飾り包丁
私は今、やっとこさ親元を離れ、ロンドンで生活をしている。
いつも外食では破産まっしぐらであるし、日本食が恋しいので、自炊をするようになった。
料理というものは、なんと労力と時間を要するものだろうか。
献立、買い物、料理。満腹になり満足しても、そのあと待ち受けているのは洗い物なのである。
買った食材が腐らぬよう、効率よく使っていかなければならない。
その手間を考えなくても、日本であればコンビニで済ませる方が安くつくと思う。
節約は忍耐である。
そんなある日突然、煮びたしが食べたくなり、スーパーでまるまると太った茄子を買った。
レシピを見ながら作ることにすると、どのサイトも飾り包丁を推奨していて、
人生で初めての飾り包丁であった。
慎重に、慎重に切り込みを入れていたら、予想以上に時間が過ぎており
美しく仕上がったボッテガヴェネタのような茄子に目を落として、思ったことがある。
「丁寧な暮らし」に代表するものは、花を飾ることでも、自家製グラノーラを作ることでも、
夜キャンドルをたくことでもなく、日常的に飾り包丁をいれることかもしれない。と。
母の作る煮びたしに飾り包丁は入っていなかった。
当時はそれがあるかないかを気にすることもなく、いつも通り食卓に並ぶ料理を口にしていた。
今思い返すと、仕事をしながら必ず毎日料理を作ってくれていた母を尊敬し、
どれほど感謝の言葉が足りていなかったか、と痛感している。
家庭料理の美味しさは、かけた時間ではなく愛情だったのだな。
母は偉大である。
きっと人生のどのステージに進んだとしても、こう思い続けるだろう。