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多忙な人ほど多くの時間を持つ

1979年、島根生まれ、大阪育ち。4年半のニューヨーク生活と幅広い職種経験を生かしてさまざまなフィールドで活躍中。大人になっても学び続ける姿勢を忘れずに、なんでも自分でできるようになりたい。

この先やってみたいこと

未来

ずっと旅して記事にする仕事をしていたので、写真も自分で撮って文章も書ける、ホテルライターにチャレンジしたい。

NLINE CO., Ltd.16年間

モデル現在

- 現在

自分の身体を使って、いいと思えるものをPRする

ラジオパーソナリティ現在

未知の世界を楽しみつつ、リスナーと双方向的なコミュニケーションを取る

プロデューサー現在

まだ知らないことを積極的に学び、なんでもできるようになる

コラムニスト現在

100人のためじゃなく、1人のために書く

PRエージェンシー3年間

プレス

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知識のあるスタイリストとも深い話ができるプレスになる

  • ファッションの歴史を学ぶ

    当時、大御所スタイリストさんから「ファッションを好きだという子に話をしても、まったく歴史を知らない。表面上の好きじゃなくて、歴史を学びなさい」と声をかけていただきました。 彼女の言葉を聞き、円滑なコミュニケーションを取るためにもファッションの歴史を学ぶことになりました。

関西のセレクトショップ2年間

バイヤー

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NY時代の経験を生かし、まだ知られていないデザイナーを日本に広める

  • デザイナーのための営業にいそしむ

    その頃日本では、コレクションも持っていないインディペンデントデザイナーの服をセレクトショップに置くことがはやっていました。 NYで知り合った自分の好きなデザイナーを世に広めたいという思いから、NYを離れ一時帰国。 アパレルのバイヤーさんにアポを取り紹介し、その後関西のセレクトショップでバイヤーとして働くことになりました。

    -
  • 「ASFOUR」のインスタレーションを企画

    NY出身の4人のデザイナーが集まった「ASFOUR」が世界的に人気で、NY時代からの知り合いだったので、彼らのコレクションを買い付けてお店でインスタレーションを行いました。 NYで過ごした4年半が形になった瞬間だと感じたので嬉しかったです。

オマッシュ3年間

ショップスタッフ

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働きながら実用的な英語を学ぶ

  • デザイナーのポートフォリオ作りに協力

    ブティックで働き始めてからは、たくさんの人と関わることができファッションの魅力に目覚めていきました。 当時はデザイナーと一緒にポートフォリオを作ることが多く、作品撮りを20数名分行うことも。 ポートフォリオをつくる中で「もっとこの人たちを有名にしたい」と考えるようになって、日本への一時帰国、その後のキャリアにも繋がっていきました。

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  • ファッションの魅力に目覚める

    音楽が大好きだったけど、それだけでは食べていけないと思っていたところ、偶然住んでいたマンションの下にブティックがオープン。チャンスだと思い、働き始めることにしました。 語学の勉強も、お客さんとコミュニケーションしながら学んでいくことができました。

大学時代2年間

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  • NYでプロモーター活動を始める

    大学2回生で休学し再びNYで住むことに。 当時はCBGBというパンクロックのメッカというライブハウス近くに住んでいて、日本人の女の子がかなりめずらしかったので、周りの人は家族のように可愛がってくれました。 その後、バンドのプロモーターの端くれにのような動きをして、PRの仕事をしたいと考えるようになりました。

  • 生の音楽を聴きにNYへ

    大学生になって初めての夏休みに、「ブロンクスユニティ」というメタルコアバンドにはまって、生で彼らの音楽を聴くためにNYに行きました。 きっかけはNYハードコアが大好きな友達の家で、ブロンクス出身のマイナーバンドのレコードを聴いたこと。「絶対に生で聴かなきゃ」と衝撃を受けました。


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