ネット上での大炎上を経験
私が家から一歩も外へ出られなくなった理由。それは、ネット炎上でした。
会社が急成長し、スタッフのマネジメントや教育が追いつかず、ミスが生じ始めていた頃。ネットに否定的なコメントが書かれるようになりました。
そしてそれが引き金となり、今度は店長の私に、誹謗中傷、バッシングが殺到。
もちろん、お客様対応にミスがあった場合、そのことを真摯に受け止め、改善し、進んでいくべきだと思います。
そこは起業してからの姿勢でもあり、とことん逃げずに向き合ってきました。
ただ…
私は日本国籍の在日コリアンなのですが、次第に、バッシングの矛先は私の国籍に変わり、あること無いこと書かれるようになり、それは日を追うごとにエスカレートしていきました。
また、自分のことだけではなく、家族や両親のことを否定したり、脅迫とも取れる内容もあり、それらを目にする度に、その言葉が自分の胸に深く、深く、突き刺さっていきました。
…そして、ある日。
とうとう、ぷっつりと糸が切れてしまった。
会社のエレベーターのボタンが押せなくなり、自宅に引きこもってしまいました。
当然、会社の売上はガタ落ち。
会社存亡の危機でしたが、夫が最前線に立ち、会社の規模を縮小し、残ってくれたスタッフと共に、何とか会社を存続させてくれる状況が続きました。
誰かに後ろ指をさされるようなことは何一つしていないという自負がみんなにもあったため、私は残ってくれているスタッフにも申し訳なく、自分だけが抜けてしまったことに余計に心がいたみました。
どん底からの復活。
自宅から出られなくなり半年ほど経ったある日。夫が私に、こう話しかけてきました。
「あの時は、会社の成長に自分たちが追いつけず、お客様対応がおろそかになったこともあった。その点についてはしっかりと受け止めて反省し、次に活かさないといけないと思う。
いつだって、誠心誠意、お客様と向き合い、お客様の喜びを作るために、一生懸命やってきたからこそ。
なのに…今ここで、全てを諦めてしまったら、どうなる?」
将来、子どもたちが大きくなって、ネット上の僕らに対する書き込みを目にした時…そこには、あることないことで塗り固められた、否定的な書き込みが並んでいる。
それらを見て、子どもたちは、一体どう思うだろうか。
…想像しただけで、めちゃくちゃ悔しい。
「もう一度、初心に戻ったつもりで、チャレンジしてみよう。
お客様のために、世の中のために、今まで以上に頑張って、今ネットに書かれている書き込みを、プラスの内容にどんどん上書きしていこうや!」
「…そうだ、私は真っ直ぐにやってきた。私も一人の人間だから、間違いもあっただろう。
でも、もう、顔の見えない人たちに怯えるのはやめよう。目の前の社員、お客様が笑顔になることを、自分らしくイチから作っていこう」
そう決めて、少しずつ体と心を慣らしていきました。炎上から会社のパソコンの前に座れるまでに一年半ほどかかりました。
2008年から2010年のことでした。
今、私に、会社に、出来ることは何か。
会社に復帰してまず行ったことは、「今の自分に、リトルムーンに、何が出来るのか」を考えること。
その頃、CSR(企業の社会的責任)の一環として、売上の一部を発展途上国に寄付したり、環境保全に役立てている会社の取り組みを目にする機会が増えていました。
純粋にビジネスをするだけではなく、このようなやり方で、社会をより良くしていくことができると知り、「では、ヘアアクセサリーを通して、社会に恩返しできることはないだろうか…」と考え始めました。
そこで考えついたのが、販売していないサンプルや、使わなくなったヘアアクセサリーを集めて、発展途上国の子どもたちに寄付する取り組み。
思い立ったが吉日の性分である私は、まずは途上国の子どもたちに奨学金を寄付し、そのご縁でラオスに行く機会を得て、集めたへアアクセサリーを大量に持っていきました。
現地の子どもたちは、大喜び。
「日本で行き場を無くしたものたちも、こうして再び、誰かの笑顔を作ることができる」
そのことを実感した瞬間でした。
持続可能な仕組み、サスティナブルをめざして。
そこで、この活動を今後も続けるために、ネットを通じて全国に呼びかけ、「不要になったアクセサリを当社まで送って頂くかわりに、御礼として、ネット通販で使えるクーポンを発行するようにしたところ、
予想をはるかに超える皆さんが、多くのヘアアクセサリーを送ってくださいました。
そして、皆さんから託された想いとヘアアクセサリーを持って何度か現地へ足を運ぶうちに、次第に見えてきたことがありました。
それは、「現地の子どもたちが本当に求めていることは、貧困から脱するための就業や教育の機会である」ということでした。
ヘアアクセサリーを寄贈するだけでは限界がある。
本当の意味で、現地の子どもたちのためになることはできないか…。女の子だけではなく、男の子も、全ての子どもたちを支援できる方法はないか…。
色々なアイデアや実現可能なやり方を模索して、2015年。
日本で使われなくなったヘアアクセサリーを、カンボジアの職業訓練校の生徒たちと一緒に販売し、その売上を、その職業訓練校に寄付し、運用費用に当ててもらうという活動をスタート。
この活動が現地で大変喜ばれ、活動は国を超えてどんどん広がりました。
現在までに寄付したヘアアクセサリーは4万点を超え、ラオスだけではなく、インド、ベトナム、タイなど、支援の輪は10カ国にまで広がっています。
「食品ロス」との出会い
これらの活動を通じて私は、
「ヘアアクセサリーの枠を超えて、世の中にもっと大きなインパクトを与えられる取り組みは無いか。かつ、それらが持続可能な仕組みを構築していけないだろうか」
と考えるようになりました。
そして、たどりついた答えが…そう、「食品ロス」でした。
食品の大量廃棄は、当時も問題視されていましたが、今後ますます大きな社会問題に発展していくはず。世の中の後押しを受け、政府も解決に乗り出すに違いない。
食品ロスを減らし、HAPPYが循環する仕組みを作ることができれば、世の中に大きなインパクトを与え、社会をさらにより良く変えていくことができる。
そう考えた私は、まずは現状を把握するために、周囲の友人に家庭内での「食品ロス」に関して話を聞いたり、余っている食品を持ち寄ってお料理会を開くなどして、食品ロスに問題意識を持ってもらえる活動を、小さなところからスタートしていきました。
また同時に、友人が経営する食品会社等にヒアリングを実施したところ、
「生産会社・加工メーカーから出る食品ロスの多くは、賞味期限が切れたものではなく、規格外品・余剰在庫など、まだ問題なく食べられるのにも関わらず、販路がなくなることで行き場を失い、廃棄されている」
「生産者の方も、自分たちが作ったものを自ら廃棄するのではなく、賞味期限までに、できれば誰かに食べてもらいたいと思っている」
という事実を知りました。
ということは、「販路と、物流の仕組み」を構築すれば、食品ロスを解消していくことができる…!
今までやってきたことが、一本の線で繋がった瞬間でした。
点と点が、一本の線に。
私は2001年からずっと、ヘアアクセサリーに特化したインターネット通販ショップを運営してきました。これまでに販売したヘアアクセサリーは、500万点にのぼります。
そこで培ったECショップ運営や物流のノウハウ、その後、社会への恩返しの意味を込めて始めた発展途上国の子どもたちへの活動、これまでに自分が経験したすべてのこと、
そして、世の中のもったいないを解決したいという想い…
これらを全て注ぎ込めば、「生産者と消費者をつなぎ、全員の笑顔が循環し、食品ロスを減らす仕組み」を作ることができる。
そう、確信した私は、テストマーケティングの意味合いも込めて、2017年末、クラウドファンディングを実施することにしました。
「カンボジアの学校にトイレを作るための資金を募り、寄付をしてくれた方へのお礼として、形が不揃いで出荷できなくなった高級チョコレートをお送りする」
チョコレートは、友人が経営する会社から引き取ったものを活用しました。
このクラウドファンディングの企画は、予想以上の反響があり、SNSでも多くの方がシェアをして下さり、大成功をおさめました。
そして、1回のクラウドファンディングで、カンボジアにトイレを5つ建設、6000点をこえる文房具の寄贈、264kgの高級チョコレートの規格品が捨てられずに、美味しく食べてもらうという成果を残すことができたのです。
これこそ、関わるみんながハッピーになれる持続可能な食品ロス解消の仕組み。
「これはいける!」
出産後、社会復帰できなかったことも、
ECショップの売上が上がらず工夫を積み重ねた日々も、
ネット炎上によりどん底を味わった経験も…
全て、意味があった。無駄ではなかった。
全てが一本の線で繋がった。
たとえ「難しい事業だ」「そんなのうまくいかないよ」と言われても、これは私が人生をかけてやらなきゃいけないこと、そして私にしかできないこと、覚悟が決まりました。
そして2018年4月、ロスゼロ(Losszero)事業をスタート。48歳のときでした。