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はじまり vol.1

Photo by Nhi Dam on Unsplash

2020年4月に書いた文章です。今は徒歩でオフィスに向かってますね。

2020年1月23日に株式会社アオイロを立ち上げた。東京オリンピックの年であり、表彰台にかけて1月23日としました。

環境に関する課題について日々重みを増す中、自転車がエコな乗りものであるということは今では誰もが認識していることだと思う。また、乗ることで健康にも寄与するということは知れ渡りはじめた感触がある。

では、環境に良いと言われる自転車をどれくらいの方が日々の交通手段として利用しているか、そして、具体的にどの程度健康に寄与しているものなのかなど、自転車を愛するものからすると十分ではないなと感じることしばしば。

ブログを書きはじめるにあたり、そもそもどういう経緯や思考で株式会社アオイロを立ち上げたのか整理してみた。

自転車に興味をもった源流は、マーク・アンドリーセン?

高校は、千葉の木更津高専(木更津工業高等専門学校)に進学し5年間寮生活を過ごした。

15歳から専門科目を学びはじめモノづくりがはじまる環境で、当時、確か3年生か4年生のとき電子工学の鈴木聡先生が授業中に見せてくれた「電子立国日本」。その中で、マーク・アンドリーセンが開発したネットスケープの件が今でも頭に残ってる。

高専から編入した大学で出会ったのがオイシックス(現、オイラ大地)の創業メンバー。オフィスが五反田で、大学から帰宅する途中の乗り換え駅だったこともあり、誘いに乗って興味本位で学生ベンチャーにお手伝いに、そこでEコマースを経験する。それまでエンジニアリングのみ学んできた自分にとっては、そこで日々繰り広げられている”ビジネス”の議論が新鮮でしかなかった。

当時、世の中を変え始めていた携帯電話。「せっかくビジネスやるならケイタイみたいに世の中をかえるもの」という言葉を聞いて、衝撃受けたのを昨日のことのように思い出す。

とはいえ、大学から推薦もらっていたので憧れだったホンダに就職。新卒で栃木に行ったものの、大学4年の時の学生ベンチャーでの経験が忘れられず、1年足らずでオイシックスの門を再び叩くことに。その時、ホンダ車を売却したお金で購入したのがマウンテンバイク。理由は単純で、電車のある時間に家に帰れると思っていなかったから。どうせ買うならと当時10万円くらいのTREK4900を奮発して購入。

趣味としても、日々のスイッチ役としても自転車なしではやってこれなかった

日々の仕事、家庭での生活のスイッチ役になってくれたのが愛車。30分以上乗りたかったので、五反田から同心円状15km程度の距離にある川崎へ引越して、それ以来ずっと自転車通勤。今でも、自宅から最寄り駅までの3km程度は自転車。オイシックスにいた15年足らずの時間は、自転車通勤のスイッチがなかったら前向きには楽しめなかったかもなと。

自転車通勤を続ける中で、衝撃的な出来事は東日本大震災。震災直後、会社の対応しつつも家族の状況も気になり、日が暮れるか暮れないかのタイミングで帰ったころには、車の大渋滞と歩道は徒歩帰宅者であふれかえる状況。こちらは、自転車があったのでいつもとほぼ変わらず40分程度で家に到着。その週明けからはオイシックスは怒涛の日々で、世の中変えるってこういうことかと実感した1年。

趣味でも、マウンテンバイクのクロスカントリーレースに出たり、友人と筑波耐久レースに出たり、週末はパーツ交換したりメンテナンスしたりと良き相棒。2年前にはロングディスタンストライアスロンも完走して、今も土日だいたい両方とも1時間は乗っている。今年こそはダウンヒル挑戦!

子どものころから抱いていた夢

そもそもエンジニアになる道を選んだのはF1が好きだったから。もちろん当初は、アラン・プロスト(セナより彼w)みたいなレーサーに憧れていたけど、マシンを製造する側になる夢を抱いて進んだエンジニアリングの道。

大きく離れたものの、紆余曲折を経て、やっぱり心の中で燃え上がるのは、自分の開発したもので世界で勝負してみたいという気持ち。

100歳まで仕事すること考えたら、あと60年弱まだチャレンジできることはいろいろあるなと、そう考えると起業がベストと考えてアオイロを設立した。

より沢山の人が自転車の魅力に気づいてくれたら

今以上に多くの人に自転車に乗ってもらえたら、そしていつまでも健康でそれぞれの目標に向かって人生を楽しんでもらえたらと。そんなプロダクトの開発をこれから進めていきます。

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