クルージングヨット教室物語6
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「来週から今年のヨット教室が始まるね」
お昼、隆が自分のヨットを貯木場に入れると、先に泊まっていたフェリックスのヨットのオーナー、市毛さんが隆に話しかけてきた。
貯木場というのは、港内の海外から輸入した木材などを海上に保管しておく場所のことで、そこの海上には、たくさんの木材が浮かべられていた。というのが、本来の貯木場の姿なのであろうが、現在の貯木場は、貯木場跡地みたいなところで海上には流木がちょっことしか浮かんでいなかった。
横浜の金沢港沖の貯木場には、その代わりに昔、横浜で開催された万博、横浜博覧会の時に使用されていた六角形のステージ型のプールが舫われていた。博覧会では、プールの中でイルカが飛び跳ねていて、博覧会の入場者たちに芸を見せて楽しませていた場所だった。
博覧会で使い終わったプールは、貯木場跡地で静かに舫われていた。
隆たち、横浜のマリーナに停泊しているヨットたちは、お昼の時間になると、そこへやって来てプール脇にヨットを舫うと、そこの台座でお昼ごはんを料理し、皆で食事を楽しんでいた。
「隆くんのところは、ヨット教室の生徒さんを取るの?」
「一応、そのつもりです」
隆は、市毛さんに答えた。
隆がヨットを停泊している横浜の公営マリーナでは、毎年春に「クルージングヨット教室」と称して、横浜市民の中からヨットを習いたいという大人たちを募って、春から秋まで半年間のヨット教室を開催していた。
応募してきた生徒たちは、スクール初日だけマリーナのクラブハウスで座学、基本的なヨットの乗り方について職員から学んだあと、隆たちマリーナにヨットを停泊しているヨットに、それぞれ振り分けられて次の週からは、各艇のオーナーさんたちの元でヨットに乗艇し、乗り方を学ぶのであった。
「隆くんのところは、ヨット教室の生徒さんを取るの初めてじゃないの」
「そうですね。何しろラッコ自体がこの1月に進水したばかりの新艇ですしね」
隆と市毛さんは、ラッコのキャビンの中でお酒を飲みながら話していた。
隆のヨット、フィンランド製のナウティキャット33という33フィートのモーターセーラー、セーリングクルーザーは、船名をラッコといった。ラッコのように海の上でのんびりプカプカ浮かんでいたいという隆の思いから船名を「ラッコ」にしたのだった。
「先週、隆が言っていた新しいクルーが来るっていうのはヨット教室の生徒さんのことだったの?」
「そうだね。いよいよ、麻美子も先輩クルーになるんだね」
麻美子は、隆に聞いた。
隆は、新しくヨット教室の生徒さんが来た後も、麻美子が一緒にヨットへ乗り続けると思っているみたいだったが、麻美子は、新しいクルーが来て、隆と一緒に毎週ヨットに乗ってくれるようになったら、自分はもうヨットに乗るのはやめようと考えていた。
冬の間、寒い時期に進水したばかりの隆のヨットは、まだ他に隆と一緒にヨットへ乗ってくれる人もいなかったし、うちの母も言っていたように、隆1人だけで海へ出航させるのは何かあった時に危ないからと、自分が一緒に乗ってあげていたけど、他に一緒に乗ってくれる人がきてくれたのならば、何も自分が一緒にヨットへ乗らなくても良いだろうと考えていたのだった。
冬の間ずっと隆と一緒に乗っていたおかげで、いちおう中央の一番背の高いメインセイルと先頭についているジブセイル、最後部の操縦席の近くにあるミズンセイルを上げてヨットを動かすっていうことぐらいは麻美子でも理解できるようにはなっていた。
でも、基本的にヨットのことなんて全然わからなかった。
「こんな私が、ヨットに乗り続けていても仕方ないじゃん」
麻美子は、そう考えていたのだった。
主な著作「クルージングヨット教室物語」「プリンセスゆみの世界巡航記」「ニューヨーク恋物語」など