400万人が利用する会社訪問アプリ

三流プログラマーで腐ってた自分。今から思い返すととてもかっこ悪かった・・・ 「誰も評価してくれない」ではなかった。 自分の尺度を自分の都合の良いように設定してそこに対して、”やったつもり”でいただけだった。

この先やってみたいこと

未来

株式会社Visionを大きくしてパッケージまたは特化したサービスビジネスをやりたい! 教育関連方面に関わり、若手の未来に影響を出せるビジネスをやりたい!

株式会社Vision6年間

代表取締役現在

- 現在

社員のいろんな思いを聞いてあげること。その環境を可能な限り整えてあげること。仕事と会社を楽しい場であることを見せていってあげたい。 その中で自分が成長できることを実感できることを感じてほしい。

  • コミュニケーション活性化

    仕事だけではなく、いろんな交流が社員同士で出来るようにする。協力会社の人も一緒に。 月例会:各自のやっていることを互いに理解しあう 各種イベント:花見、BBQ、その他行事<=今は自粛中・・・ フォロー:個別に話しをしたりしてフォローをする。

某Si系会社、IT会社33年間

システムエンジニア、グループマネージャー

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・人工衛星、宇宙ステーションなどの構造解析 ・構造物の強度計算 ・シミュレーションソフトウェアの開発 ・GIS(地理情報システム)の開発及びコンサルティング ・ソリューション営業

  • 数値解析アプリケーション開発

    当時CPUがまだまだ処理速度が遅く、3Dの図を描くにもワイヤーフレームで描くのが精いっぱいで陰線処理などは数分数十分かかるのが普通だった。しかもワークステーションで。 数学系の仕事が好きだったので開発言語の勉強として描画ソフトをPCで作成した。最初は仕事の合間に。当時はTTS(タイムシェリングシステム)でお金をかけて描画させていたが私が作ったアプリはPC。無料だった。会社から研究開発でさらにハイレベルのソフトを作れと指示があって作成した。(でも結局他の仕事やりながらやってたけど(笑)) 出来上がったソフトはワークステーションの描画速度より早かった。数百万のソフトより。 初めての描画の際、周囲で歓声みたいなどよめきがあった。かなり有名な会社からいくらで売ってもらえますか?と連絡が途絶えなかった。 それからソフトを作るのに驚かすコードを書くのが病みつきになったなあ。「え?こんなことできるの?」みたいな。「できないでしょ?」って言ってるお客様に「出来ますよ」って言うのすごく楽しかった。  雑誌にも掲載され、自分のプログラマーとしての満足感が一番高かった時だったかもしれない。”自分しかできない”、魔法の言葉だと思う、

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国立高知大学4年間

理学部 化学科

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Ta酸塩化合物の研究および評価

  • 九州サバイバル旅行

    3万くらい持って仲間と一緒にポンコツ車で九州へ。九州一周旅行をした。 車中泊、野宿、食事は仲間の実家、友達の友達の友達の・・所になだれ込んでなんでもいいから食べさせてくれ的な。学生時代になんかバカやりたかった。知らない土地に行って目に焼き付けたかった。お金なんて最低限あれば何とかなったな。それは今も変わらないな。 そういうバカなことを一緒にやってくれる仲間が何よりの財産だとずっと思ってる。

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スキルと特徴

  • 「できない」は言わない!100点とれないなら70点から出来る提案を目指す!

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実績

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