HRとして考える、人間の条件 ー私たちは何を望むのかー
こんにちは!九州の住宅メーカーで経営企画とHRの責任者をしています石田と言います。
これまでのキャリアを振り返ると、新卒から事業企画・フォトグラファー・マーケティング・事業開発・経営企画といろいろな職種を経験してきまして、辿り着いたのがHR(人事)でした。
もともとは企業内で各セクションを経験していく中で、「会社が成長するためには人の成長がもっとも重要だ!」という考えに行き着き取り組み始めたHRですが、人の成長にフォーカスし原理原則やトレンドを学び制度構築や組織開発を実践してきたことで、一定の成果が出たように感じています。
HRの重要な役割に、「ビジネスを成功させるために適所適材を実現すること」「社員の働きがいと働きやすさの両立すること」などがありますが、もっと深い部分でいくと、「私たちは何を望むのか」という命題に、一人一人が向き合い答えを出せるようにすることがHRの役割だと考えています。
私はもちろんWantedly社員ではないのですが、親交のあるWantedlyの橋屋さんが書かれた記事に刺激されたので、年末ということで勝手にプライベートAdvent Calendarを引き継いで、今HRとして思うことを書いていきます。
目次
なぜHRがリベラルアーツ(教養)を学ぶのか
我々はどこから来たのか
我々は何者か
我々はどこへ行くのか
思考し続けること
言葉の解像度を上げ、伝えていく
おわりに
なぜHRがリベラルアーツ(教養)を学ぶのか
HR領域を深掘りをしたく、今年1年はリベラルアーツを研修で学び、「人間とは何なのか」を時間をかけて考えきてきました。その結果、自分の中の一つの答えが出たような気がしています。
これまで私はマーケティング職を比較的長く経験したことで、ビジネスの成功ポイントは「最適化」を追求することだと考えてきました。フレームワークを漁り、技術のトレンドや最新テクニックを学び、計画と実行と改善を繰り返す。成功の再現性を形づくるため、常に情報にアクセスし、アップデートをすることでよりよい成果を得られると考えていました。
その結果として、一定の成果は出るもののさらなる成果を望み、ますます多忙になり、「思考停止」になっているような状態にあったこともありました。どんどん最新技術を活用することで生産性が上がっているはずなのに、仕事は増え続ける。一歩立ち止まり、本当にこれで正しいのかを向き合う習慣がありませんでした。果たしてこれが幸福と言えるのでしょうか。いつの間にか、「朗働」でなはく「牢働」になっていたのかもしれません。
リベラルアーツを学ぼうと思った理由は、より深く人について知ることで、AIやテクノロジーなどの科学技術に拘らずに人間の可能性やポテンシャルを最大限発揮でき、会社を成長させられる、と思ったからです。文明転換の歴史的背景を学び、経営に活かすために学び、思考する力を養い、これからの企業に必要なリーダー像・HR像を描くことができると考えていました。
しかしながら、学習を進めていくうちに、リベラルアーツを学ぶ本質はそこではなく、学びそのものに深い意味があるということを知りました。「学び」を「手段」と考えない、楽しみに変えること。学びを特定の目的の手段・道具と考えない、学びの中の偶然の出会いを楽しむ(人・本・先生)こと。何かの目的として考えないことで、学びを通して自分自身が変わることができます。
リベラルアーツを通して学んだ、いまHRが知るべきである、我々はどこからきたのか、我々は何者かということ、その上で我々はどこへ行くのかを思考することの重要性、そして私が考える「人間の条件」を共有します。
我々はどこから来たのか
まず、今年1年で教養の本を読み、自身の考えをアウトプットしてきました。以前から読書は好きだったのですが、読むジャンルといえばだいたいビジネス系か技術専門書、小説、そして漫画。社内の施策を考えるときも専門書を読み原理原則を知り、そこにトレンドを重ねて自社にアジャストしていく、というスタイルでした。
今年1年、外部金融機関の幹部研修である教養研修に参加させていただき、強制的に教養の本を10冊以上読み込みました。ジャンルは歴史・宗教・哲学・芸術・経済・医療・文明など。今まで完全に敬遠してきた分野でした。
日々オンラインに接続していると、自分が好きなお勧めのジャンルしかレコメンドされず、興味がある分野にしか精通できません。最初はこれらの本を読むのが相当苦痛でした。読みにくいし難しい。何度も諦めかけました。でも課題提出があるから、、、となんとか読み終え、自分なりの考えをアウトプットしてきました。
自身の学習経験の中で面白かった本を紹介しながら学びを記載します。最初に読んだ本はハラリの『サピエンス全史』。色々な著名人が紹介していますが、これが本当に面白い。人類の歴史、我々はどこからきたのかを学ぶことができます。人間の根源には宗教があり、文化(虚構)があります。宗教は文化や政治に大きな影響を与えます。認知革命・農業革命から産業革命を経て、思想からイデオロギーになり、これまで人類は産業発展してきました。
とはいえ産業革命以降、人類は目立った進歩をしていません。車で例えると、自転車から車の発明は画期的で、一気に移動時間が短縮されどこまでも行けるようになりました。しかしながら、今は既存の車より少し速いとか、少し剛性があるとかで常に開発者のみなさんは日々努力しています。今を生きる我々にとっては価値があるかもしれませんが、人類という種としてはほとんど進歩していません。「我々は何者なのか」を考える必要があります。ロケットが完成し宇宙に気軽に行けるようになる日がくれば、また新しい世界が生まれるとは思います。
我々は何者か
産業発展させ続ける「近代主義」について、改めて問い直そうという内容で、技術と経済の思想を学ぶ書籍『近代の虚妄―現代文明論序説』を読みました。これまた難解な本で読みにくい。内容を簡単にまとめると、(急な箇条書き)
- 今のグローバル資本主義社会(経済成長至上主義)はアメリカが作り上げている、そのアメリカを作り上げたのはヨーロッパ近代主義(科学革命・市民革命・産業革命)であり、それ以前は宗教で生活していた
- 今の過剰な効率性主義のグローバル主義はさまざまな問題をはらんでいる(格差社会・環境問題・海外依存)
- ビジネスで成功することが本当に重要なのか、世界は幸せを追求するために経済成長を追求してはずが幸せになってない
- 経済成長の歯止めは効かないが、国の文化・価値観を生かすことは必要
- 日本人は日本の文化の強みを理解し、どれだけ素晴らしい国は認識する必要がある、GDPだけでは測れないものがある
今の世の中は、「経済と科学こそが正しい」とされており、自由・平等・科学成長の歯止めが効かなくっています。そんな中、一つのアンチテーゼとして、経済成長追求しなくてよいのでは、自由じゃなくてよいのでは、効率的でなくてよいのでは、という考えは最適化大好きな私からすると目から鱗でした。
加速社会は思考停止を生み、大きな判断を間違う可能性があります。有名なアイヒマン裁判の例でも、アイヒマンはアウシュビッツ虐殺を指示した本人だけど、実は極悪人でなく小役人だったという事例です。ただ上司の命令に従っただけ(思考停止)、と本人は言っています。(最近はまた別の説もあります)。思考停止し世の中の流れに飲み込まれることから一度立ち止まり、思考してみることが大事だということです。
年々企業の採用活動や組織論・人事制度も欧米スタイルになってきています。ジョブ型採用やミッショングレード制、3ピラーモデルによる戦略的な人事。確かにこちらの方がビジネスでの成功確率が高くなります。うちも人事制度を刷新し、より戦略的な人事へと改革し組織や制度を変更してきました。
そんな中、改めて立ち止まって考えることで、日本的な良さ、ある種ガラパゴス的な良さも組織開発において重要ではないかと思い始めました。日本は「失われた30年」と言われていますが、だからこそ重要な価値が残っているということです。調和を重んじる、他者への思いやりといったアイデンティティは日本人は無意識で形成されているので、その強みは組織開発へ活かしていくことができそうです。
トレンドである人的資本経営の合理的アプローチに加え、感情的なウェルビーイングのアプローチを行うことによって、社員がより自ら考え動けるようになると思います。
株式会社リンクアンドモチベーション「キャリアウェルビーイングのポイント」より
挨拶や共感・思いやりを基準とした感情的なコミュニケーションを強化することで、関係性が良くなり、同じビジョンを描くことができ、アジャイルなチーム状態になっていく、成功の循環の組織開発フレーム(下図)にも通じる考えです。チーム内で挨拶や褒め合う習慣をつけることで、感情的な報酬が満たされ、若手社員の葛藤解消や育成にもつながります。
またコミュニケーションが活性化する施策として、wantedlyの福利厚生サービス「perk」を導入しましたが、これがなかなか良いです!宣伝ではありません。クーポンで会話が生まれ、リアルなコミュニケーションが活性化し、これまでの福利厚生サービスより使用率も上がり、確かにエンゲージメントが少し上がったと実感しています。もちろん案件ではありません。小さく画像載せておきます。
少し脱線しましたが、今世の中で起きていることに当事者として向き合い、知恵・感性・知識が大事な世界に生きていると認識することから、自分たちは何者なのかを知ることができます。
我々はどこへ行くのか
これまでの学びの仕上げとして、ハンナ・アレント著『人間の条件』から、「我々はどこへ行くのか」のヒントを得ました。めちゃくちゃ難しい本ですが、今の私のレベルで簡単にまとめると、人間を人間たらしめるのには3つの要素があり、それが労働・仕事・活動ということです。ここで言う労働とは「生きること」、仕事は「つくること」、活動は「つながる(自己・他者・歴史)こと」です。その中で最も重要なのは「活動」することであり、人間はよりよい世界をつくるために、問いを生み、他者とつながります。今の私たちは、ほぼ毎日労働に追われ、仕事や活動する時間が取れていません。どんどん文明が発展しているのにも関わらず、労働が増え活動ができていない状態です。立ち止まり、自分達は「これから何をしたいのか?」を思考することが大切だということです。
そしてもう一つ、これこそ我々漫画世代にとって偉大な作品「進撃の巨人」。進撃の巨人はめちゃくちゃ人間への解像度が高い作品です。歴史・宗教・経済にも深く触れており、私たちに「人とは何か?自由とは何か?」を問いかけてくる漫画です。もはや教科書と言っても良いレベル。
完結当時は教養を学ぶ前に漫画を全巻読んだのですが、設定やストーリー展開・アクションが面白い作品だなという感想で、スペシャルな漫画まではいきませんでした。しかし教養を学んだ今再度進撃の巨人を読み返すと、人への描写の深さ、文化や歴史への背景がめちゃくちゃ深く刺さって、一気に好きな漫画ランキングTOP5入りしました。
まさに見方は一つではないんだ、私たちは未来の他者に向けて思考する必要性があるんだと教えてくれます。映画もめちゃくちゃよかった。ほんとに泣けるシーンが多いのですが、後ろの席の学生2人がずっと泣いてて気になって泣けませんでした。
私たちは何に「心臓を捧げる」のか、「何のために生きるのか」、「何を残すのか」思考し続けなくてはなりません。
進撃の巨人の能力に、「未来を視ることができ、決まった未来に向かって行動させられている」という決定論的な世界観での描写があるのですが、実際我々も知らないうちにそのように行動してる可能性もあります。自由とは「止めること」「立ち止まること」となのかもしれません。
(諫山創 講談社 進撃の巨人 32巻130話「人類の夜明け」より)
思考し続けること
結局、私たちは思考し続けることが大事です。「思考」とは、自分の中にいるもう一人の自分と向き合い、対話する行為です。他者といるときに考える行為は、思考でなく行動です。二重過程理論でいうシステム1(早い思考)は行動だということです。思考はプロセスであり、ゆっくり積み上げていくものです。(≠判断すること)
ローマの政治家カトーも、思考こそが最も創造的な行為と言います。「何もしていない時こそ最も活動的であり、独りだけでいるときこそ、最も独りではない。」本気で魂と対話している時こそ充実している、寂しいことはないということです。つまり思考は一人でしかできない、自分とつながりじっくり見つめる、孤独である必要があります。
ではなぜ思考しなくてはならないのか、それは未来の他者のためです。進撃の巨人のジークはこう言いました。「生命の究極の目的は、増え続けること。それ以外に生きる意味はあるのか」それに対しアルミンはこう言います。「友人と追いかけっこをした瞬間が最高に楽しかった、そのために生きているのではないか」どちらも正しいと思います。アルミンは後半急にイケメンになります。私たちは未来に何を残すのか、そして自分が大切にしているものは何なのか、それをしっかりと思考し自分の軸をもつことが大切だと思います。
言葉の解像度を上げ、伝えていく
私たちは日々言葉を使い、コミュニケーションを行っています。一方で、例えば仕事の上司部下のコミュニケーションのシーンで、ちゃんと伝えたのに伝わっていない!何回言ってもできない!といった場面があるかと思います。これは、「言葉(認知)」と「コトバ(認識)」の違いがあるからです。
言葉=言語にしたものであり、声や文字がこれに当たります。一方で、コトバ=非言語的な意味(色・姿・香・間)であり、文脈です。部下が理解できていないので、コトバで言われていないからです。社会人経験が長くなると、経験などから意味を理解し、認知→認識に変わります。若い社員は経験が少ないため、語彙で理解し、そこにミスコミュニケーションが生まれます。
私たちは、カタカナのコトバの力を理解し、コトバを深く用いることで、深く相手に届きます。人事は特に言葉の解像度を上げ、コトバの意味を社員に伝えていく必要があります。
さらにコトバを深めていくこと、言葉→コトバ→ことばとなります。ことばとは、意味がその人の思考に裏づけれらたもので、まさに生きたことばと言われるものです。人から聞いたり本で読んだ知識をそのまま使うことはことばではありませんし、なかなか伝わりづらいものです。私たちは、自身の経験から言葉AをことばAに変えていくことで、相手に理解してもらうことができます。
おわりに
たった1年の学びでしたが、HRの視点として見える世界が変わったような意識があります。むしろ目に見えないものを形造り、つながりを大切にしたいと思うようになりました。会社の成長のためには人の成長が重要であるということに変わりはありませんが、人の成長とはなにか、成人発達理論(理論ばっかりですみません)で言う技術的な成長だけなく人間的成長、特に器を大きくするための人間的成長を得る機会の提供が企業成長には必須だと感じています。技術的な成長は所属部署でトレーニングしやすいですが、人間的て成長は意識しないとなかなか難しいです。身につけるため社員一人一人のキャリア観や人間観を養う場を増やしていきたいです。
個人としてはウェルビーイング=よりよく生きるということをテーマにこれから行動し、HRとしては社員のキャリアウェルビーイング=持続的によりよい選択肢ができる状態、自分が何を望むのかが分かっている状態をつくっていきたいです。
書籍『サピエンス全史』の結びは、「私たちは何になりたいのか?」ではなく、「私たちは何を望みたいのか?」という一説で締められています。まさに何を望むのかを知っていることが人間の条件と言えるのではないでしょうか。日々労働に追われるのではなく、何のために仕事をするのかをHRとして伝え続けていきたいです。