやってくれてますし、僕らも彼に会いたいから、年に何回かは行って、ダイビングやマラソンをする。そうすると、向こうもまた受け入れてくれるんです」
さらに副次的なメリットにもおよんでいると言います。
「地元の金融機関の支店長さんが、うちのやっている事業を見て『そんなことまでやってくれるんですか?』ってびっくりしてくれるんです。あと、こんな事業を始めましたと言うと『実は今困っている会社がありまして。そういう相談も今度させていただきますでしょうか?』という話があったり。それは、僕らのことを認めてくれてるからだと思うんです。中川が培ってくれたおかげですよね」
ひとりの男の覚悟が人生を築き、もたらした自身の成長が、会社の成長にもつながる。まさにシマダグループらしいエピソードなのでした。